>> I'm > site index
倒れたヨハンに馬乗りになって、襟首を荒々しく掴み上げた十代は、拳を振り上げた。けれど、ヨハンも黙ってやられているだけではなかった。鋭い一撃を横にいなし、反撃で腹部に拳を入れようとする。だが体勢が体勢で、上手く力が入っていないのか、十代は少し呻いただけでいなされた腕を振りかぶる。握りしめられた拳がヨハンの頬を弾くように打ち付けた。ごつ、とヨハンが床に頭を跳ねさせる。刹那視界に写り込んだ朱色に、俺は咄嗟に立ち上がった。
「っ、やめろ!!!」
二日酔いの気持ち悪さなど、とうに消え去っていた。けれど思いの外自分の大声が頭に響いて、ずきりと痛むのを感じる。ヨハンは息を飲んで、立ち上がり近寄ってくる俺を見たが、十代の瞳はヨハンしか写していないようだった。左腕を振りかぶって、ヨハン目掛けて下ろそうとする。
「十代!」
金色の瞳が、ヨハンを睨み殺そうとしていた。このままでは、ヨハンも十代も、意味のない怪我を増やすだけだ。抱きつくようにして、十代の腕を掴み、ヨハンに当たる前に無理矢理止める。息巻く十代が振りかぶって、暴れ出そうとするので、俺はさらに強く彼を抱き込んだ。その間に、ヨハンは十代の足元から抜け出していった。
「頼む、やめてくれよ…!」
心が痛くて、千切れてしまいそうで、苦しい。十代の拳を掴む手が、声が震えた。彼がヨハンに、そこまで怒る理由がハッキリしなくて、いっそのこと、その怒りの理由が俺の望むような感情から来ていればいいのに、なんて自己本位な願望を胸中に並べたまま、俺はただ戸惑いを浮かべながら、彼を止めることしかできなかった。ヨハンがある程度十代から離れたのを見て、十代を拘束していた腕を緩める。しかしその時には、十代の身体には不自然なまでに力がなくなっていた。抵抗をやめた十代が、俯きしゃがみこんだまま動かない。
「…、」
ヨハンの寂しそうな顔が、じっとこちらを見つめていた。口の端が切れたのか、出血の痕がある。そのヨハンが俺を呼ぶ声がして、それを遮るように、突如十代は俺の腕を掴んで引っ張った。グラリと視界が揺れ、バランスを失った身体が地面に投げ出される。背を打ち付けて、肺にかすかな圧迫感を感じた。十代に顔を掴まれて、否応無しに向き合わされる。
「十代!」
ヨハンの悲鳴が、遠くに聞こえる。それすら聞こえていないのか、十代は顔を近づけ、早口で俺に問う。
「ヨハンを庇うのか!?」
「っ十代…!違う、これは、」
勘違いをしている様子の彼を前に、必死になって弁明をする俺の脳が冷えて行く。背に冷たいフローリングを感じながらも、彼に縫い付けられたように拘束された手首が発熱しているなんて錯覚していた。
「違うんだったら!…なんなんだよ、っその格好!」
牙を剥き出しにして吼える十代に、身体が竦む。ヨハンがそういう行為に及んだわけじゃないけど、あの時俺は察していた。彼が自分に何を求めているのかを。拒絶しようとしたのは、確かだった。けれど、この格好の説明をどうしたらいいのか、答えを知っているのに、どう答えるのが正しいのか、考えれば考えるほど頭が真っ白になる。十代が俺にのしかかっているこの体制が、まるで組み敷かれているようで、さらには十代の沸き立つような熱を持つ視線に心が掻き乱されていた。しまいには二日酔いの痛みが加わり、それが全部一気に脳を駆け巡って、なにもわからなくなった。言葉を紡ぐことを放棄した口をぎゅっと結び、十代の顔を直視できなくて顔を逸らしてしまう。
「…こいつに何をした?」
返事をせずに顔を逸らした俺に痺れを切らした様子の十代は顔を上げた。俺にぶつけてきた激情が嘘のように、ただ静かにヨハンに問う。起伏が大きすぎて、彼の表情から感情が読み取れない。ヨハンは俺と十代の体勢を見下ろしながら、言葉を失っていた。
「ヨハン、答えろ」
