明日香ちゃんに零した俺の彼女いないという悲しい事実は、アカデミア内の数少ない女子にはあっと言う間に広まった。
お陰で女子生徒からきゃあきゃあと持て囃されるようになった。
オプションで何故か丸藤亮の兄という設定まで広まっているが(亮や明日香から聞いた女子達が広めたに違いない絶対に)、
可愛い若い女の子に囲まれるのはまんざらでもない。俺とて一端の男である。嬉しくないはずがない。
しかし当然のようにそれを良く思わない輩もいるわけで、ある意味俺はこの閉鎖的な学園内で噂の人物となっていた。
面影を重ねて
先日、ようやくオベリスクブルー寮における全ての清掃を終えた。
クロノス先生に廊下やらエントランスの掃除やら頼まれ、NOと言えない俺の性格が祟り、全てやることになってしまったのだ。
掃除の手際は悪い方ではないが良い方でもなかった俺だったが、あの七日間でスキルが上がった。確実に。
おまけにオベリスクブルーの生徒の、何人かと会話が出来て、学園について知らなかった事なども色々と聞けた。
まあ、良いトコの坊っちゃんやお嬢様なんかは俺を視界にもいれなかったが。
何だかんだ言って、楽しかったのは事実。話しかけてくれた子たちは、皆良い子ばかりだったし。
「(ん…PDAに、メール?)」
しかし、あの一週間は休みなしだったので今日こそ休みたいと思っていた。
太陽がまだ海の向こうに沈んでいる5時頃、仕事は容赦なく俺の元に転がってきたのである。
学園にきた際に渡されたPDA(全生徒、教員と連絡の取り合いが可能な優れ物だ)の受信箱を見れば、教頭室に来いとのこと。
今度はラーイエロー寮の掃除かと、覚悟を決め清掃用具一式を背負い、フル装備でナポレオン教頭に会いに行けば、言われた一言はこうだった。
「今日は購買の仕事を頼まれてほしいのであ〜る」
あっけにとられる俺を余所に、話はとんとん拍子で進んでいった。
トメさんが仕入れで不在という事実、渡されるエプロンと購買の制服、購買部の仕事内容等が簡潔に書かれた紙一枚。
それを半ば押しつけるような形で渡すと、ナポレオン教頭は忙しい忙しいと言いながら、PDA片手に早歩きで去っていった。
…以上が、今朝俺に起こった全ての概要であり、今俺が購買のレジ傍の椅子に座る最たる理由である。
トメさんと何時も一緒にいるもう一人の購買の女性のセイコさんも一緒に仕入れに行ってしまったらしく、今日は居ない。
コンビニでバイトしたことはあるから要領は分かるが、いくら小さいとはいえ、1人で任されるなんて初めてだ。
商品の準備は朝早くにトメさん達がやってくれたらしいので、俺は陳列をするだけだった。
それも終わった今、俺は使用方法が不明瞭なレジスターと睨めっこしているというわけである。
当然ながら使ったことはあるのだ。コンビニの、レジスターを。
しかし、この購買に置いてあるコレは、あのレジスターとタイプが全く違っていた。
カラーでなく、古い携帯電話のようなディスプレイに時代を感じた。今時こんなの、何処にも置いてやしない。
ぼんやりトメさんの顔が浮かんで、このレジのチョイスが誰によるものなのか分かった気がした。
「(うん…大丈夫だよな、たぶん、基本は一緒だ)」
古びた色合いの鳩時計が7時半を告げる。
綺麗な字で手書きされた、おそらくトメさんお手製のマニュアルを見れば、その時間が開店の時刻らしかった。
俺の体重をかけていたパイプ椅子を壁に立てかけて収納し、内側からシャッターを手動で開けた。
「どっこい、しょ」
視界の先に広がったのはアカデミア内の廊下。
授業が始まるのは9時かららしいので、まだ生徒の姿は見えなくて、それが当然なのだろうと思った。
シャッターをL字型の金具で完全に上まで押しやった所で、金具を置くためにカウンターへと一度戻る。
元置いてあった場所に立てかけた途端、思いもよらない大声が両耳を劈いた。軽く心臓が跳ねる。
「トメさん!今日まだ黄金の卵パンでてないよな!?」
とんでもなく、大きな声だった。ただでさえ静かな環境に突如生まれた音に驚き、キンキンする頭をさすった。
バタバタと音を立てて駆けてくる人影がカウンターの前辺りで止まった。俺は顔をあげて言葉を返す。
「今日はトメさんはいないよ…」
音の原因の方向には、カウンターに身を乗り出して此方を見ている茶色い髪の少年がいた。
少年の声に、一瞬だけ、デジャヴュを感じた。こんなこと昔もあったような気がする。
気がするだけで実際は無いことが多いのが即視感の悪い所だ。俺はおもむろに腰を上げ立ち上がった。
嬉しそうな表情を隠す事をしなかったその少年は、俺の顔を見て、その表情を驚愕のものに変えた。
そしてその目を、その口を大きく開いて、俺をびしっと指さした。
「あーっ!お前!」
「な、?」
指を指されて大声で叫ばれたのに釣られて、俺は思わず身構えてしまう。
なんとも自由奔放で元気な少年だと呆然としていたら、カウンターに置いていた左手をがっちりと掴まれた。
何だ、この子は。あまりに唐突で何の反応も出来ないでいると、彼は周囲に花が咲きそうなほどの笑顔で俺の名を叫んだ。
「!お前、だろっ!?」
「あ、は、はい…」
「うわあ〜!こんな所で会えるなんて超嬉しいぜ、ーっ!」
彼の両手で握りしめた俺の左手は、ちぎれんばかりに勢いよく上下に振られる。
がくがくと上下に振られる感覚が腕伝いに全身に来る。どうもこの話ぶりからして、この少年は俺を知っているようだ。
白いラインが入っている全体が赤い制服は、レッド寮の1年生の証であるが、彼はそれに該当していた。
「(だ、誰なんだ、?この子は…)」
しかし、俺の記憶の中に、このような少年に該当するような人物が思い浮かばない。
最近顔も名前も一致するようになった生徒なんかは片手で数えられる。加えて全員ブルー寮の子達である。
疑問ばかりが頭を占めるものの、彼は全く手を放そうとしてくれないし、その意志さえ見えなかった。
きらきらと輝く少年の無垢な瞳に、俺は真実を告げることができないまま、乾いた笑いを零した。
「一瞬誰かと思ったけど、その目っ、やっぱりだったんだ!」
この短時間での唯一の発見は、俺はこの少年に、前の俺自身が飼っていた柴犬の面影を見出したことぐらいだった。
(亮の弟の翔くんが来てくれるまで、俺はこの少年、十代くんに関する疑問を解決することが出来なかった)
(助けてトメさん)