特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 10


「ねぇ翔ちゃん。ごめんね。酷いことしたよね。ごめん。翔ちゃん、本当にごめんなさい」
「…」

途中階段を5、6段くらい飛ばして四ノ宮がジャンプして降りた時に、翔の魂が飛びかけている様を見た。慌てて俺は四ノ宮を止めて、来栖の九死に一生を救うことになる。むすっとして口もきかない翔に、平謝りの四ノ宮を後ろに従えたまま、俺は廊下を歩いていた。目立つ二人組の前にいる人物、つまり俺に流れ弾のような視線が来る。仕方がないとはいえ、かなり注目されているような。気が重い。

「翔ちゃん、許してなんて言わない。だけど、謝らせて。ごめんなさい。…ねえ、翔ちゃん、僕のこと嫌いになった…?翔ちゃん…」
「…っだー!別に嫌いじゃねー!」
「翔ちゃん、やっと口を聞いてくれた!ごめんね、ごめんね翔ちゃん、僕、翔ちゃんに酷いことした」
「はぁ〜…あ〜もういいよ、そこまで怒ってねーよ」

後ろの二人はなんとか和解したみたいだ。俺はというと別に怒っていない。翔の怒り方がガン無視という荒技で、それにめげない四ノ宮を見ていたら、無視されている四ノ宮のことが哀れになってきたからだ。ただし、四ノ宮のジェットコースターには二度と乗りたくないと思う。

なんとか人混みをかき分け、ようやく作曲家コースのクラス分けの表がある場所まで来た。

「すげえ人だな…ぜんぜん見えねえぞ」
「流石にこれだけ遠いと、僕も見えません…」

ちなみに俺は黙っている。四ノ宮に振り回されて、見知らぬ人に注目されまくっているのだ。女装をしているだけで目に付くだろうに、後ろの二人の一悶着でさらに不思議そうに伺ってくる視線を投げ付けられて、もはや言葉を発することすら億劫になっている。ああ、俺は普通の作曲家コースでもっと地味に過ごす予定だったはずなのに。どうしてアイドルコースの、それもアニメで主人公格だった人達とつるんで注目をわざわざ集めているんだ。注目を集めるのは芸能界では決して悪い事ばかりでないと分かっていても、今の格好では消えて居なくなってしまいたい。存在を空気と一体化させたい。そう念を込めて意識をあらぬところへ飛ばそうとしていたところに、思わぬところから声がかかった。

「あっ、いた!ー!こっちこっち!」

大声で自分が呼ばれていると分かって、俺は慌てた。それで視線が一気にこちらに向くのを感じる。急速な恥ずかしさといろんな気持ちがない交ぜになって、顔に熱が集まるのを感じる。でもとりあえず呼ばれたので四ノ宮達から離れて、俺を呼んだ張本人、一十木に駆け寄った。嬉しそうに笑う一十木の顔に大型犬の幻覚が見えるが、俺は臆せずこの馬鹿を一発殴って黙らせる必要があると思い、即座に行動に移した。

「一十木、なんで大声で呼ぶんだよ!」
「あてっ!」

パコン、といい音を立てて音也の頭を叩く。なんだなんだと他の生徒が見てくるが、これ以上注目を浴びてもここまできたら引き返せないと半分ヤケになっていた。そもそも注目をさらに集めることになった原因はこいつだから、怒っても一十木以外に文句は言われまい。

「えっ、なんでー!」
「なんでもなにもあるか!」
「ひどいよ、呼んだだけなのに〜」

一十木は俺に叩かれたところをさすりながら、正論で抗議してくる。腹いせに無視してやろうかこいつと思った矢先、翔と四ノ宮が駆け寄ってくる。

「あ、音也くんじゃないですか」
「なんだよ、は音也と知り合いだったのか」
「あ、翔!久しぶりだね!それに那月も!」
「お久しぶりです、音也くん」
「相変わらず元気だなぁお前」

俺を置いてきぼりに、3人は盛り上がっていく。まさか、こいつら全員知り合いだったのか。神宮寺や聖川と同じパターンで、オリエンテーションとか入学者説明会の時に知り合いました、なんて展開じゃあるまい。そんなテンプレートのような事態にたった1日でそう何度も遭遇するはずがない。

「お前たちもここにいたのか」

そう邪推している俺のことは御構い無しに、聖川が近寄って声をかけてくる。翔も気がついて、聖川の方に顔を向け、笑顔で応えた。

「聖川、お前も合格してたのか!おめでとう!」
「ああ。来栖、合格おめでとう。それから四ノ宮も」
「真斗くんも、合格おめでとうございます。一緒の学校に来れて、とっても嬉しいですよぉ」