痺れを切らした十代が、立ち上がった。ベッド越しに二人が対峙するので、俺はそろそろと起き上がって、成り行きを見つめる。金色の瞳が、ヨハンを貫いていた。十代の背中越しに立ち尽くすヨハンは憔悴した風で、所在無げに視線を彷徨わせていた。ややあって、観念したのか細く息を吐くと、十代をしっかりと前に見据えて、小さく話し出した。
「…昨日は…と、飲んだんだ。それで、汗かいていたから、パジャマに着替えさせて、」
ヨハンの言葉も半ばに、十代がベッドに乗り上げて、ヨハンの襟首を掴み上げる。
「十代っ」
俺は反射的に十代の腰にタックルするように掴んで引っ張り、ヨハンから引き離す。反動でベッドに2人で倒れこんで、うまく受け身が取れずに、また十代が俺のマウントをとる形に自然となってしまう。
「うるさい!黙れよ!」
さっきの床よりは背中が冷たくないが、見上げた十代が切羽詰まった様子で、なんだか泣いてしまいそうだ、なんて場に不相応なことをぽっと思う。しかしそんな考えが吹き飛んで行くような、錯乱した十代の言葉があった。
「博士と外食だったんじゃないのかよ?!なんで俺に言わない…、なんで、ヨハンなんかと飲んだんだ…!」
呼吸を忘れた魚のほうが、もっとマシなリアクションを取れていたかもしれない。一瞬、俺はコンクリートでできた地蔵のように、口を開けたまま動くことを止めた。まるで、俺がヨハンと飲むことに許可がいるとでも言わんばかりの、言ってしまえば可笑しな支配欲か、それとも嫉妬と言い表せばいいのか…そんな感情を、十代が抱いていると感づいたのは、これが初めてだった。心にドロドロとした赤い炎が燻っているのを、何の前触れもなしにぶつけられて、凪いだ心に言葉を反芻するばかりだった。それに、昨日決まったばかりの博士との会合を、なぜ十代がそのことを知っているのか疑問に思うべきだったのに、この時の俺は動転していて、そんな些細なことに気を回すよりも、とにかく十代になにか言わなくては、と脅迫概念に似た何かに囚われていた。
「だ、って、知らなかったんだ、ヨハンが来るなんて…!第一、十代に関係ないだろ!」
だから、後先考えずに、この現状から脱したいという思いから噛み付くように反論をしてしまった。
パチン、
視界が弾ける。保たれていた均衡が泡のように弾け、音を立て崩れるのを、俺は他人事のように感じていた。左の頬が叩きつけられた激情でじくじくと痛みが膨れ上がる。
「よせ、十代!」
ヨハンの制止の声は届かなくて、そのまま焼けるような熱は首にかかる。薄く開いた目に映る、金と青のオッドアイ。魅惑的で、吸い込まれそうなその距離感に現実味が姿を消していった。今、十代は俺のことだけを見ているんだなぁ、なんて、平素の自分が聞いたら羞恥に塗れて消えたくなるようなことを考えられるくらいには、正常な脳の動きに必要な分の酸素が奪われていた。涙でぼやけた視界に、溺れかける。
「は悪くないだろ?!」
刹那、ヨハンの非難を込めた叫びが近くに聞こえたと思ったら、十代はクローゼットを背にして、くすんだオッドアイを隠しもせずにこちらを見て立ち尽くしていた。頬に赤い跡ができている。ヨハンが今しがた彼を殴ったのだと気がつくのに、少しかかった。俺を守るように背にして、ヨハンは青い瞳を細めた。
「、」
びくり、と身体が震える。乱れた息を整えるなかで、呼吸するように呟かれた己の名前。十代に呼ばれるのは、別に変なことではない。なのに俺は、この時初めて、十代を怖いと思っていた。今まで俺の知っていた友人としての十代は、ここにいない。
「ヨハンから離れろ」
彼は、遊城十代ではなかった。欲しいおもちゃが手に入らない事に腹を立てる子供が、そのまま大人になってしまったような、むしろ純粋さえも失って本能に付き従い動く獣のような、獰猛な牙をその身体に潜ませていたのだった。
