トメさんの誤解もとけて、教頭先生や鮫島校長とも会い、事務員として正式に就職することが出来た。
教員宿舎とされる場所は大部分の部屋が荷物置き場になっていたが、それでもブルー寮と同じぐらい綺麗な造りをしていた。
あれだけあった荷物も綺麗に収納されて、俺自身その部屋の雰囲気にも馴染んできた。
この学園に来てから3日目の今日、俺はこの学園で初めての仕事を任されることになった。
そう、清掃という名の、雑務を。
歳不相応の出来事
俺は今、オベリスクブルー寮の窓の清掃に勤しんでいた。
欧米式の年度末、要するに8月頃に外壁は白く塗ったそうなのだが、窓までは手が回らなかったらしい。
学生が出はらった朝の9時過ぎから仕事しているが、当然ながら1人では効率も悪く、こんな大きな建物だ、1日で終わるわけがない。
1階部分の窓の、最後の一か所を水拭きしながら、明日は2階かとぼんやり頭の片隅で思った。
空の赤が海や湖に反射して空気まで染めているような、独特の雰囲気の中。
そんな夕方、学園の生徒達がアカデミアの授業を終えるチャイムの音が鳴り響きだした。
「(まぁこんなもんか)」
その音を聞いて顔をあげ、せわしなく動かしていた雑巾を握る手を止める。
傍らに置いてあったバケツの水に浸せば、透明なその水はほんのわずかな時間で濁っていく。
左手の袖口で、額に伝う汗を乱雑に拭ってつめていた息を吐いた。
ふと、綺麗になったガラス窓に移った影が、自分以外にもう一つあることに気がつく。
「あなたがさん?」
トーンの高い声が、自身に馴染みのある名前を呼んで俺の鼓膜を揺らした。
振り返ればそこにいたのは、青の女子用制服を身にまとった、くすんだ金髪の美人な学生。
意志の強そうな瞳が此方を射ぬいている。
「はい、そうですが」
俺は生徒との接点が今日の今日までほとんどなかった。教諭でもないし、紹介されるような機会は1度だってなかった、はず。
名を知っていることを不思議に思いながら返事すれば、彼女はこう続けた。
「亮から話は聞いています」
「亮から…」
知人の名前が出た事に驚いた。彼女は亮とどういう関係なのか?
今度問い詰めてやろうとぼんやり頭の片隅に置きながら、彼女の次の言葉を聞いた。
「私は天上院明日香。オベリスクブルーの1年で、亮は友人です」
礼儀正しくそう挨拶する彼女の名前を聞いて、2日前の亮との会話を思い出す。
彼女は亮の友人の妹さんだという。なんでも、この学園で行方不明になった友人を探すために2人で協力しあっている、らしい。
故に名前こそ知っていたが、ここまで美人さんとは思いもよらなかった。
圧倒的に男が多いデュエルアカデミアの中で、お兄さんを探すために奮闘している…
そう考えると、この女の子は美人なだけではないのだと感じられて、自然と顔の筋肉も緩んだ。
こちらこそよろしくね、と笑いかけると、目の前の少女に顔をそらされてしまった。
「あの、突然で申し訳ないんだけど…質問があって」
何か変な顔でもしてしまっただろうかと首をかしげていると、彼女は眼を合わせないままこう呟いた。
続きを促せば彼女は、今度は顔をあげて、何かしらの思惑を持った視線で俺を見つめていた。
「どうぞ?」
まぁあり得ないことだろうが、俺の笑顔にやられたのかもしれないと自惚れてみる。
…なんてアホらしい。いくら俺の顔が"以前"よりも整っているとはいえ(こんな風に言うのも心が痛いが事実だ)、
こんな別嬪さん相手じゃ、しがない清掃員姿の俺よりも亮と一緒に居る方がお似合いだろうに。
「さんは…彼女とかいるんですか?」
「へ?」
予想外という言葉がしっくりくる事態に、俺は間抜けな声を出してしまった。
一応これでも人生2度目で、かつ精神的には33年目になるのだが、一応初対面の女の子にこう言われるのは初めてだった。
飲み会とかのシチュエーションならともかく、夕下がりの、このタイミングに。
美人さんに、異性として気にしているような台詞を言われるのは嬉しい。たとえ33歳になっても。
「い、ないですが…なんでまた?」
久しぶりに感じる、むず痒いような心の高鳴りを抑えつけながら質問に答え、かつ疑問をぶつける。
すると少女はまたしても、俺の予想をはるかに越えるお言葉をまた、ぶつけ返してきたのである。
「私の友人に頼まれたんです…すいません、変な事聞いてしまって」
一日中炎天下の下で煮えたぎっていたはずの俺の脳が一気にクールダウンするのを、人ごとのように感じていた。
(後の明日香ちゃんの話で、俺は、何故か、いつの間にか、カイザー亮の兄として噂が広まっていると知った)
(噂を広めた人物、その根源に心当たりがある気がしてならないのは、気のせいだろうか)