翔も四ノ宮も、例に漏れず皆知り合いだった。なんということか、顔面偏差値の高いカラフルな集団が一同に会している。そんな中に俺一人、普通の顔の女装男。完全に集団から浮いているのは明白である。

「…みんな知り合いなのか」

女子の視線が痛いのは勘違いなどではない。こんなに女の子に注目されて嬉しいことはないのに、それを引き起こしているのがこいつらだと考えるとなんだか哀しい。お嬢さん方、俺も男なんで安心してくれ。見た目だけは女だけど、本当にこれでも男なんだ。だからその射殺すような熱い視線を送ってくるのはやめてほしい。

「そうだよ。ここにいる面子は全員、学校説明会で一緒だったのさ」
「っ…!」

逃げ腰になっていると、後ろからポン、と肩を叩かれ退路を塞がれてしまう。引きつった声を出しかけたがなんとか抑えられた。この男は、というかこいつら全員、どうしてクラスに向かわずに作曲家コースのクラス表のとこに来てるんだ。

「あっ、レン君」
「やぁ、シノミー。それにみんなも」

和やかに神宮寺を歓迎する一同。聖川は神宮寺が合流した途端随分険しい表情になったので、俺は聖川が心の中で思ったであろうことに全力で同意する。お前はなんでこのタイミングで来るんだ。

「みんなここにいるってことは…全員合格だったんだね!これからが楽しみだ〜」

音也が嬉しそうに笑う。その言葉に神宮寺も賛同しだした。

「ふふ、そうだね。学校説明会で偶然一緒のメンバーが全員合格なんて、そうないんじゃないかな?ねぇ、キミもそう思うだろう?」

肩をさらに強く抱き寄せられて俺は硬直する。しかも耳元で囁かれてぞぞっと鳥肌が立った。当然のように話しかけてきた内容は右から左に通過させる。こいつ、俺は男ってわかっててやってんのか。

「あ、ああ…」

この時俺は混乱したままだったから、まともに会話を成り立たせようという気持ちは毛頭なかった。生返事で終わらせる。だってこいつら全員、学校説明会で仲良くなったって。そんな仕組まれたような設定だったのかと状況を飲み込むので精一杯なのだ。

「おい、レン、あんまりにくっつくなよ」

突如、むすっとした声の翔が聞こえて、俺の腕がぐいと引っ張られる。

「うわっ」

思わぬ力がかかったことで、俺はフラついてしまった。そのまま引き込まれるようにして、俺は翔に抱きとめられる体勢になる。

「わ、悪い。強く引きすぎた」

そう言うと翔はほっとしたように息をついて、それから急に顔を赤らめてパッと腕を離した。そのあからさまな態度は、今朝方の一十木と同じものを感じざるを得ない。もしかして、いいや、もしかしなくてもだ。彼らは本気で、俺を女の子だと思っているのだろうか。自惚れでもなく、本当にそうだとしたなら、俺は声を大にして叫びたい。俺は男なんだと。でもそれを言うと、これから先1年を棒に振ることになる。

「いや…いいけど」

女の子扱いされるくすぐったさと同時に、男であることを伝えられないことの申し訳なさがこみ上げてきて、酷いジレンマに苛まれる。

「ねぇ、。クラス分け見なくていいの?」
「あ〜……うん、見るよ」

一十木が滞った空気を打破するように、俺に問うてくる。そうだ、そもそもここに来たのは自分のクラス分けを確認するためだったのだ。色んな事がどっと一度に起きてしまったために、すっかり失念していた。

「俺も探すのを手伝おう」
「あ、僕も探しますね」

聖川と四ノ宮がそう続けて、結局俺以外の5人全員が掲示板へと意識を向けた。ため息をついて、この5人組に集まる好奇心のような視線から現実逃避する。俺の名前はどうせBクラスにあるだろうし、そこまで気にしなくていいだろう。俺はぼんやりとAクラスにあるであろう七海春歌ちゃんの名前を探していた。しかし、"あ"から順に下まで見ていっても、七海の苗字は見当たらない。春ちゃんは作曲家コースなのだから、ここで名前が出てこないのはおかしい。どういう了見かと慌ててAクラスを再度確認しようとした時、事件は起きた。

