俺は小さい頃、不思議な経験をした。
一概に幼少期と言っても、俺は奇妙な人生を送っているから、その定義は一般の物とはかけ離れている。
精神的には25歳だけれど、その意識が宿る肉体は10才、その頃のことだ。
なぜこんなことになったのかと言えば自分もうまく説明はできない。
けれどとにかく、俺は確かに現にそういう人生を送っているのだから、俺の中では真実なのである。
そんな不思議な体験の時、俺は、俺よりも年下の男の子と一緒だったと記憶している。
あの時の子供を、今目の前にいる少年と結びつけるなら、おそらくこの少年は俺の知り合いとなる。
邂逅のメモリー
時は8年ほど遡る。
俺は当時、世間では10才として扱われ、小学4年生として学校に通っていた。
義務教育だから仕方がないが、そこは2度目の義務教育。勉強はあくびが出るほど簡単だった。
自分で言うのもなんだが、成績はまあまあ優秀で、運動もそこそこ出来ていた方だと思う。
それでもあくまで普通の"子供"として振舞って、クラスの友人と日々を過ごしていた。
8才の時にはすでに、"俺"には父親がいなかった。母は愛していた父を失ったことで、非常に不安定だった。
その反動だろうか、今となっては知る術もないが、10歳の誕生日の4月1日の夜から、母は俺に暴力をふるうようになった。
いくら俺が数え歳で25才の頭脳を持っていたとしても、10歳の体では、母の力には抗うことが出来なかった。
前の記憶を持っているとはいえ、この母はこの現実の世界において俺自身を養っている唯一無二の肉親である。
その暴力は決まって父の死んだ時刻の夕方に行われた。母の魂の叫びにも感じられて、俺は無碍にすることができなかった。
かといって俺だって痛いのは嫌だったし、そんな母を見ているのも流石に辛かった。
だから、級友と学校や公園で、夕方遅く陽が暮れるまで遊ぶことが日常の大部分を占めていたのだ。
いつか母からの暴力が止むことを願って。
それから、一学期が終わって夏休み。
長期休暇とあり、必然的に家の中に居ることが多いものだが、俺は毎日早起きして外で遊び回っていた。
母は朝に弱い、だから俺はいつも母の代わりに朝食を作るのがここ2年間の間に習慣になっていた。
元より料理は嫌いではなかった。大学生時代は自炊していたから、あまり苦にはならなかったし。
そして今日も今日とて、朝食を2人分適当に作り上げ(大して美味くないが)、一つを胃の中に、もうひとつを冷蔵庫に収める。
「(いってきます)」
玄関先で立ち止まり、心の中でそう言って、俺は外へと飛び出していくのである。
その頃、俺は子供の殻を被った、猫かぶりの"少年"だった。
確かその日は、珍しく食器を洗わないで家を出てしまった日だった。
公園の茂みに隠してあるサッカーボール。俺と俺の友人だけが知る隠し場所だ。
夏休みに入ってからは何時も、俺がこのボールを朝一番に触る。
植木が植えてある土を覆うレンガに足をかけて飛び乗り、慣れた一連の動作でボールのある場所に手を突っ込む。
「…ん?」
しかしいつまでたってもボール特有の感触が無い。
おかしいなと思って茂みを少しかき分けて見ると、そこにあったのは茶色い毛玉だけだった。
「(何だ、これ)」
少し土まみれで色あせたあの球体は周囲に見当たらない。あるのはこの毛むくじゃらの何か。
俺はぱっと見、猫か犬かと思ってその手を伸ばし、正体を確かめようとする。
掌に伝わる温かさは、確かに生き物のそれだったので、俺は動物の類だと信じて疑わなかった。
が、それは違うのだと、次の瞬間に思い知らされることになる。
「クリ〜?」
突然動き出したその毛むくじゃらには、大きな目と白い翼、おまけに鳴き声までもがついていた。
