亮が見せてくれた桜は、アカデミア校舎の屋上からでも伺うことはできない。
傍で見た時はあれだけ存在感を放っていた大木は、不思議なもので、緑に埋もれ隠れてしまっている。
丸藤家へ帰省している彼に問う術もなく、問う事も憚られると判断し、思考を切り替えた。
そう物思いにふけっていた廊下にて、それは突然やってきた。
耳に入ってきたのは、俺の名前を呼ぶレッド寮の先生の、今にも泣きそうな声だった。

優柔不断なオカルト信者


「課外授業、ですか」

仮にも大の大人である大徳寺先生が大泣き寸前の声色で俺の名を呼ぶので、何事かと思い聞いてみれば。
授業において貴重な場所がアカデミア島内にあるためそこに生徒を連れていきたいらしい。
けれど、行く場所は校舎から遠い場所にあるんだそうだ。
彼の話からすると徒歩で片道1時間以上はかかるらしい。授業というより軽くハイキングだ。
そういう指摘もあり、このケースでは教室内授業扱いではなくて、課外授業か、遠足扱いになってしまうとのこと。

ここまでが俺がどうにか聞き出せた情報だ。
で、大徳寺先生が俺にすがりついてきた理由はこのとおりである。

「付き添いが2人じゃないと校長が許可を下ろしてくれないのにゃ〜、」
「はぁ…」

ぐずぐずになった鼻で、声が籠もったような喋り口調の大徳寺先生は、ファラオを腕に抱きしめて大声を出す。
それも相まって、もとより多くない廊下の人通りの、その生徒が訝しげな視線で此方を観察している。
見せもんじゃないぞ。と大声で言いたいのはやまやまなのだが。
目の前にへたり込み、男泣きする大人の迫力は、俺にその隙を与えてくれることはなかった。

まあ結局のところ、大徳寺先生は俺に"引率の先生"になってほしいとお願いに来ている所である。
一清掃員である俺がそもそも先生と呼ばれることが可笑しい、加えて教員免許なんて持っていやしない。
引率なんて立場勤まるかといえば、答えは明白であるのに、この先生は本当に参っている様子だった。

先生、お願いしますにゃ〜!」
「お、わ」

なかなか返事を出そうとしない俺に痺れを切らして、俺のあいていた左手をがっちりと握りこんできた。
ぐりぐりという効果音が相応しいのではないかというほど、感情の籠もった握りしめ方だった。
軽く痛い。

「ぐすっ、も、もう、頼れる先生が、先生しかいないのにゃ〜…」

ついにはべそをかき始めてしまったので、俺は大分弱った。
何度も繰り返すようだが、ここは廊下だ。パブリックスペース。
もちろん俺と大徳寺先生だけがいるわけじゃないから、他人の目があってもなんら不思議ではない。
そしてその大多数の視線が、俺の周囲に向けられているのは、嫌でもわかった。

「わ、分かりましたから…顔上げてくださいよ、大徳寺先生」

だから俺はつい、YESを期待させるような言葉を投げかけてしまって。
それに対して先生も期待の眼差しを向けてきたので、これは本当に不可抗力としか言いようがなかった。
何より、数名の生徒から注目を集めてしまっているこの廊下の現場から、早く立ち去りたいのが本音であった。

結局俺が出した結論は「はい」だった。
花が咲いたような満面の笑みを浮かべ、俺を校長室へ連行する先生の動きはこれまでにないほど機敏だった。
2人になった途端校長からあっさり許可をいただけた大徳寺先生は、意気揚々と準備にとりかかった。
俺は特に何もしなくていいよと言われ、むしろ手伝う隙すら与えてもらえなかった。詳細すら語られない。
とんとん拍子で進む事態についていけなかった俺は、考えることを放棄した。



そんなやり取りがあってから、早くも5日経ってしまった本日。
この日は、絶好の遠足もとい課外授業日和であった。
春の訪れを感じさせる暖かい陽気と、葉を広げ始めた木々の緑がそよそよと風に揺れている。

「みんな、今日は集まってくれてありがとうなのにゃ」

俺はなんだかんだちゃんとリュックに必要そうな物を詰め、万全の状態でこの一行に交じっていた。
あんまり気の乗るものではなかったが、実際こうやる直前になると自然と心が弾むものである。
お決まりのメンバーとでも言うか、十代達と一緒に俺は大徳寺先生から行き先の説明をうけていた。

大徳寺先生の話を纏めると、古代の遺跡がアカデミアの山奥に眠っているらしい。
遺跡は由緒正しいデュエルの決闘場の跡地らしく、生徒にとっても面白いものだと先生は熱く語る。
それからは彼が専攻としている錬金術のお話になって、彼以外の全員は少しずつ耳を傾けなくなっていった。

「なあ大徳寺先生。早くいこーぜ!」

十代の一声が鶴の一声となって、一度言葉を止めた大徳寺先生ははっ、としていそいそ腕時計を確認した。
少し焦ったように引率を始める先生の後を、皆でぞろぞろついていく。俺は最後尾についた。



