淀んだ闇の中で、俺は漂っていた。背中がやけに重たい。
身動きが取れない上に、背中の違和感の正体が分からない。何かが光っているらしく、後ろを見てもただ眩しいだけ。
視界の黒に慣れた目で辺りを探ると、少し離れた先に赤いぼんやりした何かと茶色いぼんやりした何かがある。
ややあって、赤い方は人だと気づいた。手を伸ばしている。誰だ?見えない、光がどんどん強くなってくる。
近寄る人が誰なのか分からないまま、そこでその景色は途絶えた。
途絶えた景色の続き
それが夢だと気がついたのは、目を覚ましてからのことである。
でもその時にはすでに、夢の中身の大半は頭から消え去っていた。
「…っ!」
声にならない声を出して、俺は目を見開いたが、その先に天井を見た。
白い。でもそれは夢の中ほど強烈なものではなくて、温かみを持ったそれはずいぶん遠い位置にあった。
それから、俺の口内の水分が渇ききっている事に気がつく。口を閉じると少しマシになった。
周囲の白いカーテンや薬品の置かれた棚、ほのかなアルコールの香りから判断して、此処が保健室だと憶測する。
鉛のように重たい身体は上手く起き上がらない。特に背中が熱を持ったように鈍く痛んでいる。
肘をついて枕の方に下半身をよせれば、不格好ながらも上半身を起こす事ができた。息を吐き出して痛みを堪える。
その際に右腕に針が刺さっている事に気がついた。
伸びる管は金属の棒に吊り下げられたパックに繋がれ、その中にある透明な液体を通している。
包帯は右足と、背中を覆うように胴体に巻かれていて、頭に触れると軽いたんこぶができていた。
「(どうしてこうなってる)」
落ち着いた痛みの後に今一度辺りを見回す。綺麗に片づけられたごく普通の病室のようだった。
右手前、奥の方に小さく開いている窓から見える景色は赤と黄色と緑の、ハッキリとした色彩に変化した木々。
太陽の位置は窓から見えないものの、入り込んでくる日差しが少ないことからして、お昼前後だろう。
丸い座イスが俺のベッドの隣に2個並んで置いてあって、その傍らの木目調のテーブルには小さい花束が1つと、花瓶に飾られた3つの花束。
さらにそのテーブルの足下にはいくつもの紙袋。サイズも色もばらばらな箱が入っているようだった。
「(…何日意識が無かったんだ、俺は)」
まるで長期期間入院していたような物の溢れように戸惑いを隠せないでいると、
ウイーンという機械的な音と同時に、左手のオートドアが左右に開いて、この部屋にあった仕切りを無くした。
俺がそちらへ顔を向ければ、赤い男子用制服を着て、手下げの袋を抱えて廊下に立つ十代の姿を確認することができた。
「あ、十代…」
俺の姿をとらえて、声を耳にしたであろう十代は凍りついたように固まって、面白いぐらいの百面相を俺に披露してくれた。
一瞬目を見開いたかと思うと、眉毛を下げて、泣きそうになって、口元を開いて言葉にならない何かを言わんとしている。
微妙な空気の中、沈黙に耐えきれなかった俺がもう一度十代を呼べば、彼は今度は手に抱えていた袋を落とした。
「!」
それからの十代の動きは早かった。大声で叫び、落ちた袋などお構いなしで俺に駆け寄ってきた。
呆気にとられる俺を余所に十代は勢いを殺さないまま、風に靡いたカーテンを煩わしそうに手で退けてベッドまで全力疾走。
当然そのスピードでは急に止まれる訳が無くて、俺の横たわるベッドに飛び乗る形で俺に抱きついた。
「でっ…!」
心体共々、彼を受け止める準備は間に合わず、俺は十代のタックルのような抱擁により肺を潰されたような声を出した。
胴周りに回された彼の腕が、俺の動きを拘束して、俺は小さく息をのみこんだ。
「!ぁ!っ……」
今までに聞いたことがない悲痛な声。自分の耳を疑う暇もつかせないほど、彼はうわ言のように何度も俺の名前を呟いた。
俺の胸のあたりに顔を押し付ける十代の顔はうかがえない。
カーテンが風でふわりと揺れて、窓の外から木の葉が掠れる音がする。
秋晴れの空に吹く風が強くなってきているらしいようだった。
「…十代」
一言、彼の名前を呼んでも彼は動こうともしない。むしろ回す腕に込めた力を強くするだけだった。
どうしたらよいか分からなくて、困ったなあと、唯一動かせるひじから下の腕を軽く上げて頭をぽんぽんと撫でた。
思ったより癖のある茶色い髪の毛の感触が肌越しに伝わってくる。
「よ、かった…」
しばらくその状態で、窓の外を眺めていたら小さい声が聞こえてきた。俺はそっと、撫でていた手を止める。
ベッドに片膝をつける形で俺に抱きつき、胸のあたりに額を押しつけていた十代が、少し身体を離して顔をあげた。
彼は涙こそ流していなかったものの、酷く苦しそうな表情をしていた。
「め、覚まして、くれてっ、良かった…!本当にっ、俺…俺…」
真っ直ぐ俺を射ぬいていた彼の視線が、言葉を一つ一つ紡ぐ度に落ちていった。
完全に俯いてまた表情が見えなくなった彼に、どう声をかけていいのか分からなかった。俺は口を開けなかった。
「…俺っ、…が、ずっと目、覚まさないん、じゃな、いかって、おも、て」
オートドアはいつの間にか閉まっていて、外から零れていた太陽の光は雲に隠れている。
半袖の裾の上から強く握りしめる十代の手の暖かさが、やけにリアルだった。
(さながら過去に同じ過ちを犯した事を悔いているように、赦しを請うように)
(この時の彼と俺の異変は、始まりの序章の一部にすぎなかったのだ)