今までの人生で(もちろんその前だって)一度として遭遇したことがない、奇妙な毛玉だった。
俺が驚いて手を引っ込める。得体のしれないコイツは何なのだ、触って大丈夫だったのか。
パニックで固まっていると、毛玉は俺の方を見てその目をぱちぱちと動かした。
「(う、動いた…!?)」
当初の目的、サッカーボールのことなんかすっかり忘れていた。
目の前の動く毛玉はころりと俺から離れるように転がった後、お飾りのような小さい天使の羽を動かして、飛んでいった。
その様子はどこか慌てているようにも見えた。
周囲に生える木より高い所まであっという間に上昇すると、その毛玉は空気にとけるように消えてしまった。
何が起きたのか理解する暇もなく、尻もちをついて固まったままの俺は後ろから声をかけられる。
「ねー!」
びっくりして肩を大げさに震わせてしまう。
声の元を見やれば、そこに居たのは先ほどの毛むくじゃらを思わせる茶色い髪の男の子だった。
赤いTシャツに白い短パンを履いている、少し釣り目がちの少年。
「あーそーぼ!」
大きな目をキラキラ輝かせて、力いっぱい、という感じで叫ぶ声が俺の鼓膜を揺らした。
呆然としたままの俺はその声で、今までストップしたままの意識が戻ってくるのを感じた。
今のは夢だったのか?白昼夢か何かか?それとも現実?思考はぐるぐる回っている。
目の前の少年は反応の無い俺にしびれを切らした様子で、先ほどよりも大きな声でこう言うのだ。
「おれ、ゆーきじゅーだい!」
ぐわん。と、耳を劈くような、今までに聞いたことのないほどの大声だった。
耳がキンキンする、先ほどまでの思考を止められて思わず顔をしかめながら、さっきの少年の自己紹介をリピートした。
「…ユーキ、十代?」
「うん!」
名前と年齢を言う、ちょっと変わったこの少年、ユーキは、俺の言葉に嬉しそうに頷いた。
十代、なんて難しい言い回しをするな、と変に思う。
先ほどまでの茶色の毛玉の事はひとまず置いておくことにして、目の前の少年に意識を向ける。
彼が俺に声をかけた理由は至極簡単なものだった。
「なー!あーそぼーっ!」
「…ああ、いいよ!」
歳も同じだ。断る道理もないし、1人で暇でいるよりもマシだと思う。
にっ、と笑いその誘いに乗ることにして、俺は茶色いレンガから軽くジャンプして着地した。
「なまえ!」
ユーキはあいも変わらず笑顔のまま、俺に単語をぶつけてきた。
少年特有の高い声で言う彼はボリュームのコントロールの仕方を知らないらしい。
先ほどまでレンガ分の距離があったからあまり気付かなかったけど、相当この声はデカい。
「俺は」
「?」
「うん。俺もお前と同じ、十代だし」
そう茶化して言うと、少年の顔はよりいっそう笑顔になる。
じゅーだい、じゅーだいと繰り返す少年はさながらオウムみたいで面白かった。
この少年は十代という言葉の意味を知らないんじゃなかろうか、などと、ちょっと失礼なことを思いながら。
「んじゃ、何して遊ぶか。サッカー?キャッチボール?何でもいいぜ、」
そう言った瞬間、ユーキの顔が変わる。目が一瞬変わった気がして、すぐ笑顔になる。
どう変わったと言われても説明が難しいのだけれど、とにかくその一瞬、彼は笑顔じゃなかった。
彼は俺の腕をがっちりつかんで、引っ張り、走り出した。
「わっ…おい、何して遊ぶんだよ?」
ユーキに導かれるまま俺の脚も前へと歩を進め出す。もう一度問うと、彼は振り返ってまた俺の鼓膜を劈いた。
「でゅえう!!」
「…え?」
聞いたことのない音の響きに、俺は反射で聞き返した。
今思うと俺はこの時、この人生で初めて、デュエルという言葉を聞いたのである。
(ユーキは公園のベンチまで俺を連れてくると、色々なカードを見せてくれた)
(この出会いが、俺を不思議な体験へと導いていくとは知らずに)