十代に手伝ってもらったお陰で、レッド寮の清掃を当初の予定より早く終えた。
途中文句を垂れながら、なんだかんだ最後まで手伝ってくれた彼は良い子なのだと再認識する事もできた。
あれから1週間。許しを貰った十代は学園の実技授業に戻り、俺も通常のデスクワークに戻っていた。
真夜中の遭遇
「はー疲れたー」
ひんやりとした外の空気より多少和らいだ冷たさの自室に入る。
俺は身に着けていたマフラーや手袋、コートを脱ぎ捨てて、ヘロヘロになった身体をソファーに横たえた。
ソファー横のヒーターのスイッチに手を伸ばして暖を確保するが、電気を点ける気力もないまま瞼を伏せる。
デスクワークで疲れた体は正直なもので、すぐ意識がまどろんでいく。
「おい」
―――はずだった。
暗闇の中に突如、男の低い声が聞こえた事に驚き、俺は目を覚ます。
慌てて起き上がって、暗闇に慣れない目を必死に動かしていると、ようやく何かを視界に入れることができた。
背の高い人物であること以外は分からないものの、この状況が異常であると理解する。
「誰だ…?」
テーブルの向こう側に立つその男に向かって、回らない頭のまま話しかける。しかしその男は何も答えない。
徐々に闇に慣れてきた目を凝らしていると、雲に隠れていたらしい月が室内まで光を差し込んでくる。
奇妙な沈黙と距離を保ったまま、その姿が俺の前に露わになった。
「(なっ…おばけ…!?)」
気味の悪い緑色の肌に、毒々しい装飾を身に付けたそれは人と呼べるようなものではなかった。
声も出せないほどの恐怖を肌で感じて、俺はそのまま固まった。
此方に来ることもなく、ソファーに横付けられた低いテーブルの向こうに佇んでいるそれは、動こうとしない。
透けた体がより一層俺の恐怖感を助長する。手が震えるのを、ぐっと拳を作ることで無理矢理押さえ付けた。
「お前がだな」
低く、篭った声が俺を指す名前を言う。俺は口を開けなくて、首を縦に1度、ゆっくり動かすので精一杯だった。
お化けと、いやむしろゾンビとも言うべきか、そいつと意志の疎通が出来ることに驚く。
徐々に熱を吐き出すヒーターの音が静まりかえった部屋を満たしていく。
何分経ったのかわからないが、随分長く感じられる沈黙を破ったのはそいつだった。
「カードの精霊が見えるんだろう」
「…は…、せいれい?」
発言の内容が分からずに掠れた声で聞き返せば、その気味の悪い幽霊は瞬きのうちに俺と間合いを詰めてきた。
目の前に立ったその男が、首元に何か冷たいものをあててきた。
ソファーに横たわったままの俺は身動きを取れないまま引き攣った悲鳴をあげる。
「ひっ…」
考えなくても、首にあてられたものは何か良くない物だとわかる。
お陰でパニックに陥った俺は、頭が真っ白だった。冷静な判断をする脳の容量が削られて、体がいうことをきかない。
目の前まで迫ってきたそのお化けは怒りをぶつけるように声を荒げた。
「何故デュエリストでないのだ!?早く答えろ!」
「お、俺!カードで遊ぶような年齢じゃないですからっ」
あまりの形相に俺も釣られて大きめの声で答える。最後のほうなんかはひっくり返った裏声になってしまった。
正直怖くて何て言ったかよくわからない。なんだかとんでもない事を口走った気がする。
だが既に時遅く、発言を取り戻せないまま、またしばらく沈黙が流れる。
心臓が体中に血液を循環させるために鼓動を続けているが、異常なほど早い。
「…ふん、そうだろうな」
何かに納得してくれた様子のそいつは、俺の前から瞬時に姿を消した。
首にかかっていた冷たい重圧が離れて、俺は詰めていた息を細切れに吐き出した。
また瞬間移動の芸当をやってのけたそいつは、今度は窓際に立っていた。
「貴様の魂は器と同じには見えん。異世界人とでもいったところか」
こいつは一体何者なのかわからない。俺は正体不明の不安を抱えたまま、言葉を咀嚼する。
魂と器が同じでない、異世界人。
聞き慣れないワードが俺を指していると理解した途端、情報の断片が整理されるのを感じずにはいられなかった。
つまるところ、こいつは俺が"俺"じゃないことを知っているのだ。
かつ、自分がもともと居た世界と、似て非なるこの世界に、やってきてしまったことも。
どうして、俺しか知り得ないことをこの化け物は簡単に言い当てたのか。
先程の口ぶりからして確信を持ったものであることは、容易に推測できる。
もしかしたら俺の知らないような、詳しいことを知っているようでもあった。
この時俺は、長年放棄していた元の世界に帰るという事を思い起こし、淡い期待を抱きながら、震える声で質問をぶつけた。
「なんで、それを」
しかしそいつは俺の期待した答を言うことはなくて、ただ意味深に笑うだけだった。
(そう言い放った気味の悪いゾンビは間違いなく俺の知らない事を知っている)
(直後俺の目の前からそいつは闇に同化し消えていった)