「…よく言うぜ、の邪魔を散々しておいて」
ヨハンの低い声が、憎々しげに呟いた。ぴりぴりとした嫌な空気が、肌を焦がす。
「…なんだと?」
「おまえのせいで、が苦しんでるんだ、いい加減、認めろよ」
「なんの話だよ。俺はの邪魔なんて、」
「とぼけるな!」
ヨハンの憤怒の叫びが、鼓膜を容赦無く揺さぶる。温和な彼しか見たことがなかっただけに、相手を射殺すかのような瞳が真っ直ぐ十代に伸びているのを横で見ているだけで、身震いがした。
「お前が、お前がっ、の仕事の中身全部見て…ッ、異世界行きの仕事だって取り上げようと動いてるんだろ…?!」
「、っ」
俺は息を飲んだ。ヨハンの怒りの言葉が、理解できなかった。十代が異世界行きの仕事を取り上げようと動いてることを知ったことも、今まで俺の受ける仕事を選んでいたという話も、何もかもが唐突で信じられない。だって、俺が異世界行きの仕事を受けたのは数日前だし、十代とケンカしたあの夜に異世界行きのことを知ったはずだ。仕事があるはずの十代が、そんなところまで手をまわしているはずがない。第一ペガサス会長に直談判でもしない限り、仕事をとりあげることは不可能なのだ。そんな生産性のないことを、十代がするなんてありえない。と、そこまで考えて、目まぐるしく脳裏に過去の出来事がフラッシュバックする。
「ずっとを…のことを囲い込んでるんだよ!いい加減気づけよ、十代!」
その言葉は、やけに耳になじんだ。そして、同時に過去の十代の行動の不審な点だとか、自分の身の周りであった出来事を思い出しては、納得を始める脳に頭を打ち付けたい気分に駆られた。もし―――もし、今まで俺に異世界行きの仕事が来なかった訳に、十代の監視があったとしたなら、納得がいく。ほぼ毎朝、俺と十代は同じ仕事場に行き帰りしている。どの仕事場に行くのかを十代は知っていて、その実、俺は十代と仕事場で別れてからの行動をほとんど知らなかった。いや、知ろうとしなかった。十代は異世界の仕事をしているという周囲の人の話と、先入観からそう勝手に断定していただけなのかもしれない。
それに、たった今の今まで、十代は部屋に帰ってきている様子はなかった。けれど、彼が自分の部屋を甚く気に入っているのを、俺は知っている。だから帰ってこないはずがないのに、リビングで鉢合わせにならなかった理由は…十代は俺がいつ、何時に家に居るかを知っているから、と言えばそう邪推することを否定できなかった。
さらには、十代がここ数日家から出ていた時に、何をしているのかを俺は知らない。十代とケンカなんかして、喋りたがらないからと、彼の携帯の番号を知っていてなお、問うことをしなかったのは俺だ。なんの不審も抱かずにまるで全幅の信頼を置いて、バカみたいに対話を放棄していた。もしかしたら、十代が帰ってこないで、夜中ペガサス会長のところに直談判に行っている、なんて、面倒なことをしてまで俺の異世界行きを阻止しようと動いていた可能性だってあった。
「なあ、そうだろ、十代」
「…」
まるで何もかもを知っているかのように、ヨハンは問いかけの言葉に威圧的な断定を含ませた。十代は、それを真正面から受けていながら、何も言わない。その沈黙の数秒は、認めたくないことを言外に肯定していると確信させるには十分すぎた。嘘だ、と自分の唇が息を零すが、音にならない。どこまでが嘘で、どこまでが本当なのか、考えすぎでオーバーヒートした脳が浮ついていて、不安になる。
「十代、お前はのこと、本当はどう思ってるんだよ」
金と青のオッドアイを捕まえて、挑発的にヨハンが言葉を叩き付ける。それは十代だけに突き付けられたものではなくて、俺の心の隙間にねじ込んでくるようなものだった。苦しいと、全身が悲鳴を上げるのに、窓辺から注ぐ陽光は無遠慮に俺たちを照らしあげて、黒々とした影がフローリングに風穴をあけてしまった。
