あれから紆余曲折あって、茂木君は保護施設に返される事となった。
彼はそこで何の不自由もない生活を楽しんでいるとのことだった。彼は最後まで笑顔だった。俺は閉口した。
そして十代に、ハネクリボーとやらを紹介されたが、その時は見えなかった。
ご丁寧にカードの絵も見せてもらったのだが、それでも見えないものは見えなかった。
十代はご不満だった様子だが、俺自身あれは夢だったのではないかとさえ思う。
そうして記憶の隅に追いやっているうちに、2週間が経っていた。
白昼夢であったなら
業務に忙殺されるとは、一体何の事であっただろうか。
全ての寮、学業施設の清掃を終え、テストの集計を終え、昼の購買の仕事を終え、遅めの昼食も終えた俺は。
今、トメさんと一緒にお茶を啜りながら、近づいてきた春の日差しを窓ガラス越しに堪能している。
少し濃く入れたお茶は、トメさんに出された羊羹の甘さを引き立て、絶妙なハーモニーを醸し出す。
座っているのが安いパイプ椅子だとか、室内を暖めるヒーターが旧式だとか、そういうのは関係ない。
ただそこにあるのは平和。そう、平和なのである。
「おい、ここにはいるか」
しかしその平和を打ち破る人間が、購買と廊下を分けていた敷居を跨いだ。
見慣れぬ黒い制服に身を包む少年の、鋭い眼光と刺々しい言葉遣いが、この空気を一瞬で変化させてしまう。
トメさんと目を合わせて、何の事かと思いつつ、俺は湯呑をカウンターに置いて立ち上がった。
少年と俺が、レジスター越しに向かいあう。
「はい。俺がですけど…」
「貴様か」
ギッ、と音がしそうなぐらいの強い目線が俺に容赦なく降り注ぐ。
仮にも大人の俺が、思わずうっと息を詰めてしまうぐらい、それぐらい強い。
トメさんは横で座ったまま、俺と少年を交互に見つめて、不安げに眉を下げていた。
沈黙。
俺も少年も動かない。
困った俺は、彼の腕にデュエルディスクが嵌められているのを見て、苦し紛れに言葉を紡いだ。
「えーっと…俺はデッキは持って無いので、デュエルはできません、ハイ」
語尾に行くにつれて少年の眉間に皺が寄り、眼力が割り増しになるので、思わず最後の方は丁寧語になってしまう。
精神年齢だけなら仮にも三十路を越えているのに、年幅もいかない少年に怖気づくとは何事か。
そう思うのも無理は無いが、しかし、その普遍的思考を吹き飛ばせるほど、少年の威圧感は凄まじかった。
さながら、生死の境を彷徨い生き返ってきた兵士のような、鋭く切れ味のあるものだった。
それまで閉口していた少年の口が動く。
「…デッキが無いのを理由にデュエルをしたがらない事務員がいるという話を耳にした」
「…………ん?」
身構えていた俺の耳に入ってきた情報を整理するのは難しかった。
デッキ?デュエル?何の事だ。困ってトメさんに助けを要請したら、トメさんは曖昧に笑った。
どうもトメさんは知っているらしかった。
「噂は本当だったようだな」
「はあ…」
鼻で笑い、馬鹿にするように少年は言った。
癪にさわるその態度に、何時もなら此処で堪忍袋の緒が切れる、はずだった。
俺だけ置いてけぼりにされた気分で、噂の渦中故に知らなかった事に思考を奪われていた所為である。
加えて、強ち間違っていない噂だが、デュエルを"したがらない"のは誤りで、"出来ない"のだ。
そこを訂正すべく口を開こうとしたら、少年に遮られた。
「あの――」
「来い、貴様に聞きたいことがある」
そして腕をがっちりとつかまれ、トメさんへの別れの挨拶もなあなあに、俺と少年は廊下へと出た。
もとより授業中のはずで、人通りも少ないアカデミアの廊下を、2人分の足音が通っている。
ややあって少年が立ち止まった。しかし目の前の少年は背を向けたまま、口を開かない。
俺は困って、なにか話そうと思い立ったのに、またしても遮るように少年が突如語り始めてしまった。
「…十代から聞いている、貴様精霊が見えるそうだな」
イラついたように話しかけてくる少年の意図が掴めないまま、言葉を咀嚼する。
しかし実際の所、俺がしっかりと確認できたのは茂木君の一件の時だけだ。
後日何度か十代に、ハネクリボーというカードの絵にそっくりなやつがいるだろうとなんども聞かれたが。
そのハネクリボーの精霊は見えなかった。だから俺はそういう特殊能力があるわけではない、と思う。
『アニキィ〜そんなダイレクトに聞いても答えてくれないかもしれないじゃないのォ』
思っていたのだが。
目の前に突如躍り出た黄色い、少し気味の悪い姿をした"なにか"がいる。
そして俺は、おそらく、いや確実に、そこで自分自身の考えが間違っていたことを理解した。
「あ〜…うん、たぶんそうなるわけだけど…あの、それが君の精霊?」
「!違う、こいつらは仕方なく使ってやってるだけだ」
『ええっ、そんなァ〜!酷いわぁ〜!』
『オイラたちのことそんな風におもってたなんて』
『そうだぜぇ!俺達だってやるときゃやるんだ』
「やかましい、少し黙っていろ!」
どうも少年は、彼にむかって異議を申し立ててくる生き物達がお気に召さない様子だった。
それでも先程の、当初俺に向けられた刃のような視線は、そこには無かった。
年相応の、子供らしい一面を垣間見たらなんだかおかしくて、俺は思わず笑顔でこう零した。
「仲が良いんだね」
「誰がこいつらと!!」
怒り心頭の少年は俺の台詞に対し、不満を隠すことなく投げつけてくる。
その様子が、最初見た少年とは全く血色が違うので、一層面白くて笑えば、今度は物理的な衝撃を味わうことになった。
(なにもこの黄色い子を投げる事はないだろう!)
(この時咄嗟に叱りつけてしまった少年が、かの有名な万丈目グループの三男だと知るまで、あと十分)