特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 4


!はやく!」

俺は今学園に続く住宅街を全力疾走している。赤信号で足止めを食らい止まっている一十木に、遅れてようやく追いついた俺は息も絶え絶えに文句を付けた。

「ちょっ…待っ…速いって!」
「だって急がないと遅刻しちゃうよ」

息一つ崩さず、いい笑顔で言い放った一十木のそれに毒を感じる。酸素不足で回らない頭だが、それでもなにやら文句を返された気分になる。慣れない女物の靴に服装でいれば、全力疾走にさえ気を使う。世の女性陣が走るのが遅い理由の一つを身を以て解明してしまった。

「はぁ、はぁ。…悪かったな、遅くて!」
「あっ、ご、ごめん!その、責めたつもりじゃなくて…」

すると慌てて弁明しだすから、こっちが辟易してしまう。こいつこんないちいち敏感に反応するほど、感情豊かだったか。初めて路上ライブの時会った表情とはまた違って、少し困惑する。

「…ごめんね、気分悪くしたよね」

少し息も整ってきて頭も回ってきたが、一十木が嫌にしょげかえるものだからまるで大型犬を相手にしている気分だ。

「別に、いい。…そんな怒ってないっての。察しろアホ一十木」
「いて!アホって、ひどいなぁ」

バシッと肩を叩いて貶してやれば、一十木は痛っと小さく悲鳴をあげると、俺を見た。怒ってないと意思を伝えたいために笑えば、一十木はそれに気がついたのかつられて笑顔を見せた。やっぱり一十木は笑っているほうが似合う。 ふぅ、と息をついて、俺は息を整えた。斜向いの車道の信号はまだ青を示している。ふと腕時計を見やれば、あと15分後には入学式が始まってしまう。ここからどう頑張っても15分はかかる筈だ。この信号が変わったら本気でダッシュしないと、そう思って一十木をふと見やる。

「ん?どうしたの?」
「いや、入学式着くのギリギリになりそうだな〜って」
「大丈夫、いざとなったら俺がを背負って走るよ!」

爽やかな笑顔でガッツポーズを見せる一十木に、俺は思わず吹き出してしまう。

「ぶはっ、なんだそれ、2人して遅刻するつもり?平気だって」
「そう?でも、無理しないで頼ってよ。これでも俺、結構鍛えてるほうなんだ」

この男、疲れたなんて言った日には本当に背負ってくれそうで恐ろしい。背負われて入学式に駆け込んだなんてことになった日には、俺の羞恥心が臨界点を突破する。男が男に背負われるとか、恥ずかしくて生きていけない。これはなんとしても頑張って走らなければ。 一十木には苦笑いで返して、斜向いの信号に視線を逸らす。あと少しで信号が青になる。お互いに無意識のうち、走り出そうと構える姿勢になっていた、そんな時。

「いたっ」

隣の一十木が悲鳴をあげた。何事かとそちらを見ると、一十木が驚いた顔をして頭を手でおさえている。足元にはボールがあって、彼は緩やかに坂を降りていこうとするそれを拾った。それで俺は、ボールが一十木にぶつかったと察するに至る。

「…大丈夫?」
「あ、うん、俺は平気!は当たらなかった?」
「や、平気だけど」

一体どこからこのボールは転がってきたのか。住宅街ゆえに公園もないし、返そうにも遊んでいたであろう子供の姿はおろか、声も聞こえない。可愛い女の子向けのデザインがされたボールを一十木は手で転がしながら、周囲を見渡す。

「おにいちゃん!それ私の!」

すると突然、女の子が信号横の向かいの路地から飛び出してきた。俺はまずい、と思った。信号は赤だ。黒塗りの車が緩やかな勾配の坂の下から、ちょうど登りきった様子が見える。このままだとぶつかってしまう。そう思うと、身体が勝手に動いていた。腕を伸ばして女の子の肩を押し、歩道に突き飛ばすことになんとか成功した。俺も路肩にどかないと、そう思うものの、車は近くまできている。間に合わない。