「答えろよ!はお前にとって、なんなんだよ!」
十代はここで初めて、戸惑いの感情を思い出したように視線をふらりと揺らした。俺はそこで、ああ、彼は今心を閉ざしてしまった、と直観した。十代が本心でない言葉を探すときの癖を、知らなかったらどんなに楽だっただろう。
「俺は、を」
彼の建前など、聞きたくない。聞きたくないと思うのに、心の何処かで期待する自分が浅ましい。今ばっかりは、聴覚だけ削り取って、消し去ってしまいたいとさえ思った。
「大切な、……友人だと思ってる」
分かっていることだったのに、分かりきったことだったのに、そのことに落胆する。そして落胆した自分に、嫌気がした。友人であることを、選んで、無意識に壁を作って、彼の気持ちを聞こうともせず、彼を憧れで済ませようなんて臆病者に成り下がった。そして、今、俺はヨハンの激情に流れをまかせて、当事者なのに傍観者を貫くようにして、まるでヨハンに俺の感情の代弁をしてもらっているようだった。それほどまでに、俺は俺自身を理解しきれていなかったのだ。
「だったら!…っ、のこともっと考えてやれよ!大切だって言うなら、のことこれ以上追い込むなよ…!」
「そんなつもりは、」
ヨハンは怒りに狂ったように、十代の胸ぐらをつかんだ。今度こそ俺は、息を殺してそれを見つめることしかできなかった。延々片思いしてきた相手が、苦しそうに眉根をゆがめるのに、俺は動けない。だって、そこにいるのは、俺が心を本当に捧げてもいいとまで思った輝いている少年じゃない。
「お前が!っ…そうやって煮え切らないから…、はずっと、お前を諦めきれないでいるんだよ!」
完璧と見紛うまでの強さを併せ持っていると、信じ込んでいた男は居ない。伝える術がわからないまま、間違えた方法を覚えてしまった、そんなただの不器用な男が、そこにいた。
「は…、ちょっと、待てよ、なんだよそれ…」
十代が困惑した表情で、慌てだした。先程まで微塵も感じられなかった焦燥に、駆られている。十代の瞳は、いつの間にか茶色の、普段のものに戻っている。それが俺を一瞬だけ捉えるのに、酷く翻弄される。睨むでもなく、怒るでもなく、ただ純粋に、十代がこちらを見ている状況に胸の奥が訳も分からず締め付けられる。
「アカデミアに留学した頃から、のことは知ってる。短い間だったけど、の気持ちはすぐわかった。はお前のことが、…好きなんだって」
淡々と、まるで心情を整理するように、ヨハンは切なげに眉尻を下げて、何かを堪えるように言った。十代の瞳が見開かれて、驚愕に染まる。けれどそれ以上に俺は、心臓が止まりそうだった。ヨハンが、彼に自分の想いを、今まで一度たりとも伝えたことのない、恋心を暴露されていると気がついた時には、息の仕方さえも忘れていた。
「だからアカデミアの時は手を引いた。お前が…と同じ気持ちだって、思っていたから、」
ぐ、とヨハンはそこで言葉をわざとらしく、切った。思考回路の海に飛びかけた意識が、静寂で揺さぶり起こされる。
「…けど、もう我慢の限界だ」
自嘲に似た笑みすら浮かべるヨハンが、激情を押さえつけていることは一目瞭然だった。握りしめた拳が、怒りに震えている。それでいて、少しやるせなく俯いて、自白する罪人のように、十代に告げる様子は、ちぐはぐだった。
「俺は、に気持ちを伝えてある」
十代がこの部屋に来る前の、決意を秘めた瞳の奥に、ほんの少しの後悔を濁らせているヨハンと、今のヨハンがダブって見える。その一つ一つの言葉に嘘偽りはないと、宣誓する彼が眩しすぎて。俺と正反対にいる彼の、少し不安定な足場をつついているのが自分で、それで彼の瞳が曇ることに、罪悪感を覚えずにはいられなかった。
「だから、もう止まったりしない。たとえ、十代がそれを邪魔したとしても、」
「…ヨハン、お前、…本気なのか」
