トラックから下ろした荷物と俺に向かって大きく手を振りながら、トメさんは颯爽と車で走り去っていった。
左手にそびえ立つ美しい白と青の建物を見て、柄にもなく胸が高鳴るのを感じた。
今日になってようやく、1ヵ月ほど前にした先輩との口先契約は夢でなかったのだと目の当たりにし、
同時に彼が本当に社長だったのだと感服するに至るのである。

万有引力は変わらない


2個の大型スーツケースに、ボストンバック3個という大所帯の俺は、エントランス前の扉の前で動けないでいた。
理由は至極簡単なことであった。鍵がないので、扉が開かないのである。

「(そもそも、そういった類の物を貰ってないような)」

普通に考えて、今出はらっている職員の寝泊まりするところに鍵がかかっているのは当然のこと。
しかしそれを知る術をもたなかった俺がトメさんやクロノス先生に問いかけることは不可能であるのだ。
無知は罪だと過去の自分を責めつつ、どうしようもないこの状況。
俺は移動することすら面倒になり、いっそのこと誰かが来るのを待つことにした。

「どっこらせ、」

入口の前の荷物を階段脇によせて、俺は扉前の段差に腰をおろした。
職員の宿舎だと言うのだから、誰かしら来るに違いないだろう。
そう思って、目の前に広がる湖と森、そしてその先の海と空を眺める。
美しい景色だと思った。まるで湖が空と一体化して、湖が海と空の隙間を埋めるように佇んでいる。
秋先とあって葉は色づき始めている。それがまた絶妙なグラデーションを醸し出しているのだ。

「(良い所だなあ)」

これでお酒と軽い日陰と、扇風機なんかがあれば最高だと思う。
残念なことにこの肉体はまだ19になったばかりなので、飲んだことがバレたら警察行きだ。
加えてここには仕事で来たので、そういった娯楽は見込めないのは目に見えている。
しかし、本当にお酒が恋しい。かれこれ13年間も飲んでいない。早く捕まらない歳になりたいもんだ。

そんなことを考えながら景色を堪能していたせいで、後ろの扉が開いた音を、俺は聞き逃していた。

「…何をしている」
「!!」

不意を突かれて後ろから声をかけられて驚いてしまった所為だ、俺は慌てて、立ち上がって振り返ろうとした。
と同時に階段の段差に立っていることを忘れていて、あっけなく体勢を崩す。

「(あ、ヤバイ)」

重力によって落ちる身体に、水を打ったように冷静な脳が、傾いていく周囲の世界をしっかりと捕えた。
白と青が視界いっぱいに広がる。ややあってそれが宿舎と空だと気がついた時には、次にくるであろう衝撃を覚悟していた。

「っ、危ない!」

無意識のうちに伸ばしていたらしい右手が、思いっきり何かによって掴まれる。
途端、ぐん、と空が近づいた気がして、次の瞬間には目の前に俺と同じ背丈の青年がいた。
もう一度瞬きをすると、彼も俺もバランスがとれなかったせいで、2人して盛大に転んだ。
下ろしたての黒いスーツは、がっちりと掴まれてシワになっているようだった。

「…大丈夫ですか」
「あ、はい、すいません」

そう言った瞬間に気がついたのは、妙に近い顔と顔。加えて妙な体勢だと気がつく。
相手もそれに気がついたのか、どちらともなくぱっと手を放して、立ち上がる。
気まずい沈黙を破るついでに俺が礼を言おうと口を開いたら、彼は眼を見開いて凝視して、声を荒げて言った。

「…っ、!」
「え?」
、俺だ、分かるだろ」
「……りょ、亮なのか?」

彼はゆっくり頷いて、嬉しそうにはにかむ。その笑い方に、俺は少年時代の面影を見た。
これが驚かずにいられようか。この彼は俺の遠い親戚の、丸藤亮に間違いなかったのだから。

