遊城十代という男には、大切な人が沢山いた。
そのうちのという年上の男もまた、遊城が大切に思っている人に違いなかった。
明るい性格の十代は普段笑顔だったが、今日この時、無表情と言えるほど彼の正の感情が消えていた。
なぜなら青い顔で部屋に掛け込んできた明日香が、の行方を知らないかと、震える声で尋ねてきたのだから。
双眸の劣情
十代は彼を兄のように慕い、友人のように接していた。
本人自身も知らぬうちに、彼への比重は上がっていた。
前からのことは好きだった。
幼少期のことは途切れ途切れにしか覚えていないのだが、のことはしっかり覚えていた。
だからデュエルアカデミアついた初日、港でそっくりな人がいることに気がついたのは奇跡に近かった。
その時は見失ってしまったから、自分の気の所為だと思っていたのだが、購買で彼を見つけ、名を呼んで、
彼が自分のことを思い出してくれた時には本当に嬉しくて仕方がなかった。
去年大雪が降った日には、教諭から怒られ雪掻きの手伝いをした。
その時にさりげなく貸してくれた手袋から伝わってくる彼の優しさ。
星空が光るような美しい景色を彼に見せた時の、彼の驚いた表情、嬉しそうな声、握りしめた手のひらの体温。
何もかもが十代にとって、忘れたくない、忘れられない大切な思い出となっていた。
好き。他の人よりも好き。それも、できる事ならどこかに閉じ込めてしまいたい。
その思いは彼が保健室に運び込まれるたび、不安に駆られる自分の気持ちと一緒に積もっていた。
この独占欲に似た彼への想いが激情になって、自分の心の中で暴れている事にはっきりと気がついたのは、今。
彼が灼熱のマグマが荒れ狂う上に浮遊する透明な床の上に倒れている姿を見た瞬間のことだった。
「チッ…来たか…間の悪い」
「に、なにをしてる」
自分でも冷え切った声が出るものだと、嫌に冷静になった頭と裏腹に心が悲鳴をあげているのを十代は人ごとのように感じていた。
ああ、心拍数が煩い。
の背中から翼が現れている。
暗く濁ったマグマの熱が大気を揺らす中で、凛と存在を主張する純白の美しい羽は、今にも飛び立とうと緩やかに上下している。
しかし今その翼の持主であるは瞳を伏せており、数十メートル離れた先に立つ黒い出立の仮面の男の足元に転がされ、
床から飛び出した透明なアーチ状の拘束具に身体の自由を奪われている。
熱風の吹き荒れる洞窟の中、遠目にわかるほど彼の青白い顔が見えて、それがまるで、血の気を失って死んでいるように見えて、
「っ…!」
「っダメ!」
理性を投げ捨て駆け出そうとした十代を、明日香が制止の声をかけ手を伸ばす。
しかし手は届かず、声が十代の耳に届いた時にはすでにデュエルのフィールド、ソリッドビジョンの有効範囲の中に入ってしまっていた。
もうこの中に入ってしまったら、自分にできることはない。
明日香はソリッドビジョンのフィールドを覆うドーム型のバリアに恨めしげに視線を送ることしかできなかった。
明日香の制止を振り払って走り出した十代は、わかっていた。
高ぶった怒りの感情をおさめるには、仮面の男にデュエルで勝てばいい。
けれど、目の前で消えてしまいそうなを抱きしめたくて、込み上げた衝動的な怒りをぶつけたくて、十代は足を止めることができなかった。
「止まれ!」
しかしあと数メートルというところで、の首元にナイフが充てがわれた。
「やめてぇぇっ!」
明日香が悲鳴を上げる。けれど、十代は立ち止まらなかった。
ほんの少しスピードを殺して、彼は飛び上がる。
驚いた仮面の男が顔を上げたのと同時に、十代は勢いのまま身体を捻って男の頭を容赦無く蹴飛ばした。
不意の攻撃に仮面の男の手からナイフがこぼれる。
男は倒れそうになるが、踏みとどまった。その隙に、地面に足をつけた十代は床に落ちたナイフの柄を迷い無く拾い上げる。
その動作に遅れをとったと気がついた仮面の男が十代からナイフを奪い返そうと拳をいれて来るのを、
十代はうまく避けられず右頬に重い一撃を食らった。しかし握っているナイフは落とさない。
男は狙いを上手く定められなかったことで、バランスを崩していた。十代は男の腹部を蹴りあげる。
「が、っ…!」
仮面の男はその場に尻餅をつくようにして蹲る。
そして男が顔を上げた時、目の前に鈍く光る刃物の切っ先があり、硬直した。
十代は今の行き場のない怒りと焦燥感を燻らせたまま、震える手でナイフをにぎっていた。
その彼の唯ならぬ形相に、仮面の男は思わずたじろぐ。
こんな威圧するような視線、一介の人間の出せるような怒気であっただろうか。
「を離せ」
ほんの僅かの間、睨み合って動かない二人。突き刺さるような本能の塊に、身震いしてしまう。
仮面の男はそれが気に食わなかった。
「嫌だ、と言ったら?」
瞬間、十代は男の喉仏にナイフの切っ先を喉元に突き立てる。
正面から突き出されたそれを避けることは容易いことだったのだが、男は避けることはなかった。
十代がその切っ先を寸でのところで止めたのである。
「…」
不利な事を悟った仮面の男は、ゆっくりと後退しながら立ち上がった。
それと同時に、を拘束していた拘束具が霧散する。
男が数メートル離れたところで、十代はナイフを握る右腕をゆっくりと降ろした。
うつ伏せに横たわったままのの隣に駆け寄り、壊れ物を扱うようにそっと抱き上げる。
仮面の男が動かないのを警戒しながら、十代はゆっくりと明日香のいる所の側までを移動させる。
「十代っ、兄さん…!」
「大丈夫だよ」
明日香はソリッドビジョンの壁の向こうにいる十代の無事に涙を零した。
が生きていることに安堵してしまったことも、拍車をかけていた。
十代はそんな明日香に困ったように眉根を下げながら、赤く充血する明日香の瞳と、震える手を見て、一度深く息を吸った。
「明日香、ごめん」
「…バカよ…無茶して」
「を頼む」
神妙に頷いた明日香を見やって、十代は仮面の男と向きなおる。
男の仮面の下で揺らめく瞳と十代の視線が交錯する。
マグマで覆われたこの場は熱くて仕方ないのに、背筋の凍る威圧感が拭えないことに、仮面の男は酷く狼狽していた。
「…たかがこの罪人の命に、なぜそこまで己を賭ける?」
なぜ。仮面の男の惑わすようなその問いに、十代はポケットのデッキを取り出しながら、真っ直ぐに答える。
「好きだからに決まってる」
(言葉にしてしまうことは、感情の枷を外す行為に似ている)
(表面化した劣情の渦に飲まれて溺れているのは)