自分の身を持ってして、俺の体に巣食うこの"光の使徒"について分かったことが、いくつかある。
まず一つは、三幻魔を封印している鍵に反応する事。
二つは、その鍵が一つでは駄目で、二つ以上ないと翼は反応しないこと。
そして最後に、ある程度の時間が経つか、俺が気絶するまでその翼は消えないということだ。
前二つは留意していればどうにかなるだろうが、特に最後のなんかは厄介で、どうしようもないことだった。
交わる目途も無く
今俺は、亮の自室にいる。そこはブルー寮の角部屋で、大きな一室だった。
二人部屋を特待生用に改装したらしい。だからベッドも部屋も二つあるが、亮はその一つしか使っていないというのだ。
それにしてもそれらに加えリビングにキッチンまでついているとは、俺は思ってもいなかった。
玄関の傍で固まって動かない俺に、亮は訝しげに声をかけてくる。
「、荷物はここでいいのか」
「あ…ああ、…ありがとう」
俺はどもりながらも、靴を脱いだ。亮が出してくれたスリッパは新品で、ずいぶん履き心地がよかった。
白と青を基調とした壁と床。そして備え付けの備品までも、普通の部屋とは訳が違う。
短い廊下を抜けてリビングと思わしき所に入った俺は、さらに絶句した。
大きめの窓ガラスが日光を余すことなく取り入れており、その先には森と海と空が眺望できるバルコニーがある。
デザインに凝った、それでいてシンプルで使い勝手のよさそうな家具が、部屋の景観を引き立てている。
薄型の壁掛け式テレビに、落ち着いたネイビーカラーのソファー、刺繍の入った美しいタペストリー。
彼らしく綺麗に整頓された部屋の奥に鎮座する本棚には、難しそうな分厚い本がたくさん収納してある。
何もかもが高級な一品であるのは、素人目にもわかった。
教員宿舎だってここまでの家具から装飾品まで、揃っていなかった。
亮が特待生であることを改めて認識して、俺は一度大きく感嘆の息を漏らした。
どうしてこうなっているのか?それに答えるには、数時間前にさかのぼらなければならない。
セブンスターズの話の後、俺は俺の話をした。
翼のこと。翼についてわかっている事。そして、この翼がセブンスターズの要求する"光の使徒"であること。
あの時から、校長室に呼ばれた全員と俺の関係は否応なしに変化を迎えていた。
誰も、俺にどんなふうに声をかけたらいいのか分からないのか、俺に声をかける者はいなかった。
でも一人だけ、亮は何時もと変わりなく、まるで朝会う時と同じ調子で、声をかけてきた。
俺はそれが嬉しかった。拒絶の反応や好奇心の類ではない彼の様子が、純粋に嬉しかったのだ。
校長先生の提案によって、俺は亮と一緒に行動をすることが決まった。
一人でいては危ないだろうからということで、必ず鍵を持つ誰かと一緒に居ることも指示された。
加えてある程度のセキュリティが設置されているブルー寮なら、夜も安全だろうという判断を校長先生は下した。
そしてそれに従って、俺は亮の部屋にお邪魔することになったというわけである。
「どうした?」
着替えの入った荷物を整理し終え、物思いにふけりながら窓際で立ちつくす俺に亮が声をかけてきた。
見慣れた特待生の制服の上着を脱いで、壁のフックに掛けられたハンガーに掛けながら、亮がこちらを見ている。
「あ、いや…なんだか、折角1人部屋なのに、俺が来てしまって…」
返事に困って、俺は当たり障りのない言葉を独り言のように零すことしかできなかった。
でも実際亮にとっては迷惑なんじゃないだろうかと思う。彼は今まで優秀成績だったと聞いているし。
特待生だけに与えられた一人部屋は彼の自室と言っても過言ではないだろう。
もしも俺が彼の立場だったら、あまり良い顔はしないかもしれない。
幾ら亮が俺のことを知っているからといって、プライバシーってものがあるだろうに。
年頃の彼ならなおさら、そういうのを気にするんじゃないだろうか。
俺は自分の言葉に深く同意をしつつ、彼の様子を伺った。彼は、一度驚いたように瞬きをして、笑った。
「かまわない。どうせただ広いだけだしな。…むしろ、俺1人で持てあましているぐらいだったんだ」
だからが来てくれて、丁度いいぐらいだと思うんだと、そう笑う亮の横顔が目に飛び込んだ。
俺は今まで狭いボロアパートで一人暮らし(というより家無しに近いが)だったから慣れっこで、
広くて明るくて綺麗な、ちょうど今居るこの亮の部屋のような部屋が、羨望の対象だった。
その気持ちも手伝って俺は少し、亮のその発言の意図がはっきりとは理解できずじまいだった。
この年頃の青年は難しいんだなあ、なんて、なんだか年寄り臭いことを思っていた。
俺はキッチンに立つ亮に一言断って、バルコニーに出た。大きく伸びをして空気を吸うと、潮風が鼻についた。
太陽が海へ落ちかかっている。まだ夕焼けと言えるものではなかったが、空はうっすらと青を失っていた。
今日は木曜日で、デュエルの実習日でもあるので、寮に籠もる生徒はほとんどいない。
ほとんどが体育館や、校内に残って各人励んでいる頃だろう。
人気もなく静かなアカデミアの景色は、亮の部屋から見ている所為も相まって、いつもと違うように見えた。
「紅茶を淹れたんだが、も飲まないか」
キッチンのほうから声がした。首だけで振り返ると、亮がマグを掲げていた。
彼の向こう側、ガスコンロに乗せられたシンプルなヤカンが、勢いよく蒸気を立てて沸騰しているのが見える。
