あの後、俺はチャイムが鳴ったことと、乱れた息が整ったことで、屋上を後にした。
今日の仕事はなんだったかと思いだして焦った。校長先生からの直々の頼み事があったからだ。
一気に意識が現実に呼び戻されて、俺はまた同じ道を全力疾走するはめになった。
仕事を終えて、一段落して、また購買の方に顔を出した頃には、俺自身の動きに支障はなくなっていた。
その際十代と鉢合わせになったが、あの時のことに触れるような事は、全く無かった。
一時の休息と閑話
冬も深まって、アカデミアは10日間という短い冬休みを迎えていた。
授業もなく、これと言った娯楽施設もないこの島に残る生徒は少数で、学園内は静まり返っている。
しかし少数残っている生徒のために、トメさんも俺も購買で番をしていた。
「購買も今日いっぱい終わったら、本土の子達が帰ってくるわねえ」
お昼時にも関わらずいつもの賑わいがない中、トメさんはぽつりと呟いた。
カウンター傍のストーブは旧式で、ちりちりと燃える炎が揺らめくたびに顔に熱を感じた。
「そうですね…」
俺はそれに頷きながら同意を示す。2人して手持無沙汰だ。することもないので椅子に座ってくつろいでいる。
窓の付近で露点に達した空気中の水分は水滴となって、いつもなら無表情な窓を、白く飾り付けている。
いつもならもっと話題が弾んでいたものだが。トメさんも心なしか普段より元気がない。
「はーぁ」
「…元気ないですね、トメさん」
ストーブの方向に手を開いて暖を取るトメさんに、どうしたんですかと問えば、彼女は重たいため息をまたついた。
音のしない部屋に響くのは、火を上げるストーブの電気を供給する微かな音だけだ。
ややあって、彼女は普段とは違う声色でぽつぽつと話し始めた。
「あのねぇ、ちゃん―――。」
途中2人組の男子生徒が来て、5つあったドローパンから3つを選んで買っていったので、少し話は中断されたものの、
トメさんの話をまとめるとこう言うことだった。
「ドローパンが盗まれてるんですか…」
彼女はその犯行が行われているということに、5日前に気が付いたという。
最初はドローパンが完売したにも関わらず、卵パンが一つも出なかったことから始まった。
トメさんは確かに卵パンが入っているのを知っていたのだから、それで異常だと分かったらしい。
「しかも卵パンだけよ?気味が悪いわ」
黄身だけに?と言いかけて俺は口をつぐんだ。トメさんはまたため息をついて、落ち込んだ表情をしている。
そもそもドローパンを盗むというのは立派な犯罪だ。生徒がやっているとしたら、即刻やめさせなければ。
何かできる事はないだろうかと思って、俺はトメさんに声をかけた。
「後で校長先生に伝えときましょうか」
「ちゃん、お願いするわ」
アカデミア内に、タイミング良くお昼休みの終了を告げる鐘が鳴り響く。
もう購買の開店時間は終了だ。だけど、俺もトメさんも、ストーブから離れないまま、しばらくそのままでいた。
それから何分か経って、トメさんは立ち上がった。シャッターを閉めるための、L字の金具を手に取る。
「あ、俺やります」
「そう?ありがとうね」
俺は慌ててその役を買って出た。彼女は嬉しそうに笑顔を零した。
シャッターを閉め、もう一度カウンターの方を振り向く。ヒーターの火は消えていた。
目に付いたのは、ワゴンにある、売れ残った2つのドローパン。トメさんはその一つを俺にくれた。
「そう言えば前から気になってたんですけど、これ誰が作ってるんですか」
ここ最近はかなり少ないが、いつもならこのワゴンいっぱいドローパンが埋め尽くされるのを知っている。
パンはかなりの量になる。軽く50個は超えているに違いない。
且つ、このパンはかなり特殊だ。俺は未だ具なしのパンしか当たったことがないが、中身が凄いというのだ。
聞いた話ではラーメンパンだとか、おにぎりパンだとかがある。聞いただけでも胸やけがするような、奇天烈な中身。
それが毎日売り切れるのも有る意味この学園の七不思議に数えても変ではないだろう。
そんなことがあるので、ふとした疑問が湧いて、解決のため意のまま口に出す。
彼女はお茶面な仕草と一緒に俺に驚きを齎した。
「やぁね、ちゃんたら。私よ、わ・た・し」
(左手に握りしめていたL字型の金具を取り落として、耳が痛くなった)
(購買を閉めてトメさんと別れた後、袋を開けて出てきたのはやはり具の入っていないパンだった)