太陽は出発時から少し昇って、視線を少し上げた位置にその身を落ち着かせた、そんな頃。
ばらばらになるでもなく、固まっているわけでもなく、一行は確実に歩を進めていた。
暖かい陽気と何時もと違う「授業」にテンションが上がっているのか、十代達は皆賑やかだ。

「古代の遺跡っていうぐらいだから、きっと何かあるわ」
「何かって?」

この一行の紅一点である明日香の、少しオカルト的な内容の発言に、十代が反応する。

「なにか…そうね…ミイラとかかしら…」
「明日香さん、やめてくださいっす…」
「ミイラか〜…昼じゃあんまり怖くなさそうだよなあ。うーん…」

翔が少し顔を青くして言ったが、十代は反応も薄く、あげく少し唸りだした。
何を根底においてその発言に至ったかよくわからないが、さすがにミイラが学園内にあるわけないだろう。
そんなことも露知らず、しまいには翔をおちょくりだした十代。
だのに、彼は何を思ったのか(おそらく何も考えていない)最後尾でぼんやりしていた俺に声をかけた。

「――はどう思う?」
「…え、俺?」
「なんだよ、聞いてなかったのかよ?」
「今日行く遺跡に、なにかあるかもしれないって話なんだな」
「ミイラなんてないっすよね!」
「例えばの話じゃない。ねえ、はどう思うの?」

十代に呆けた返事を返したら、隼人君が丁寧に言葉を補足してくれた。
涙目になる翔と、その様子に困った表情で明日香がため息をついて、もう一度俺に話題が戻る。
俺よりも前にいると思っていたこの4人は、いつのまにか俺の周囲に集まっていて。
どこか期待するような視線に囲まれて、否が応でも口を開かなければならなかった。

「そうだなあ…大徳寺先生が行きたがってたようだから、錬金術関連の何か…、黄金?とか?…があるんじゃないかな」

すると彼らはあっと声をあげた。彼らはそういう考えは眼中になかったようだった。
錬金術なんて普通常識の中にないのはわからないでもない。
が、これはそもそも俺も正直ぽっと出の思いつきだ。信憑性ゼロ。
しかしこんなにも簡単に彼らは、俺の言葉を飲み込んで話のタネにしている。
自分たちの数メートル先をいきいきと歩いている先生の後ろ姿に、俺はこっそり心中で謝罪を述べておいた。

「遺跡に黄金か…。うお〜、なんかワクワクするな!」
「兄貴だけっすよ」
「お、俺もうお腹すいたんだな」
「…隼人くん、まだ歩き始めてから30分しかたってないわ」
「ええっ、もう30分も!?」
「マジかよ。俺全然気が付かなかったぜ」
「ってことは―――もう少しで12時ぐらいっすね」
「お腹減ったのは間違いじゃなかったんだな!」
「よし、腹が減ってはなんとか〜って言うよな。先生に頼んでメシにしようぜ!」
「大賛成なんだな!」
「ええっ、ちょっと、隼人君!兄貴ぃ!」

先程の話題からは一変して、隼人君の一声ならぬ腹の声により、男3人は昼飯の話題へと移る。 あれよあれよというまに、彼らはずいぶん小さくなった大徳寺先生の元へ走って行った。
リュックに収まったファラオと会話を繰り広げていたらしい(成立しているように見えるから不思議だ)先生は、
突如十代が背中にタックルするという物理的な衝撃を受け、その歩みを止めた。
少し足の遅い隼人君と、出遅れた翔も追いついた。話している声がこちらまで届いてくる。

「…賑やかだわ」
「良いんじゃないかな、こういうのも悪くないと思うよ」

明日香の呆れたような呟きに、俺は苦笑いしながらも、この状況を悪いとは思わなかった。
彼女はなぜか刹那驚いた表情を見せたが、すぐに元に戻った。それから少し眉をハの字にして、そうね、と笑った。
十代や先生の居る場所まではそんなに遠くないが、近いと言えるほどでもなかった。

はどうしてついてきたの?」

距離を少しずつ稼ぐために歩いている最中、明日香が此方に視線だけを向けながら聞いてくる。
しがない清掃員であり、授業をしない俺が課外"授業"についてくるのを疑問に思われても仕方がないだろう。

「先生は、遠足には最低でも付添人が2人必要って決まりに則ったのさ。この課外授業は遠足扱いになるらしいから」
「そうだったんだ…。って何でもするのね」

驚きというよりも、純粋に彼女の好奇心を満たしたらしく、それから彼女はズバッと感想を述べた。
的を得て妙だ。俺が何でもするというより、この場合"先生"が何でもするという感じだったと言った方が正しい。
でもきっとこれは明日香の発言の意図にあたりそうにはなかったので、俺は指し障りない返答で誤魔化した。

「まあ、仕事だから」


(いつも物腰柔らかい先生があそこまで必死になったのを見た生徒はどれぐらいいたのか)
(それからあと、困った表情の大徳寺先生が、少し早いが昼食を食べようと言った)