!」

キキー、とブレーキの音が響き渡る。一十木が大声で叫ぶ声が遠い。俺は無意識に目を閉じた。ブワッという風を肌に感じて、車の接近がスローモーションのように視界以外の五感を刺激する。あんまり痛いのは嫌だな、なんて思うくらいには覚悟した。

「…っ!」

けれどいつまで経っても痛みはこない。ドアがバタンと開く音がして、俺はハッと目を開けた。運転手が慌てた様子でこちらに声をかけてくる。

「怪我はないか!」

生きている。しかも痛くもない。車は二車線を封鎖するように直角に停められていて、ぶつからなかったのだとわかった。運転手さんの慌てている表情に、咄嗟に返事をしなければと慌ててしまう。

「あ、はい!えと、…平気です」

あと数十センチ。本当にギリギリの距離にある車に、驚きを通り越して冷静になる。 ふいに歩道を見れば、女の子は無事だった。けれど驚いた様子で、地べたに座り込んでしまっている。

、大丈夫?!怪我は?」

一十木が大慌てでこちらに駆け寄ってくる。ボールを脇に抱えたまま、俺の肩やら背中やら、頬やら腕やら肩やら、ペタペタと触ってくる。

「ちょ…ないから。大丈夫だって」

その行動に苦笑して、俺は短く返す。一十木は息をついて安堵の表情になったと思うと、すっと女の子に視線を移した。そうだ、この女の子は怪我をしていないだろうか。そう思って俺は少女の前にしゃがみ込む。

「怪我はない?」
「う、うん、」

女の子は地面に座ってしまったから少しスカートに汚れがついているものの、怪我はしていないようだ。見た所幼稚園生ぐらいか、まだランドセルを背負うには小さい背丈のその女の子が立ち上がるのを手伝う。ついでに服の汚れを軽く手で落としてやる。それから女の子は混乱していたのが少し落ち着いたらしく、俺の後ろをちらっと見た。視線を追って、一十木が後ろに立っているので合点がいく。ボールを返して欲しいのか。そう思って俺も見上げると、一十木は困ったように眉を下げて、それからすっと真剣な表情に切り換えると、俺の隣にしゃがんできた。

「ねぇ、君。交差点を渡るときのお約束は知ってる?」
「えっと…手を上げる…」
「うん、そうだよね。でももう一つ、その前のお約束があったけど、わかる?」
「んー…」
「答えは立ち止まってみぎひだり、だよ。車にぶつかって痛いのは嫌だよね」
「うん、」

ボールをぽん、と一十木が差し出せば、女の子は素直に受け取った。一十木は少女に笑顔を見せ、頭を優しく撫ぜた。

「もう飛び出してきちゃダメだよ。俺と約束!」

先程まで少し表情の強張っていた少女がみるみるうちに笑顔になった。

「…うん!わかった!ありがとう、おにいちゃん!」
「どういたしまして!」

微笑ましい。一十木は子供の扱いが上手いんだな。よく幼児向けの教育番組に出てきそうな体操のおにいさんみたいな雰囲気だった。あっという間に少女が笑顔になるもんだから、俺もつられて笑ってしまう。それで笑っていると、少女とぱちっと目があった。

「あの、おねえちゃんもありがとう!」

花が咲きそうな笑顔で、お礼を言われた。嬉しい、にはうれしいのだが。まさかおねえちゃんと呼ばれるとは…。若干ショックをうけて固まって何も返せない俺を華麗に放置し、少女は無邪気に路地の奥へ走っていった。少女の母親らしき人が、ペコペコとお辞儀をする。母親と合流した少女もブンブンと手を振るので、一十木は会釈しながら手を振りかえした。

