特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 7


「くそ…神宮寺のヤツ絶対わかってる」

神宮寺と一十木がなにやら話し込んでいる隙に、俺は逃げるようにして校門へと向かっていた。
これからは神宮寺と接触を極力避けなければならない。女だと思ってくれている可能性はほぼない。全体的に俺をおちょくってニヤニヤしていたぐらいだ。バレるのは時間の問題か。いや、言いふらされたりなんてしたら即アウト。学園的にも社会的にも追放される未来しかない。それにもしかしたら神宮寺は一十木に俺が男であることを教えているのかもしれない。ああ、あそこで神宮寺に遭ったのが運の尽きだったか。

そんなふうに考え事でネガティブになりすぎていたから、校門を曲がったところにすぐ人が立っているなんて気がつきもしなかった。

「なっ」
「っうわ…!」

俯いていた頭がぶつかって、俺は地面に尻餅をついた。あれ、なんだかデジャヴを感じる。トキヤと同じ出会い方だなんて。今日何回俺は人や車やらにぶつかるのか。いや車にはぶつかってはいないが。それにしても、今日はなんて厄日なんだ。あんまり大丈夫じゃないと内心ツッコミを入れながら、相手の顔を見上げて、ハッとした。

「すまない、君。大丈夫か」

この声、この顔。聖川だ。かの有名な心のダムだ。取り乱した様子はなく、淡々とこちらを伺っている。生で見れば見るほど美人だ。神宮寺の時とはまた違う、華のあるイケメンの登場で俺は頭が着いて行きそうにない。

「俺の顔になにかついているだろうか?」
「あ、…イエ、なにも」
「そうか」

ジロジロ見過ぎてしまった。あまり彼のトーンに変化はなかったが、不快な気分にさせてしまったかもしれない。

「怪我はないか?よければ、手を貸そう」
「あ、…ありがとう」

そんな俺を他所に聖川はそう言って、手を差し伸べてきた。男の俺でも感心する紳士的な行動に、少し心がくすぐったくなる。すぐにお姫様抱っこなんてしようとするバカとは大違いだ。礼を言い手を乗せると、思ったより力強く腕を引かれ立ち上がる。そのまま互いに手を離し、再度お礼を言おうと顔を上げると、聖川がまた離した手を伸ばしてくるので何事かと硬直する。

「ぶつかったせいで腕も汚れてしまっているようだ」
「え?あ、本当だ…」

指摘された汚れは、長袖の制服の腕についた砂埃だった。左腕が酷いので払おうとすると、聖川がいきなり、俺の右手の袖の裾を摘まんできた。

「…」
「…?」

突然の行動に何も言えず驚いていると、聖川はハッと顔を上げた。視線が合うと、聖川はなにか弁明でもするように早口に切り出す。

「っ、すまない。けれど、ボタンが今にも千切れてしまいそうだったのでな」

そう言って何故か俺の代わりに腕をパタパタとはたいて砂埃をおとしてくれた聖川に、俺はなんと返していいか分からず言い淀む。袖を見れば本当にボタンは取れかけていた。ボタンを直そうにも、針も糸も持っているわけがない。初日から取れそうなボタンと格闘する羽目になるとは。後で筆箱からハサミを出して、切っておかないとまずい。ボタンを無くしたら後で困ることは目に見えている。

「詫びと言ってはなんだが、俺が直してやろう」
「へ…?」

どうしたものかと考えていたら、聖川に腕を引かれて、校門近くのベンチに到着する。肩を押すようにして座らされると、俺の前に跪いてボタンのとれている側の腕をとった。

「…え、直すって?」
「少し、じっとしていろ」

針も糸もないのに一体どうやって。混乱した俺に構うことなく、聖川はポケットから裁縫道具を取り出した。慣れた手つきで糸を針に通すと、すいすいボタンを縫っていく。それは本当に神技というか、あっという間に縫い上げるその様を目の前で見て感動をする。聖川は裁縫が上手いなんて、まったく知らなかった。今までネタのようにダムと呼んできたが、認識を改めたい。

「これで大丈夫だ。…突然、すまなかった。」
「あ、いいえ。むしろありがとうございます。助かりました」

その突然の行為にも謝罪がちゃんとあったことに、一ノ瀬や神宮寺とは雲泥の差だと感じる。教育方針の違いだろうか。それにしても感動した。聖川真斗は生活力に満ち溢れたまごうことなき日本男児である。俺も見習わなければならない。

