特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 8


入学式の会場は、舞台ステージがある大ホールだった。横一列にホールに並べられた席には番号がふられており、前から順に並んでいるらしい。入り口で渡された紙に数字が書かれていて、これが席の番号と対応しているらしかった。だが俺の紙に書かれた番号は音也や聖川とは近くなく、2人は前方で、俺はかなり後ろの方だった。そこで2人とは別れることになった。男女分かれて並ぶのかと思っていたが、そんなことはなかった。男女関係なく番号で適当に割り振られているみたいだ。

周囲の会話を聞きながら、おそらくこの方向が自分の席だろうと検討をつけて進んでいく。番号が近くなって、座席は随分後ろの方に来た。段が違う後部の座席がロープで区切られているのは、後方は先生方やメディア関係者の席になっているからのようだ。なかなからお目にかかれない大きな撮影用機材が置いてあったりして、ついよそ見しながら歩いてしまう。通路はいいが、ホールになっているため座席列の間が狭い。自分の席はこの列の先にあると思われる。流石に人の前を通るには気を使わないといけない。既に座っている人に、すみませんと声をかけながら進んでいく。やっとの思いで自分の座席番号に近い席を見つけたかと思えば、そこには金髪メガネがいた。ふわふわ浮いたアホ毛と、お花畑が漂っているオーラを漂わせてそいつはそこに座っていた。こいつのこと、俺は知っている。だが、まさか俺の番号の前がこいつじゃあるまいな。そう淡い期待を込めつつ、恐る恐る声をかける。

「あの、番号何番ですか?」
「あ、僕ですか?」
「…そうです」

お前以外に誰がいるというのだ。今この近辺の席はまだ生徒が来ていないのか埋まっておらず、半径5メートルくらいに人がいない状態だ。その中で話しかけられたことをわざわざ確認してくるなんて、よっぽど話しかけられたくなかったんだろうか。

「えーと、僕は89番です。」
「…90番だわ」
「あ、じゃあ僕の次ですね」
「ああ…ですねぇ」

右隣の席を見ながら、そいつーーー四ノ宮那月にそっくりなその男は微笑んでおもむろに立ち上がった。俺は無意識に彼の顔を追いかけて首をかたむける。なんというか、でかい。想像以上に身長が高い。180超えてるんだろうか。いや、体感的には190近い。顔を合わせ続けるには首をぐっと上げないとできないくらいだ。そんな俺の動作に気づいているのかいないのか、四ノ宮は楽しそうに髪の毛を揺らして手を広げ、オーバーリアクションをする。

「お隣さん、ですねっ。よろしくお願いします!」
「お、おお。よろしくお願いします」

元気に挨拶してくる四ノ宮に気圧されながらも、とりあえず隣に座ることにした。四ノ宮も俺と同じように席につく。

ワイワイと賑わうホール内を一息ついて見渡せば、美男美女でごった返していることに気がつく。移動するのと席を探すのに必死だったから気がつくのが遅くなった。それにしてもなんという顔面偏差値だ。かわいい女の子が沢山いる。あの赤っぽい髪の女子とかスタイルいいし、美人だ。凛とした表情がまたなんとも、グッとくるものがある。この私欲を満たせる後方の特等席につけたことにご満悦だ。まさに眼福である。するとなぜか、チラチラとこちらを見てくる視線が複数あることに気がついて、俺は不思議に思った。しかもその見てくるのは女の子はまだしもなぜか男もいて、その誰もが目が合うとばっと逸らされる。さすがにそんなあからさまな態度をとられては、俺だって傷付く。まあ、女装した男がいれば誰だって振り返って見るか。一気に現実に引き戻されて、大きなため息が出た。穴があれば入りたい。なんでここまでして入学してしまったんだ。早速俺は後悔の波に飲まれそうになっていた。

「あの、大丈夫ですか?気分でも悪いですか?」

そんな時、隣から控えめな声がかかる。はっとして顔をあげれば、四ノ宮が気遣うようにこちらを伺っていた。

「…いや、平気。ありがとう」
「そうですか。でも、無理をしてはいけませんよ」

四ノ宮の優しさが沁みる。なんていいやつだ。普通こんな女装した男に声をかけてくれるやつなんていない。そう考えると聖川も一十木も普通に接してくれていたように思う。(神宮寺は除外だが)今思えば、一十木が俺を女の子と思って惚れたような素振りは俺を気遣ってのことだったのかもしれない。アイドルはやっぱり人格からして違う。本当のアイドルの卵は、こういう所から始まっているのかもしれないなと思った。もともとアイドルは母親の影響で嫌いではなかったから、なんだかじんわり温かい気持ちになる。

「僕は四ノ宮那月っていいます。君のお名前はなんですか?」
です」
「わあ、可愛い名前です!よろしくお願いしますね、ちゃん」

ピシッと、俺は固まった。まさか四ノ宮からかわいいなどという言葉が俺に向けて発せられるとは予想だにもしていなかったからだ。しかも神宮寺よりもかなり自然な"ちゃん"付けに、背筋に冷たい何かが走る。

