まだ寒さも厳しい2月の初め頃、朝早くに、海馬先輩からメールが来た。
何時もなら電話が来るか(夜中)、アカデミアに乗り込んでくるか(夜中)のどちらかのはずだった。
あまりの珍事に、俺は、本文を読む前に保護のかけ方を亮に聞きに行ったのは此処だけの話である。

さながら死刑宣告のよう


今日中に海馬コーポレーション本社に来い。というのがメールの内容だった。
件名はRe:だったのでおそらく、俺が先輩に一度だけ送った、電話番号を教えたメールから返信したのだろう。
なぜ昔のメールが残っているのか疑問に思うが、彼のプライベートフォンには滅多にメールが来ない図が想像できた。

それからはとんとん拍子だった。午前中の業務を早めに片づけ、校長に許可をもらって、午後にアカデミアを発つ。
校長は血相を変えてヘリコプターを出してくれた。そこにきてようやく、俺はメールを返していないことに気が付いた。
ヘリで行きます、すぐ着きます、みたいな内容を打ち込んで、2度確認して送信ボタンを押したのが、1時間前。

そして今俺は、海馬コーポレーション本社の一室に居る。
シンプルな内装に2人掛けのソファーが、テーブルを境に対になって置かれている。

「ここに武藤遊戯のカードが入っている」

テーブルの上にはシルバーのジュラルミンケース。酷く重たそうな外見の通り、木製の机に鎮座している。
向かい側に腰かけている社長から告げられた人物名に、反対側に座る俺は驚きを隠せなかった。

「武藤遊戯だって?」
「…貴様知っているのか」

俺が声を荒げると、腕を組んで座っていた海馬はいささか目を開いて、驚いたようだった。
思わず前傾姿勢になったのに気が付いて、俺はもう一度姿勢を直した。細く息を吐いて、浮いた心を落ち着かせる。

「知らないほうがおかしいでしょう…俺の母校の先輩で、海馬先輩と同期生ですから。しかも伝説と言われてる人ですよ」
「………」
「…なんですかその顔…」

俺だって知っていると、そう反論すれば社長は訝しげな表情を俺にくださった。
貴様はデュエリストでもないのに…、と言外に、嘲笑を含んだ視線で訴えてくる。
何も言わない海馬のその小馬鹿にした態度に少し苛立ちを覚えた。

「そのカードが今度アカデミアに展示されることになった」

あろうことか社長は俺の発言を見事にスルーし、突如本題へと入った。
ここで何か反論したら精神的に敗北を喫する事になる。そんな変な勘違いの元、俺も先程の会話を忘れることにした。
社長は手慣れた手つきでジュラルミンケースの蓋を開ける。
中には確かにカードの束が、高級そうなシルクの布の上に、一切の乱れなく綺麗に積まれている。

「凄いですね。まぁレプリカでも生徒達は喜ぶと思いますよ」
「レプリカではない」

今度こそ俺は絶句した。偽物でないなら本物でしかないとでもいうのか。
伝説と言われる人の、本物のカード。コアなファンは喉から手が出るほど欲しいものに違いない。
これを売ったら幾らになるか、想像するだけでおぞましい。このカードきれ1枚に、万やら億やらとつくのだろうから。

「…えーと、それで、海馬先輩は俺に何をしてほしいんでしょうかね?」

そしてこの男は、このカードを俺に見せて何をしたいのだろう。
よもや武藤遊戯のカードを見せびらかしに来たはずが無い。それだけは絶対にない。
世間でも海馬瀬人と武藤遊戯の対立は半分常識化しているぐらいだ。アカデミア内ではそれについての論争さえある。
なので、嫌でも耳に入ってくる。この男の武藤遊戯嫌いの噂は。
だからこそ疑問でしかたないので、俺はもやもやした気分のまま彼に結論を急いた。

「手を出せ」
「…?こうですか」

そう命令されて、俺は素直に従うことにした。
すると彼はジュラルミンケースの蓋を閉め、懐から取り出した紐付きの鍵をかける。
一連の動作と、俺の手を出すという行為に何の関連があるのか疑問に思っていると、海馬先輩は突如俺の手をつかんだ。
吃驚して思わず固まる。彼は俺の反応を範疇に入れていたらしく、その鍵を掌に載せ、俺の指を折りこみ、俺に握らせた。

「貴様に託す」

彼はダイレクトに、周囲の情報をはしょって、短い言葉で伝えてくれた。
海馬先輩の手が離れていく。俺の握りこぶしの中に残る銀色の鍵は、思っていたより温かい。
なるほど確かに分かりやすい。のだが。意味が分からない。どうしてこの話の流れから、そうなる。
脳味噌が固まった俺を余所に、先輩は淡々と声を発する。

「デュエルのカードに執着の無い貴様は盗まないだろうと見越した上での依頼だ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ…」

手を大げさに振って、海馬先輩に主張する。彼は渋々と言った表情で口を止めてくれた。
何だ、早くしろと睨まれて、俺は頭を掻いた。言いたいことが上手くまとまらないまま、声を出す。

「……記憶違いでなければ、俺、武藤遊戯さんとは一回も会ったことないんですけど…」

甚く不安という思いで語尾を曖昧にさせながら、海馬先輩に助けを求める。
それに、こんな依頼は俺にするんじゃなく、もっと警備のプロとかにやらせるべきだ。
しかし彼はそのメッセージを受け取ることはせず、むしろ突き放す形で俺に死刑宣告を放った。

「ふん、俺の知ったことではない。とにかくあやつは貴様にカードを託すと言ったのだ」

海馬先輩がジュラルミンケースに手をかけた。次の瞬間、その銀色は宙に浮く。

「!?」

俺は咄嗟の判断で腕を精一杯まで伸ばし、身体をひねって、手を広げ、キャッチする。
ずっしりと重たいそれは、俺の必死の行動により、床との衝突をギリギリ回避した。

「そのジュラルミンケース、確かに渡した。後はお前の勝手にするがいい」

だからってこんな渡し方をする必要は無いだろう。寿命が縮まった気がして、ため息も漏れた。
ふと顔を上げれば、いつの間にか立ち上がって、ドアノブに手をかける先輩がいた。
相変わらず行動が早すぎる。おそらくこれが先輩の最たる目的だったに違いないと今になり確信を持った。

「ちょっと、先輩!これ本当なんですか!?」

慌てて声をかければ、今回ばかりは質問の内容が内容だったらしく、素直に立ち止まってくれた。
肩越しに見えた先輩の表情は良く見えない。視線をこちらに一瞬ちらりとくれたことぐらいしかわからなかった。

「俺はお前が無くしても全く構わん。むしろ紛失しろ。盗難されてしまえ」
「やめてください…流石に不吉過ぎます」
「…万が一紛失などしたら俺ではなく遊戯が黙っていないだろうがな」

本当に背筋が凍るような発言を連発してくださった先輩は、至極楽しそうな声で笑いながら去っていった。
俺はぐったりとした面持ちのまま、夕焼けに染まった童美野の港を窓から見た。

(海馬先輩の発言は俺に精神的ダメージを与えるだけでは終わらなかった)
(そしてここから3日先、あんな事件が待ち受けていようとは)