「これも何かの縁だ。この裁縫道具は、おまえにやろう」

そう思って尊敬の篭った眼差しで見ていると、何を思ったのか聖川はふっと笑って俺に裁縫道具の入った袋を差し出してきた。

「え…えっ!?」
「大丈夫だ。待ち針も入っているからな」

違う、俺が心配してるのはそこじゃない。若干、それどころか大分ズレた返答にずっこけそうになりながら、俺は慌てて聖川に手渡されかけた裁縫道具を返そうとする。

「こんな高そうな、貰えませんよ!」
「だが、淑女なのだから、身嗜みには気を遣ったほうがいいだろう。一つ持っておくといい」

淑女じゃないからボタンがとれても多分気がつかなかったかもしれない。そう考えると縫ってくれた聖川の言うとおり持っているのが女子なんだろうが、生憎俺は男だから多分使うことなくこの裁縫道具は一生を終えてしまう可能性がある。聖川が使ってやったほうがよっぽど有意義ではないのか。

「…け、けど…これ普段使っているものですよね?」
「いや、それは予備だ。普段使っているものは家に置いてある。それに、もう一つ予備も所持しているので問題ない」

そう言って聖川は、制服の内ポケットからもう一つ裁縫道具をとり、見せてきた。もうここまで用意周到なことを言われて、どう断るのがいいか押し問答のように考えるより、素直に受け取るほうが早いのかもしれないとさえ思うのは無理もないだろう。ずいずいと渡そうとしてくる聖川の猪突猛進ぶりに、財閥の御曹司の片鱗を見た気がする。常識的な人だと初めこそ思ったが、やっぱり聖川も少し、いや大分変わっている。

「えーっと…じゃあ有難く…いただきます…?」

そう答えると、聖川はなぜか満足気に笑った。裁縫道具を貰ったのは俺なのに、そんなに聖川に喜ばれると変な感じだ。手に受け取ったそれを指の腹で撫でてみれば、高級感あふれる桜の刺繍がされているし、肌触りのよい絞り染めの布も使ってあって、無駄に格式高いオーラが漂っている。むしろこれを使って裁縫するなんて恐れ多くて俺にはできない。貰っておいてなんだが、お蔵入りしてしまいそうなそれを持て余す未来を想像しつつ、とりあえず胸ポケットに仕舞うことにした。

お互いに自然と校門のベンチから立ち、校舎への道を2人並んで歩き出す。

「そういえばまだ、名前を聞いていなかったな。俺は聖川真斗という。お前は?」
「あ、です」

偽名を名乗るのにも慣れてしまった。本当は慣れるものではないんだろうが、苗字だけは自分のものだからできれば苗字で呼んでほしいものだ。

「そうか。よろしくな、

そう思っていると、聖川は俺の心中を察したかのように苗字を呼んでくれた。

「…あ、はい。よろしくお願いします聖川さん」

謎の感動に包まれながら返事をすると、ふと見上げた先で、なぜか聖川の眉間にシワがよっているのを見た。何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。

「敬語でなくていい。慣れていないだろう」
「へ?いや、そんなことはないと思いますけども」
「素のままでいい。それに同じ学び舎で過ごすのだから、さん付けもしなくていい」

なぜか語気強く言われて俺は戸惑いを隠せない。唐突な指摘だったが、これはもしかしなくても仲良くしてくれようとしているんだろうか。一応、あの聖川財閥の嫡男と事前に知っていたから少し身構えていたが、これは親しくしてもよさそうだ。とはいえ素のままでいいと言われても、さすがに男友達のように呼び捨てで振る舞うのは問題があるだろうか。

「えっと…じゃあよろしく、聖川」

少し言い淀んで、結局俺は普通に苗字を呼び捨てにすることにした。聖川も俺のこと苗字で呼んでいることだし、文句があれば言ってくるだろう。

「ああ、よろしく頼む。…というか、俺こそ、敬語でなくてよいだろうか?」
「いやいや、敬語じゃなくていいって」
「ふふ、そうか。では俺も、このままで」

ふわっと、花が咲くように笑う聖川の表情に驚きと感動を覚える。これは確かに美人だ。男の俺でも納得する整った顔に柔和な笑みが加わると、これがなかなか絵になるものだと初めて知った。しかも正門からここまでの道にずらりと並んだ桜並木が吹雪のように花弁を散らしだした。さながらドラマの撮影で使われそうな一瞬の美しさに、思わず感嘆の息がこぼれる。

「綺麗…」
「あぁ、」

ややあって、視界の端で靡く髪の毛が邪魔なことに気がついた。そうだ、今俺はウイッグなんだった。春の嵐で乱れた髪の毛を撫で付けたら、若干ずれたような気がしてしまう。ウイッグをなんとか収まりのよい位置にずらそうと躍起になっていると、ふと聖川と視線が合った。真顔で凝視してくるのでよくわからないが、まさか、髪の毛がウイッグだと勘付かれたのか。

