高寺を殺したのは俺じゃない。そんなことは分かっている。
でもやはり心の深層では、刻々とした黒を湛え、荒れ狂う波のように渦巻いているものがあった。
如何様に形容すればいいかわからないが、それは確かに自分の精神を確実に蝕んでいるのだ。

自責の念に駆られる


じんわりと瞼越しに光を感じ、目を開く。
初めに飛び込んできたのは、昇りきった太陽が窓越しに此方を照らしている様子。
最近見ることが多いこの白い天井は、ここが病室であることを知らせてくれた。

「…た、すかった、のか」

水分が無くなってかすれた声と、自分の意識の正常が脳に伝わり、心臓が脈を始める。
あの悪夢は無くなったが、現実は無情にも俺の体に傷痕を残していた。
刺すような痛みが全身を覆っている。少し体をよじると、節々が悲鳴をあげた。
声にできないまま悶絶して、唯一動かせそうな首だけで辺りをうかがうことにした。

遠目に見える時計は昼下がりを示しており、この部屋には人影が見えない。
ふと体をひねると、足下の方の布が何かに引っ張られているような感触を覚える。
驚いて足の方を凝視すると、腕を組んでそこに突っ伏して眠る人影を確認することができた。

「(…十代)」

赤い制服に包まれた彼の肩は上下に規則正しく動いていて、此方を向いている顔の瞼は閉じられている。
気持ち良さそうにぐうぐうと寝息を立てる十代は起きる様子もなかった。
そんな姿をぼんやり見ていたら、何故だかわからないけれど、目からすうっと一筋の涙が落ちていった。

「…俺は、どうして、」

生きてるんだろうなあ。そう続く言葉は、自分の耳に届かないほど小さくなって。
ただ、柔らかな春先の太陽の光が部屋に侵入して、その様子を見守っているだけだ。
時計の秒針が進む、歯車の絶え間なく動く音が、ベッド脇に置かれた俺の腕時計から聞こえてくる。
かち、かち、かち。その音が耳に入ってきた時、なぜだか心臓の辺りから感情がせり上がってくるような思いに捕われた。

天井を見つめながら俺は、どうしてこうなっているんだろうと考えた。
積もったままの疑問を辿れば、キリもないのは明白だった。けれど、考えずにはいられなかった。
一体、この先、何が起きるんだろう。
このまま普通にいくのなら、年を取って、好きな人ができて、結婚して、子供を授かって――寿命が来て、死ぬんだろう。
もしもそうだとしたら、自分は、この肉体はどうなるんだろうか。…どうなるんだろうか。
それとも。…それとも俺は、この世界から、旧(もと)の世界へ帰れる。なんてことになるんだろうか。
脳裏に、血の涙を流した高寺の顔が、一瞬浮かんで消えた。

「…ん……」
「!」

布擦れの音と同時に、普段より幾分か低い声で十代が言葉を紡いだ。
ドキリとして、彼の方を見る。顔を組んだ腕に突っ伏して、ぐぐ、と伸びをしている。

「…十代?」

起きたのだろうか。そう思って俺は声をかけてみたのだが、彼が返事をすることは無かった。

「……ぐぅ」

たっぷりと時間を置いた後、返事代わりに返ってきたのは彼のいびきだった。
俺はふっと息を吐いた。

「(なんだ…寝言か)」

十代のそんな様子を見て、俺は自然と、彼との記憶を回想していた。
数か月前。俺は今と同じようにこの病室にお世話になったことがあった。
切り取られた窓に浮かぶ、快晴と太陽。白い天井に、ほのかに感じる薬品のにおい。
その時の様子と酷似するこの状況に、フラッシュバックするのは彼の言葉。

『ずっと目、覚まさないんじゃないかと、思っ、て』

彼は、いたく憔悴しきった様子で、普段の活発な彼からは想像もできないような、そんな一言を零していた。
だって、彼はいつだって前を向いているじゃないか。
だのにどうして十代は、あんなに狼狽していたのだろうか。
すやすやと寝息を立て、幸せそうな表情でこちらに寝がえりを打つ彼は、あの言葉にどんな意味を込めたのだろう?

「――目を覚まさない、か…」

小さく復唱してみれば、なんと恐ろしい言葉だと俺は震撼した。
襲いかかってきたのは死だ。彼の発言の意図は、そういうことだったのだろうか。
今まで俺は、考えることから逃げていただけだったのだ。
過去に起きてしまった事は夢ではないことを、鉛のように重たい体が俺に告げる。
変に漠然とした確信が、そこにはあった。

そういえば、いつだか、彼のささやかな願いを聞いたことがあった。
彼は純粋に「アカデミアに俺が居る間は辞めないでほしい」と。そう言っていたのを今でも覚えている。

「ごめんな」

無意識に呟いた謝罪の言葉は、守れそうにもない口約束をしてしまったことに対するものだった。


(罪の意識は、自分の中だけで、一生をかけて消化しなければならない)
(償う手段を断たれた俺には、もはや逃げ道など無いかのように)
(死に対する恐怖と神が与える試練は、万人に平等に訪れるのであって、決して特別なことではない)