「あ〜…その、"ちゃん"はやめてくれませんかね?」
「え?あ、ごめんなさい。ちゃんのほうがよかったですね」

俺が気にしたのはそこじゃない。困ったように首を傾げる四ノ宮の、全力の天然オーラをビシビシと感じる。聖川もズレていたが、負けず劣らず四ノ宮もいい勝負と改めて認識した。いや、むしろデフォルトでこの性格だから相当タチが悪い。俺はどうも天然な人間に弱いのだ。

「…ウン、もうそれでいいっすわ…」

だから結局、突っ込む気力も失せてため息を深くつく羽目になった。まぁ女の子としてみてくれるみたいだし、問題はないだろう。やや投げやりに返せば、四ノ宮は先ほどの困ったような表情から一転、ふわりと微笑んだ。

「わかりました、ちゃん、と呼ばせていただきますね!」
「ん」

うなづいて、四ノ宮の笑顔につられて苦笑いが零れる。しかし見れば見るほど、四ノ宮の天然パーマは綺麗にくるくるしているなと感心する。俺は根っから日本人の血が流れているから、黒髪に直毛で面白みのない普遍的な髪だ。まあ今はウイッグで黒髮セミロングのストレートになってるけど。一方の四ノ宮はブロンドというのか、きれいな金色の髪だし、目も深い緑で外国人みたいだ。恵まれた容姿を持っているなぁ、と改めて感心する。

そう思って見上げていると、四ノ宮は首を傾げながら俺に尋ねてくる。

「あの、ちゃんはどちら出身ですか?」
「ん、ああ。埼玉ですよ」
「そうなんですね〜。学園は近いですか?」
「んー、まぁ遠くはないけど、通学できるってほど近くないといいますか」

へぇ、と純粋に声を上げる四ノ宮に、ふと俺も彼の出身地を知らないなと思う。半分興味本位で尋ねてみる。

「そういや四ノ宮はどこ出身なんだっけ?」
「僕は北海道ですよ。実家は牧場をやってるんです」
「へぇ!牧場か!すごいな、なんか四ノ宮のイメージそのまんまって感じ。似合ってる」

四ノ宮の返答に、俺は親近感を感じた。もっといいとこのおぼっちゃまかと思っていたから、意外だった。だが第一印象で四ノ宮はお花畑とかが似合うと思ったのは間違いではなかったらしい。この長身でツナギとか着ても違和感がないのは、ある意味レアだ。アニメだと暴れまわっている二重人格の人という印象があったが、贔屓目を抜きにしても結構体格もいいし、牧場の仕事とか普通に手伝っていたのかもしれない。なんていい子なんだ。

「そんなの言われたのは初めてです」
「え、そう?」
「はい。ふふ、なんだか照れますね」

四ノ宮は頬を少し染めて頭を掻いた。あんまり言われないんだろうか。ふわふわした不思議ちゃんな所は、そういう牧場ののんびりしたところからきてるんじゃないかと思ってしまうものだが。

「あ、翔ちゃん!」

すると突然、四ノ宮が声を張り上げる。俺はその声に驚いて、四ノ宮の視線の先を辿るように顔を上げた。

「げっ、那月!」

すると、帽子を被った少年が俺の隣に佇んでいて、四ノ宮の名前を呼び至極嫌そうな顔をこちらに向けていた。黒い帽子が印象的な彼は慌てて背を向け、逃げ出そうとした。

「しょーうちゃーーーん!」
「ぐへぇっ!ぎ、ギブ!那月ギブ…!ちょ!やめろ…!助けっ…ぬぐおおおああ」

しかしそれはあと少しのところで叶わなかった。四ノ宮がガッチリと少年を抱擁、いや背後からホールドアップしたからである。身長差のある二人だから、リーチが違うために少年は逃げ切れなかったようだ。なにやら人体的に鳴ってはまずい音と声にならない喚き声がしている。周囲も二人のやりとりにびっくりしているようで、巻き込まれないようにと距離を取っている。俺は急展開について行けず呆然としてしまった。助けを求める少年の悲痛な叫びに、なんと声をかけていいものか分からない。とりあえず疑問に思ったことを、独り言のように話しかけてみる。

「…あの〜…お知り合いの方ですかね?」
「っ、ああ、前に…ちょっとなぁ!」
「ねぇ、翔ちゃん。翔ちゃんは何番?」
「だぁうるせぇ!離せっ、こっちくんな!だーっ抱きしめるなああ!」
「翔ちゃんは相変わらず可愛いね!」
「可愛いって言うなーーーッ!」

会話できそうな雰囲気になったものの、それすら四ノ宮が遮ってしまった。どういう経緯で知り合ったのかはよく分からないが、"翔ちゃん"と呼ばれたこの少年は四ノ宮と知り合いのようだ。四ノ宮の熱い抱擁から逃げようともがく彼の手に握られていた紙が、ひらりと落ちるのが見える。自分の足元に落ちてきたそれを拾って見れば、それは席の番号が書かれている紙だった。