「子猫ちゃん、Sクラスなんだね。しかも主席入学とか、凄いじゃないか」
「え、」

神宮寺の心底楽しそうな声に、ハッとする。そんな馬鹿なと、慌てて俺の名前をSクラスの貼り紙から探せば、俺の名前はSクラスの欄に書かれているばかりか、名前の隣に主席入学というあからさまな嘘まで書いてあったのだ。あのおっさんは一体何を考えている。どうして主席入学なんて大嘘を、しかもわざわざ入学生全員に知らせるようなことをするんだ。間違いなく、そして確固たる意志を持って嫌がらせにかかってきているに違いない。俺のメンタルは大分前から崩壊していたが、ここに来て一気に砂塵と化した。

凄いじゃん!」

一十木に褒められても、これは不正だから手放しで喜べない。どう考えてもあの穴だらけの回答で学年主席なんて嘘だ。これは学園長からの嫌がらせなのか。俺の成績の悪さは目に余るほどだったということなんだろうか。なのにこんな学年主席なんて大層なレッテルを貼られてしまっては、これからの学園生活どう頑張っても頭の悪さしか露呈しない。こんな遠回しな嫌がらせの先に見えるのは、退学の前に友達がガッカリして去って行ってしまう感じの、あまり想像したくない最悪の結末だ。

「…い、いや、あれ絶対違うって!何かの間違いだから!」
「謙遜などしなくていい。それがの実力なのだろう」
「そうですよ。主席なんて、ちゃんはとっても頭がいいんですね!」

必死に弁明しようとするも、俺の言葉は右から左へと流されてしまい、穏やかに微笑んでそう言った聖川に、四ノ宮も賛同しだす始末である。俺は頭を抱えた。

「なんだよ、嬉しくないのかよ?」

来栖が不思議そうに俺に聞いてくる。そうか、普通主席入学なんて言われたら嬉しいはずだよな。俺はこの結果が実力ではない真っ赤な嘘だとわかっているから、全くもって嬉しくない。でもこの事を来栖に言えば芋づる式で学園長に目をつけられている理由がバレて女装のくだりになる気がする。それはいただけない。けど言わないわけにもいかない。

「いや、うん、なんかもう驚きを通り越して悟りの境地に達しました」

結局俺はお茶を濁すという、あまり良くない対応に逃げてしまうのであった。

「つまり不本意なんだね?」

なんの前触れもなく神宮寺がフォローしてくる。あの神宮寺にフォローされるとは思ってもみなかった。癪だが今はそれに乗っかるしかない。

「あ〜、うん。自分で言うのもなんだけど、入試でそんないい成績出せた記憶がまったくなくて。だから主席っていうのは何かの間違いだって胸張って言える」
「そこ胸張るのかよ」

来栖のなかなかキレのあるツッコミに苦笑いを返して、でもそれは事実なんだと返す。

「とにかく私が主席だったら、他の皆は主席どころかとっくに卒業してるぐらいなんだって」
「なんだか随分謙遜するけど…まるで他に優秀な人がいるのを知っている風な口振りだね」

少し棘のある言葉を浴びせてきた神宮寺をはっと見上げれば、彼はニヤニヤしながらこちらを伺っていた。俺以外の主席なんてごまんといるだろう。なんだこいつ、何を考えているんだかさっぱり理解出来ない。

「それはもう沢山いるでしょうね」
「そうかな」
「そう」
「ふぅん…そう」

面倒そうなので適当に返せば、神宮寺は納得したのかしていないのか、笑みをさらに深めるだけだった。しかしいちいち鼻にかかる態度をするな、こいつは。

「あっ、いたいた、ちゃん!」

そう思っていると、背後からトーンの高い声に呼びとめられる。何かと思って振り向けば、月宮先生がそこに居た。作曲家コースの前に集まっていた生徒たちはザワザワと賑わう。本物のアイドルの月宮林檎が出てきたのだ、驚かないはずがないだろう。そんな注目を集める月宮先生が、俺に声をかけてきた。

「シャイニーが呼んでるわ。行きましょう」
「え?でも、これからクラスに向かうんじゃないんですか?」
「"学年主席"の事で、学園長がお呼びなのよ」

林檎先生はわざとらしく学年主席ということを強調してくる。そこで俺は嫌な予感がした。まさか俺を学年主席に仕立てあげたのはそんな呼び出しに使うためです、とかアホな理由なのではないか。いや、さすがにそれはないだろう。考えすぎだと頭を振った。とりあえず呼ばれたのに行かないのはまずい。すっと視線を皆に向けると、翔と視線がばちっとあった。

「ごめん、呼ばれたからちょっと行ってくる」

苦笑いしてそう詫びれば、翔も笑顔で返してくれる。

「気にすんな。、また教室でな!」
「うん」

翔の呼びかけにうなづいて、そのまま月宮先生と一緒に学園長室へと向かった。