6年前の過日から2年間、中学生だった俺は、家の事情で母方の親戚にあたる丸藤家に預かってもらっていた。
その時、兄弟が俺を慕ってくれた。それは良いのだが、俺は高校に合格してから1人暮らしを始めることを決めていたので、 当時まだ小学生で幼かった彼らには内緒で、丸藤家を後にしたのである。
後から2人の母親に聞いた話では、その後一週間ほど彼らの落ち込み方は口では語りつくせないほど壮絶だった、らしい。

「うわー、驚いた!ずいぶん顔だちが変わったじゃないか」
「…そうか?」
「うん、最後に会ったのは小学生の頃だったからね。まったく分からなかったよ」

あれ以来一度も顔合わせしていなかった所為で、少し饒舌になってしまう。
初めこそ分からなかったが、あの頃のあどけない雰囲気は消えていて、顔立ちなんかは完全に大人のそれであった。
身長に至っては俺と同じかそれより高いくらいだ。子供の成長というのはいつになっても不思議でしかたない。

は、全然変わっていないな」
「そんなお世辞を言っても何にも出ないぞ?」
「…褒めていないんだが」

会話のやり取りで気がついたのは、彼の性格が落ち着いているということ。
亮がまだ小学生だった頃を思い出してみると、あの頃とは立場が逆転した気分になる。
俺はあきれた様子の亮を見つめながら、顔が自然と笑顔になるのを自分の意識外に感じていた。昔話にも花が咲く。

は、どうしてここに居るんだ?」
「あぁ…実はね、アカデミアに就職したんだよ」

自分の中では自慢になりつつある、むしろ自身の冴えない人生経歴において唯一の功績とも言えるこの言葉。
俺は少し胸を張って、目の前の弟分である亮に報告をしてみた。
不本意ながらあの先輩の権力を存分に発揮、誇示する結果となったが、それは俺の所為ではないし、亮が知る由もない。
亮は驚いた後、すぐ嬉しそうに顔を綻ばせた。

「教員になったのか」
「ああ、違う違う。俺はデュエルできないの知ってるだろう。ただの事務員さ」
「…そうか、」

こころなしか残念そうに見えたのは気のせいではない。俺は理由を悟っていた。
出会った頃からデュエルまっしぐらの亮のことだから、大方俺とデュエルが出来るとでも思ったに違いない、と。
忘れもしない、小さい頃、カードゲームのカの字も知らなかった俺に基礎知識を植え付けようとして、
俺が宛がわれた部屋にほぼ毎晩、兄弟二人して入り浸っては、声を張り上げて、ご丁寧に説明しながらデュエルしていた事を。
しかし俺のオジさん化した心(もちろん今も)には、それらの言動はちびっこの微笑ましい行動の部類に入れられてしまい、
カードゲームに対する興味関心、意欲といったものはこれっぽっちも生まれなかったのが現実であった。
それを知ってか知らずか。いっそ、知らぬが仏だ。見た目が19中身は三十路、なんて俺だけが知っていれば十分だからだ。

「あ、ところでさ、そこの扉開けてくれないかな?荷物運びたいんだ」

昔を回想して苦笑い。それから今自分の周囲にある荷物をどうにかするという目的のために、俺は改めて言った。
大きな家具家電は備え付けとのことだったが、小物や衣類その他必需品を集めた結果がこの大荷物。
この建物の中にあるであろう自分の部屋に思いをはせて、手始めに一つの取っ手を手に取る。

「構わないが…オベリスクブルーの寮に何か用事でもあるのか」

思いもよらなかった彼の言葉に俺は荷物を持ち上げる腕の力を緩めてしまう。
衣類がぎっしり詰まったスーツケースはニュートンの定めた定理に逆らうことなく、俺の足元へと落下した。

(生温かい眼差しで俺を見つめる従弟の放った一言は、つま先の痛みと同等、それ以上に、確実にダメージを与えた)
(本当に、全然変わっていないんだな、は)