「うん、いただこうかな」
亮は了解の意を、マグを軽く振って伝えてきた。俺はそれを確認してから、外の景色に視線を戻す。
ざあ、ざあ。波の揺れる音が鼓膜を刺激する。邪魔する雑音も少ないから、より一層海が近く感じられた。
バルコニーから見えるのは、だんだん沈んでいく太陽と、森と、海。少し視線を落とすと、鏡面のような湖があった。
夕焼けでも青空でもないぼんやりとした空の色と、林に繋がっている伸びかけの影だけが湖を染めていた。
スリッパが床と擦れる音がして、それが俺の方に近づいてきたので、俺は振り向いた。
「」
「ん?ああ、ありがとう」
亮が右手に持つマグを差し出してくる。真っ白い陶器のそれを、俺は左手で受け取った。
じんわりと肌に熱が伝わってくる。沸かしたてのお湯で淹れた紅茶は香りが立ってとてもいい。
湯気が凄いので、俺は息を吹きつけてから口をつけた。特別猫舌という訳ではないが、少し熱かった。
惰性的に窓辺に立っていた彼も同じように白いマグで紅茶を飲んでいた。俺は感想を告げた。
「おいしいよ」
「…そうか」
マグに視線を落としていた亮は顔を上げた。が瞬きを素早く繰り返すと、眉間にしわを寄せた。
少し目を細めたのち、それからなぜかそっぽを向かれてしまった。会話が途切れる。
彼は片手で器用に本棚から本を取り出して、ソファーに腰かけて本を読みだした。
何も変なことを言ったつもりはなかったんだが、何か問題があっただろうか。
疑問に思いつつ、機嫌が悪いというわけでもなさそうなので、俺はそんな彼をぼんやり眺めることにした。
彼が読んでいたのは英語がびっちりと隙間なく書かれた辞書のような本だった。
所々に図解で挿絵があるが、それを見ても一体何が書いてあるのか全く分からない。
しかし亮は普通に読めている様子で、時々指で文章を追いながら、早いペースでページを捲っていた。
紙の擦れる音が耳に心地いい。俺は視線を落とした。両手で包むように握るマグに、ふにゃふにゃとした自分が映った。
それから、俺はとりとめのない事を考えた。考えても仕方ないようなことを、ぼんやりと考えていた。
特筆するほどのことでないことばかりだったけど、なんとなく自分の心情を整理するための何かを、考えていたと思う。
そのうち目の前の風景は時間の経過を否応なしに見せつけてくる。辺り一帯が赤に染まる。
「俺の知るは」
本を閉じた音の後、亮が不意に切りだした。
俺は景色の方に体も視線も向けたまま、後ろから聞こえてくる彼のアルトに耳を傾けた。
頬にあたる風がほんの少し、冷たく感じられる。
「俺の知っている中で、一番芯のある人間だと思う」
彼は慎重に、言葉を選ぶようにゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。
もしかしたら彼は俺を励まそうとしているのかもしれない、と思う。こんな風に異質になった俺を気遣って。
それは嬉しいのだが、なんだか複雑に思った。そこまで俺は褒められるような人間ではない。
何の拍子にか異世界に来て、それも他人の体に入り込んで、俺はのうのうと生きている。
もしかしたらこの体の持ち主の魂は、俺に追い出されてしまったのかもしれないというのに。
俺は保身でいっぱいいっぱいになっているのだ。そんな人を、尊敬の対象にしてほしくなかった。
今だってこうして、彼の方を向かないことで、僅かに震えている手を見せないようにしているんだ。
「俺はただの卑屈な人だよ」
「っ、そんなことない!」
亮は叫ぶように俺の発言を打ち砕いた。俺は驚いて目を見開いた。
「は、俺の尊敬する人だ。いつも俺の先に居てくれるから、…がいるから…俺はがいたから、こうして前に進めているんだ」
彼の声は何時もより上ずっていて、どこか急いでいるようだった。
今思うとどこかくさい台詞回しに聞こえるけれど、その時の俺にとっては驚くほど心に沁み渡るものだった。
「だからこれからもずっと、俺の視線の先に、が居てほしい」
むず痒い気持ちが喉の辺りで暴れている。上がる口角が俺の感情に頭角を現す。
こんなふうに言葉で、はっきりと思っていることを伝えられるのは初めてだった。
照れる気持ちを抑えるように、いまだ湯気のたつ紅茶を全て、喉に押し込んだ。もう熱くなかった。
「…なんかそれ、プロポーズみたいだな」
「っ…!」
軽く冗談をいえば、酷く慌てた様子の彼の声。俺はバルコニーの手すりによりかけていた体を放し、俯けていた顔を上げた。
亮の顔が夕焼けで赤い。此方を真っ直ぐ見ている彼の大きな目が、きらきらと光の加減で輝いている。
「そんなんだからモテるんだよ。その年からタラシこんでるといつか女に殺されるぞ?例えば、こんな風に」
俺は最後だけ真面目な顔になって、指で銃をつくり、口で銃声音を言って、亮を銃で撃つ真似をした。
ぽかんと間抜けな亮の顔が面白くて、俺は煙を吹き飛ばす仕草までしたのち、けたけたと笑った。
すると先程まで慌てふためいていたような亮の顔がぱっと入れ変わり、疲れたような顔になった。
その様子がおかしくて、俺は一層笑みを深めた。
自己嫌悪のスパイラルからほんの少し、片足だけでも抜け出す事ができたのかもしれない。
空になったマグカップが人肌ほどのぬくもりに変わっていくのを、俺は両手で感じていた。
(大丈夫だよ、俺はまだ、やれる)
(そう決意表明をしたこれは、はたして誰に向けてのものだったんだろうか)