「あ、マサ!」

気まずい空気が流れ出して、俺が耐えきれずに口を開こうとすると聞き慣れた声が聖川を呼んだ。ふっと視線が外れて、俺は無意識のうち詰めていた息を細く吐き出した。

「…一十木か。おはよう」
「うん、おはよっ」

先ほど別れたばかりの一十木が、元気いっぱいに聖川に挨拶をする。まずい。一十木が居るってことは神宮寺もついてきて居る可能性がある。

「あー!!ここに居たんだね!」

出来れば気がつかないうちに去ろうとしていたのに、一十木が少し離れた位置に立つ俺に気がついてしまった。

「どうしたのだ、。なぜ少し離れた場所に居るんだ?」
「はは…いや、なんでもないよ」

離れようとしていた俺に気がついた聖川にも、阻止されてしまう。本当を言えばなんでもある。だが、聖川の手前あまり無下にするのも良くないと思い、ぐっと思い止まった。なぜだろう、駆け寄ってくる一十木に大型犬のオーラを感じる。憎めない。

「あれ?マサ、のこと知ってるの?」
「知っているもなにも、先程出会ったところだ」
「そっか、じゃあ俺とあんまり変わらないね」

なにを張り合ってるんだ一十木。嬉しそうに俺の後ろに来て、両肩に手を置き、ニコニコと笑っている。そこまで上機嫌になる理由が不明で少し気味が悪い。しかも後ろに一十木、前から聖川に寄ってこられて、結局逃げ場がなくなる。変な疲労感に見舞われながら、俺は後ろの一十木を振り返り、さりげなく肩から彼の手を離しつつ、見上げて問う。

「つか、一十木。アイツは?」
「アイツ?」
「…神宮寺」
「ああ、レンなら先に行っててって」
「ふーん…」

大方女の子に呼ばれでもしたんだろう。モテる男は違うなと皮肉に思いながら、苦手意識を持つ相手にわざわざ会う確率を増やしにいく行為はしたくないからよかったと思う気持ちが混ざって複雑な気持ちになる。いずれにせよ今先に行けば、神宮寺に会う可能性は少ないと考えていいということだろう。

「それより、早く行かなきゃ。遅れる」

善は急げだ、神宮寺を置いて行こう。俺はその一心で、二人を急かすように先頭を切って歩き出した。それで、少し会話が途切れたと思ったのだが、一十木がすっと隣にやって来て、何が楽しいのか笑顔で話しかけてくる。

「ねぇ、はどこのクラス?」
「クラス?いや、知らないけど」
「…え?」

一十木に驚いた顔をされて、こっちがきょとんとしてしまう。なんだ、その知ってて当然みたいな態度は。こういうクラス分けって入学してから決まるものなんじゃないのか。

「マサは知ってるよね?」
「ああ。入学前に冊子を読んだが、試験結果や自己PR書を事前に審査し、その成績順でS、A、Bの3つにクラスをわけている、とあったな」
「…へぇ」

ああ、そういえばそんな話だったような気もする。真面目に聞いていなかったというか、そもそも入学のしおりなんて分厚すぎて最初の数ページと大まかな部分しか読んでない。…あれ、それじゃあ俺はいったい何クラスなんだ。そういうクラス分けの話を見聞きした覚えがまったくない。

「…つかぬことを聞くんだけど、2人は自分のクラスいつ知った?」
「え?俺は入学者説明会の後の、オリエンテーションの時だったよ」
「俺も一十木と同じだ」
「そうそう。マサも俺も、Aクラスなんだ!」

これは、もしかしなくてももしかするんだろうか。オリエンテーションには参加したけども、そこでクラス分けなんてされなかった。不安な気持ちが一気に押し寄せてくる。

「ねぇ、はクラスどこか聞いてない?」
「…いや、真面目にわかんないわ」
「…えっ?!ホントに?」
「オリエンテーションには出席しなかったのか?」
「…いや、オリエンテーションは出た」
「そうか。…しかし、その日は日向先生からクラス分けについて話があったと記憶しているが…」
「クラス分けの話か…確かに日向先生はオリエンテーションに居たけど、クラス分けの話はなかったような…」

でも聞いていなかったなんてことはない。春ちゃんが入学する学校だからと、オリエンテーションでちゃんと起きていたのは間違いないのだ。しかも日向龍也、もとい日向先生もいたし、彼をアイドルとして好きなミーハー心も手伝って眠気などどこ吹く風だったのに。