落ち着いたトーンで、十代がヨハンに問う。ヨハンは慎重に、けれど確かに、頷いた。
「…そうか」
途端に、十代の表情に変化があった。彼は、笑ったのだ。まるで一切のしがらみを断ち切ったような、そんなすっきりとした笑みにさえ見えた。ヨハンも流石に、おかしな十代のリアクションに何か気が付いたようだった。声をかけようと、口を開く。
プルルル、
突如鳴り響いた電子音に、誰もが硬直し、言葉を失い耳をそばだてる。ヴー、とバイブレーションと共に、電話のコール音がして、ようやくその音が携帯から発せられるものであることを悟った。俺の携帯の音と同じだったから、俺は慌てて立ち上がる。だが、十代がそれとほぼ同じタイミングで、ポケットから赤い携帯を取り出す。十代は画面を食い入るように見つめる。延々と鳴るそれが、嫌に耳障りだった。
「…出れば、電話」
酷い声だと、我ながら思った。けれど、これが俺にできる今の精一杯で、そしてどうしようもなく今は十代と目すら合わせられなくて、俯いたまま、絞り出すように、半ば懇願するように、彼にそう言った。ヨハンが、何か言いたげに視界の端で動くけれど、それ以上に何かするわけではなかった。
「…ああ」
十代は、この場で携帯の呼び出し音に応じることはなかった。それっきり何も言わずに、一番初めにこの部屋の扉を開けたとき、廊下に落としたらしい紙袋を拾い上げ、もうとっくに呼び出し音の止まった携帯と共に出て行った。静寂が戻った部屋に、重圧感が去って行ったのを本能で感じた自分がいて、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。ヨハンがづかづかと、大股で近づいてくる振動がするけど、この時ばかりは振り向くのも億劫だった。
「、お前、あれでいいのかよ!よくないだろ…!」
「ん、なの、…わかってる!!」
床に座る俺の肩を掴んで揺さぶるヨハンの大声に、目頭が熱くなって、叫んだ。軋む心臓が、いまだにバクバクと音を立てて、この瞬間が現実であることを無理矢理知らせてくる。ぽた、と床に染みができたのを、歪んだ視界で捉えて、逃げるように目を閉じた。
「わかって…るけ、ど…ッ…ヨハン…頼むから、今は、一人に、してくれ…」
「…くそっ」
ヨハンは悪態を誰ともなしに吐き捨て、部屋から出て行った。バタン、と乱雑に扉が閉じられて、反動で隙間が開き、蝶番が悲鳴を上げるのを耳にしながら、俺はしばらく座りこんでいた。
登りきらない太陽が部屋を照らすが、今はその光でさえ煩わしい。重い体を引きずって窓際まで這いより、カーテンを締め切って、二人が出ていった扉に鍵をかける。ベッドサイドに落ちていた携帯を開いて、着信やメールの履歴を無視したまま、仕事先に連絡を入れた。慣れたように指は有休を取りたいという文面を打ち込んで、そのまま送信する。芋虫みたいに布団にくるまって、目を閉じる。今更ぶり返してきた頬の痛みが広がる間隔が、さながら皮膚が化膿していくようで、ベッドのシーツに不快感ごと押し付け誤魔化そうと躍起になればなるほど、伝う涙にさえ過剰に痛覚を刺激される、そんな悪循環を繰り返す。
こんなことになるのを、望んでいたのではなかった。俺達は、どこで間違えたんだろう。はっきりと、十代に伝えていたら、俺の意思を、もっとはっきりと言えていたら、こんなことにならなかったのかもしれない。初恋の相手だから、自分を殺す、なんてただのエゴだった。自分が、十代の感情を知ることに一番恐れを抱いていたのだ。賞味期限の切れた恋に、延々と恋しているだけだったと思い知らされ、そして同時に、自分の恋はここで息絶えたのだと、認めなければならなかった。
輝きを振りまいて夢を見せてくれるような、そんな少年も、そしてそんな彼に友愛以上の感情を持つ自分も、とうに死んでしまっていた。