半透明な地面。ボコボコと音を立てるマグマ。咽返るような暑さ。吹きあがる熱風。
周囲にそびえ立つ岩によって円状に切り取られた空が、高く見える。
俺は横たわっていた。ぼんやり白いガラスのような地面に一人、大の字になって横たわっていた。
開演ワンマンショー
仮面の男はいなくなった。黒い竜の背に乗って、また何処かへと飛び去って行った。
圧し掛かっていた重たい空気が霧散して、俺は長く息を吐きだす。
先程押された胸のあたりが痛い。でも今の俺には、何をする事も出来なかった。
正直パニックだった。
鍵は偽物だから盗られても何ら問題はないけれど、それより自分の命に支障がある気がしてならなかった。
命を二度ほど脅かされている。しかも命を握られているとかなんとか。
どう考えても事態が好転するとは思えなくて、最悪の結末ばかり頭をよぎった。
もう、いっそ諦めた方が良いのか。自嘲の笑みが零れて、自然と涙が目尻を伝っていった。
涙を拭う腕すら上げられない。視界の横で、マグマが度々ゴウッと跳ねあがる。
声を出して叫んで、わめき散らかせたならどれだけ楽だっただろう。
それをする気力もなくなって、現状にひれ伏し、抗うことすらままならない。
こんな、とりとめもないことを考えられるならまだ大丈夫だと、自分を励ます気分にもなれない。
曇りがかった夜空には、星が一つも見えないで、ただ真黒な闇をその身に纏う。
熱風がひときわ大きく吹いて、俺の頬をさらった。思わず目を閉じる。
瞼の裏に突き刺さってくるほどの強烈な光を感じた。仮面の男のペンダントが、頭をよぎった。
まさか、またあの男が――弱まった頃合いをみて、俺はゆっくりと目を開けた。
「…さて、舞台は整った」
燃える炎の向こうから、黒いシルエットがやってくる。
ゆらゆらと立ち上る蜃気楼の中、人影が動く。一定の足音を刻んで、歩いてくるのがわかる。
仮面の男で間違いなかった。男は倒れたままの俺の前で立ち止まった。仮面の下の口が、動く。
「まだ動けないか?…ふっ、そうだろうな。だが何時までもそうしていられると思うなよ」
男はバサリとマントを靡かせ、死角へと消えていった。
必死で仮面の男を見つめ、警戒をした。胸の辺りの痛みが疼くように存在の首をもたげ始める。
先程まで微塵も動かなかった指の先がひくり、自分でも知らぬうちに動いた。
「今からここに人を呼び寄せる…お前も良く知っている人物だ…見るがいい!」
叫んだ男の声に呼応するように、突如マグマが十メートルほどの火柱を上げた。
俺は息を飲んだ。比べ物にならないほどの熱風と想像を絶する光景に、ただ瞠目する。
波打つようにして重力に落ちたマグマの上、岩の台座が現れた。
半透明な球状の物体が置かれて、その中に二人の影が遠目に見えた。
水色の髪で小柄な少年と、体の大きな少年。折り重なるようにして横たわっているのは、翔と隼人だった。
「くっくっ…驚いただろう」
目を疑った。俺の知る限り、彼らはセブンスターズの事を知らないはずだ。
だというのに二人は倒れている。彼らの傍に駆け寄って、息があるかどうかすら定かでない。
起き上がる様子すらなくて、俺は震撼した。…まさか?
それを思った瞬間、脳が一気に沸騰した。俺の体が痛みと切り離されたように起き上がる。
「…ほう」
感心したように男は笑った。対峙するコイツが憎かった。ただひたすらに、憎たらしくてたまらなかった。
激痛は肺を圧迫してくるのに、足は体を支えている。どこから力が湧いてくるのか分からない。
でもそんなことは俺の意識では考えられなかった。
とにかくいっぺん殴りたい。この怒りは仮面の男に、ぶつけなければ気が済まない。
「…ンの野郎おおおおおッ!」
叫び、咆哮を上げた。激情を湛えた本能は理性を乗り越えるのに十分だった。
離れていた相手に駆け寄り、右の拳を相手の眉間に向けて突き出した。
おぼつかない足取りの俺が出した一撃は軽くいなされ、相手は一歩左に体をずらした。男は叫び笑った。
「どうした、当たっていないぞ?」
俺はまたカッとなって、唸り声を上げ突き出した右腕を相手に当てようと体を捻った。
しかし何度拳を繰り出しても、当たらない。息が上がってきて、苦しい。
自分の不甲斐無さと現状の理不尽さに、溢れる涙が抑えきれなくなった。それでも相手へ向かう怒りは止まらなかった。
「お前が…お前がっ…よくも二人を、翔を…!」
叫ぶと、不思議なほど体が軽くなった。正面から右手を突き出すと、刹那仮面の男が動いた。
いままでかすりもしなかった拳が、慌てたように男が開いた手のひらと激しくぶつかり、乾いた音を出した。
男が驚きの息を漏らした。俺は自由な左手をその顔に打ち込もうと、左腕を引いて振りかぶった。
「この瞬間をッ、私は待っていた!!」
仮面の男が、突如叫んだ。俺は既に勢いをつけ、殴りかかっている途中だった。
無意識に怯んだ俺の隙が生んだ時間は相手にとって十分だったようで、次の瞬間掴まれたままの右手を引かれた。
俺はバランスを崩し、男に殴りかかろうとする体勢のまま半透明な床へと倒れ、受け身を取れずに体を打ちつけた。
「っぐ…ぅ……!」
肘を擦りつけるようにして倒れた所為か、腕の骨が酷く軋んだ気がした。
そして同時に、体をうつ伏せにして倒れたことにより、脳が背中にある重みを感知した。
「俺は長年待ち望んでいた…この、この羽を手に入れる瞬間を…!」
変だと気が付いた時には、既に遅かった。
叫ばずには居られないほどの激痛が、俺の体を貫くのを感じた。
そして遅れて、閉じるのを忘れた目に差し込んでくる眩い閃光が、薄暗い周囲を白く照らしあげるのを見た。
燃えるような感覚が全身を支配して、まともに考える事もできない。
身悶え、自分の体を必死に掻き抱いた。白濁とする景色と意識は、次第に黒く塗りつぶされていった。
(天使をその身に宿せども、その姿は卑劣で矮小な、ただの一人の人間なのだ)
(まってて、おれがいま、たすけにいくよ)