「でも、俺オリエンテーションでを見た記憶ないよ。マサは?」
「…そう言われると、俺も記憶にないな」

黙っていた一十木が、ふと顔を上げて疑問を口にする。聖川も同意した。俺はそれに対して、一瞬ヒヤッとする。今の俺の姿とオリエンテーション時の姿が一致したなら、それは相当な審美眼をお持ちでいらっしゃる。オリエンテーションの時は女装なんてしていない。ただ、バレたらバレたで困るので、気がついていない様子の2人を見て妙な安堵感に包まれた。

「…そういえば私も一十木達は見た記憶ないなぁ」

しかし、こんなイケメン2人がいたら人目を引くのは分かり切っている。だのにオリエンテーションで一ミリも見なかったのは、なぜだろうか。一十木も不思議そうにこちらを見てきた。

「…日にちが違った、とか?」
「いいや、それはないだろう。オリエンテーションは、あの日程でしか行われなかったはずだ」
「うーん…だよなぁ」

謎が謎を呼ぶ。三人寄れば文殊の知恵と言った誰かに問いただしたい。これだけ考えても俺のクラスはわからない。初日からいろんなアクシデントに見舞われてきたためか、なんとなく諦めがついてきた。これ以上考えても仕方ない。

「あ〜、まぁいいや。先生に聞く」
「そうだな。これから入学式だ、会場にならば先生方もいらっしゃるだろう」

聖川も同意してくれたので、ここは先生を捕まえて尋ねるとしよう。会場に向かっていた足が止まっていたので、とりあえず進む。

「じゃあ、先生には後で聞くとしてさ!は何クラスだと思う?やっぱSクラス?」

歩き出すと、一十木が隣について構ってほしいというオーラを隠すこともなく聞いてくる。馬鹿野郎、俺は春ちゃんがいるAクラスに入りたいに決まっている。でも春ちゃんは努力家の天才で、俺みたいな適当で才能もない人間が肩を並べるなんて恐れ多い。極めつけに、ぼんやりと浮かんだのはシャイニング早乙女の顔だ。秘密を知っちゃってるから多分普通の学園生活は送れない。だとすると流れ的に妥当なのはBクラスだろう。そういう気持ちも込めて控えめに言う。

「…Bかなぁ」
「えーっ、それはないよ!なんで!?」

端的に独り言の声量で呟けば、一十木が力強く否定してくる。理由は言ってしまうとウッカリ全貌を話さなければならなくなるので、すんでのところで止める。

「…」
、そんなに自分を卑下しなくてもよいと思うが…」

黙ってしまった俺を見て、聖川も少し困ったように、けれど優しく話しかけてきてくれる。今はそれも俺を落ち込ませる理由の一つである。

「あ〜…うん。まぁ、試験全然できなかったし…」
「でも、俺も試験あんまりできなかったよ?」
「もう一十木はクラス決まってるだろ。私は一人別のクラスだ。そういう運命なんだ」
、悲観的になりすぎなのではないか?」

アニメでお前ら2人が春ちゃんと一緒のAクラスだったのを俺は知っている。主人公格の2人がBクラスなわけがない。などと言えたらどんなに気が楽か。慰めの言葉を聖川がかけてくれるが、焼け石に水である。もうこれは恐らく覆しようのない事実なのだ。

「そうだよ!そりゃ一緒のクラスがいいけど、もし俺とが違うクラスになっても、俺は友達でいたい!」
「クラスが違えども、友人になることになんの問題もないだろう」
「一十木…!聖川…!」

くっ、熱い。爽やかオーラが背景に見えるくらいには二人の心遣いを感じる。これがAクラスの友情ってやつなのか。なんて素敵なんだ。

「そんなイケメンなことを言うな!惚れるだろ!」
「ほ、惚れる?」
「あ、いや今のなし。言葉のアヤで」
「ええっ、惚れてくれないの!」
「しない!…はぁ、何を期待してんだお前は…」
「うーん、じゃあ俺諦めないから!」
「そういう問題じゃないからね!?」

俺の冗談を真に受けた一十木の全力のボケに、ついついツッコミを入れてしまう。あと俺は男だと言ってしまいそうになってぐっと堪えられた俺を誰か褒めて欲しい。

「まるで漫才のようだな」

聖川にくすくすと笑われて、俺は言葉にならない恥ずかしさを覚え、一十木の腹にパンチを決めた。
こうして入学早々、俺は漫才の相方を見つけるなんていう有難迷惑なことになりながらも、なんだかんだこれから始まる学園生活に胸を躍らせていた。