「91番?…あ、右隣じゃん」

なんという偶然だ。彼は俺の隣らしい。

「え、マジ?」

すると少年はこちらの声が聞こえていたらしく、ぴたっと四ノ宮への抵抗を止めた。こちらを見て驚いている様子である。四ノ宮も暴れるのを止めた少年の様子を不思議に思ったのか、こちらを見てくる。

「マジ。席はここかと」

自分の隣の席を指せば、少年は合点がいったらしい。四ノ宮の緩んだ腕から飛び出して、俺の隣に駆け寄ってくる。

「よっしゃ…!助かったぜ」
「あ、いや。どういたしまして?」

安心しきった雰囲気を撒き散らしながら、握手でも求めんばかりの少年の様子に思わず実家で昔飼っていた犬を思い出した。この四ノ宮と俺への態度の違いが、なぜか懐いた犬を連想させる。結論を言えば、結構真っ直ぐな少年だなぁと思った。実直な人は個人的にかなり好感度が高いのだ。それに入学式でお隣になった縁もあることだ、クラスが同じかはまだ分からないがぜひ友達になりたい。というか帽子にこの声、そして容姿からして、俺が一方的に知っている人物ーーー来栖翔で間違い無いだろう。

「おい、那月!聞いたか、お前は俺の隣じゃないっ」
「えっ?そうなんですか」
「そうだよ!だからひっつくな!」
「じゃあ、翔ちゃんはご近所さんってことですね!ふふ、ちゃんともお隣さんだし、嬉しいなぁ!まとめてぎゅーってできますね!」

そうやって友達になりたいと思い思考を飛ばしている間に、四ノ宮がなぜか目の前に迫っていることに気がついた。慌てて俺は逃げようと腰を上げるものの、時既に遅し。来栖共々抱きすくめられてしまう。

「お、おい!那月やめ…、離せーっ!」
「…く、苦し…」

あ、今みしって。みしって音がした。全身の骨という骨が軋んでいる。こんな力強くて熱烈な抱擁、今まで受けた試しがない。俺は立ち上がりかけた半端な姿勢のまま、来栖の胸に顔を押し付けるような体勢になってしまう。本気で身を捩れないので息が上手くできなくて苦しい。来栖の心臓の音が聞こえる。バクバクと鳴っていて、早鐘のようだ。そりゃこれだけ叫んでいればこうもなるか。だがそもそも心臓の音が聞こえるくらいの密接度合いは可笑しい。主に四ノ宮のせいなんだけど、どうしてこうなった。ややあって来栖がなんとかべりっと四ノ宮を剥がしてくれたので、俺はようやく呼吸がまともにできるようになった。

「おま、バカ那月おまえっ、女の子にひっつくんじゃねぇよ!」
「あ、ごめんなさい。でも、かわいいからつい」
「可愛いから〜、でなんでも済むと思うなよ!もうじき入学式も始まるんだから、大人しく座ってろっ」
「うん、わかったよ、翔ちゃん」

酸素がこれほど美味しいと思ったことはない。来栖が四ノ宮を叱ってくれているのを遠くに聞きながら、俺はウイッグがずれていないか髪の毛を撫でる振りをして確認し、呼吸を落ち着かせることにした。周囲で二人のいざこざを遠巻きに見ていた人達も、四ノ宮が座席に大人しく戻ったことで徐々に席に着き出した。その音にふと顔を上げれば、来栖が隣に座っていてこちらを伺っていた。何か言い淀んでいる様子なので俺もじっと少年を見つめる。

「あ〜、お前、その、ゴメンな。巻き込んで…」
「や、大丈夫です」
「でも、悪かった。だ、…抱きしめるみたいになったし…」
「あ、えーと、気にしないで平気なんで…」

顔を少し赤くして謝った来栖に、別の意味で申し訳なさを感じた。ごめん、女じゃなくて男だから何の問題もないぞ、と心の中で密かに断りを入れる。伝わらないと分かっていても、ウブそうな少年を騙していることに対する良心の呵責があった。いや、騙されてくれるのは体裁的にはいいんだが、そんなに俺は男に見えないのか。ここは喜ぶべきなんだろうか、複雑な心境だ。

「そいえば、名前まだ言ってなかったな。俺は来栖翔。お前は?」
です」
、か。よろしくな」
「こちらこそ」

そう言ってにかっと笑った来栖の笑顔はなかなかに可愛い。俺も男だがこれは普通に可愛いと言っていいだろう。でもそう言われるのを好ましく思っていないのは、先程の四ノ宮とのやりとりを見ていてなんとなく分かった。なんせ俺も両親に散々可愛いと言われて、その度にムカつく気持ちになっていたからだ。今となっては可愛いという容姿を褒める言葉に慣れて反応が薄くなった俺に、両親も別段何も言わなくなってきたが。とにかく翔との友好関係のためには、この可愛いと思った気持ちを心の中にしまっておくのが無難だと判断した。