あれからさらに2週間。俺は今、仕事場に復帰している。
以前の一件で生徒達から声をかけられていたが、2週間も経てばその事も下火になっていた。
むしろ前日、一斉に行われた筆記試験の方に意識がいったので、悪目立ちすることはなかった。
しかしそのお陰で、俺はその試験結果の集計に追われることになるのである。

ストレス社会に悪戯心を


パソコンの画面と傍らに積まれた書類を睨み続けて、早数時間が経った。
軽く500枚以上はある生徒達の試験の結果(今時珍しい手書きの書類だ)を、データ化するために打ち込む。
淡々とした終わりの見えない作業だが、それでも着実に書類の厚みは減ってきている。
現に今、ようやく1年生の束が終わったところだ。一息つこうと、腕を伸ばして伸びをする。ボキと大きく骨が音を立てた。

「いてて…あ〜…疲れた…」

机に向かっている時間が長すぎて、腰が痛い。ずっと座り続けると言うのも辛いもんだ。
どんよりした空間に、重たい肩と腰も相まって気分は最悪だ。切れてしまった集中力はなかなか戻らない。
もう一頑張りするために気分転換の飲み物でも購買に買いに行こうか。あそこにはトメさんも居るし、丁度良いと思う。
背もたれに思い切り体重を乗せた状態でくるりと椅子を回転させると、この部屋の前の廊下を歩く2人組を発見した。
それが見慣れたものであると分かって、俺は立ち上がり廊下へつながる扉を勢いよく開いた。

「あでっ!」
「あ、すまない…って、十代じゃないか」

外側に向かって開く扉を開ける。少しだけ、ほんの少しだけタイミングを図って、狙ったのは此処だけの秘密だ。
すると痛そうな音と同時に予想していた悲鳴が上がる。2歩ほど後に翔が居て、呆れた様子で俺を見ていた。
翔は、此方の様子が見えていたらしい。そんな彼の視線を尻目に、わき腹を押さえてしゃがんだ十代を見下ろす。
どうやら彼に当たったのは扉の取っ手の部分だったようだ。そりゃ痛いわけだ。心の中で合掌しておこう。

「〜っ!わざとだろ!」
「だから、悪かったって…」

勘の良い十代もすぐに気が付いてしまった。非難轟々の十代に繰り返し謝って、翔がそのうち諫めてくれる。
閉じた空間の中で無機物を相手にするよりも、反応がいちいち想定外で飽きないのが楽しい。少し気分が良くなった。

「で、わざわざ俺にぶつけてまで部屋から出てきて…なんの用だよ?」

むすっと納得いかない様子で俺を睨みつける彼は、何処となく楽しそうにする俺の様子に気がついたようだ。
不機嫌な声が俺に質問を投げかけてくるので、ここは素直に答えることにした。

「ん?まぁ、ちょっと気分転換にね。…全学年の中間テストの集計してたら疲れちゃってさ」
「うげぇ…」

中間テスト、と言った瞬間に2人の顔色は何とも言えない、悲哀にも似た表情に変化する。
十代に至っては声を出して、露骨に嫌そうな顔をした。

「集計ってことは、俺ら1年のも…?」
「ああ、やったけど」
「ど、どうだったんすか…?」

戦々恐々、この世の終わりの結末を聞きに来たような、ぶっ倒れそうなほど青い顔で翔が俺に尋ねてくる。
その隣にいる十代はそこまで酷くはないが、それでも良い顔と言えるものではなかった。
ちょっと可哀想だなと思って、本来は決められた日以前はご法度であろう成績開示をちょっと先取りすることにした。

「ちょっと待ってろ〜」

個人情報があるので部屋には入らないようにと釘を指して、パソコンの傍に戻る。
エクセルで打ち出した表から、翔と十代の点数を確認するために検索をかける。
翔と十代は赤寮ということもあって、表の一番下の方から数えたところに名前はあった。

「(…こりゃまた)」

他の赤寮の生徒達の半分ほどが奮闘して平均点をあげているにもかかわらず、見れば二人とも平均にも至っていない。
ふと、仕事で疲れた俺の心に悪戯心がムクムクと浮かんでくる。
口の端が勝手に上がるのを人ごとのように感じながら、俺はノートパソコンを閉じて机を離れる。
閉まっている扉をまた開くと、そこから少し離れた位置に十代と翔が待っていた。

「…赤点は免れていたよ」
「よっしゃー!」
「よかったっす〜!」

本当は、カイザーと呼ばれる男の弟君が、それでいいのかと少し説教したくなるほどの点数だった。
が、それは彼のプライドのためにも、周囲との円滑な関係性を保つためにも心に留めておくことにする。
叱るより褒める方が子供は伸びると教育のテレビでやっていたことをこのタイミングで思い出した。

「まあ、良くやったな」
「…うん!」

軽く笑顔を見せながら肩をぽんぽん叩いてやると、翔はとても嬉しそうに返事をした。
しかしちょっとやり過ぎただろうか。彼は少し、調子に乗る癖がある。
これでテストが返されたとき、赤点と1点しか差が無いことに落胆してしまいそうだ。
そんな事になったら俺も何だか居たたまれない。ちょっとした思いつきだったのだがどうしたものか。

「俺もだろ〜?」

十代は翔だけに話しかけた俺に、労いの言葉をかけてほしいようだ。
ちょっと調子に乗ったその言い様が癪にさわる。期待の視線を向けた十代に、俺は笑顔でこう言った。

「ああ、十代は赤点だったな。補習頑張れよ」

翔と同じように肩をぽんぽん叩いて、俺は購買に向かうために2人から離れていった。
ずいぶん前トメさんにリクエストした栄養ドリンクの入荷の日が今日だったことを思い出して、無意識に笑みを深めた。

(三十路を越えてから初めての悪戯は、子供の頃となんら変わらなく、酷く気分を高揚させるものだ)
(響き渡った十代の悲鳴に驚いた生徒達が何人も立ち止まっていた)