「…お前、子供の扱い慣れてんな」
「そうかな?まぁ、子供は好きだよ。元気いっぱいで、可愛いし」

くすっと一十木は笑って、それで少し目を細めて親子を見送る。その横顔に少し違和感を覚えながらも、俺は息をふぅ、と吐いた。無意識のうち息を詰めていたことに気がつく。それで今更恐怖と安心が綯い交ぜになって襲ってきて、俺はへろへろと地面に座り込んでしまう。

!」

座ったはいいが、あ、と思った時には既に意識がふっと暗転して、後ろに倒れそうになる。まるで貧血のようにクラクラして、腕を伸ばして支えをつくろうとするもそれさえままならない。地面とぶつかるのは避けられないかと思っていると、ぐっと肩を支えられて免れることができた。一十木に感謝を告げようと顔をあげれば、そこには。

「大丈夫かい?」

どアップでイケメンの顔を拝むことになり、俺は違う意味でまたクラッとした。ギリシャ彫刻のように彫りが深く、甘いマスクに緩やかな弧を描く微笑みが乗せられている。驚きで悲鳴を上げなかった俺自身を褒めちぎりたい。

「君、顔色が悪いよ。ずいぶん無茶をしたね」

そう言って突如現れたこの男、神宮寺レンは左腕を俺の肩に回しながら、足に右腕を通そうとする。何をしようとしているかわかった瞬間、咄嗟に神宮寺の右手首を掴めたのはほぼ奇跡に近かった。

「いい、自分で立てる」

神宮寺にお姫様抱っこをされてはかなわない。それならいっそ一十木におんぶしてもらったほうが数百倍マシだと思い、俺は腕を突っぱねて断った。

「…ふぅん、そう?」

一瞬驚いた顔になって、腑に落ちない、といった風に神宮寺がジロジロこちらを見てくる。このイケメンは、どうせ女に拒絶されたことがないんだろう。ここまでイケメンだと嫉妬する気さえ起きない。変に悟りを開きながらも、俺は自力で立ち上がった。神宮寺の顔のどアップのインパクトが強すぎたのか、先程まで緊張していた気持ちや謎の貧血は少し和らいでいた。

「…あれ、もしかしてレン?」

それまで隣に居た一十木が、神宮寺の顔を覗き込むようにこちらを伺っている。親しげに名前で呼ばれた神宮寺もまた、俺と同じように立ち上がりながら、一十木の顔を見てふっと笑った。

「誰かと思ったら、イッキじゃないか」
「うわー、レン、久しぶり!」
「久しぶり。イッキは相変わらず元気だね」
「へへ、まぁね。にしても、あれから結局一回も会わなかったな」
「ああ、そういえばそうだったかな」

あの無類の女好きのイメージのある神宮寺が、あだ名までつけている。一十木の神がかったコミュ力には感服を通り越して感動すら覚える。それにしてもこの二人、一体いつ出会ってたんだろう。

「…知り合いなの?」
「あ、うん。学校説明会の時に、レンとは偶然同じグループだったんだ」
「はじめまして。俺は神宮寺レン」
「はあ…えーと、はじめまして。です」

なるほど、そういうことだったのか。一十木と神宮寺の接点があまりわからなかったが、それならば納得がいく。アニメでは入学前の試験日のシーンで春ちゃんとこいつらが偶然一緒になったことを知っている程度だし、そもそもあまりアニメの中で会話している印象がなかったから、改めてここが現実世界なのだと変に感動する。

「彼女かい?」

不意に神宮寺が主語もなく短く問う。ここには3人しかいないし、彼女という代名詞はここにいる人間には当てはまらない。俺が何事かと神宮寺を見れば、彼は一十木のほうを見ているようなので、俺もそれに倣ってそちらを見る。俺と同様キョトンとしていた一十木だったが、俺と視線が合うと顔が瞬く間に真っ赤になった。

「なっ、そ、そ、そんなんじゃないよ!」

そんなウブな反応をされては、さすがの俺も神宮寺の言った"彼女"の意味に勘付いてしまった。

「…なんでそんな挙動不審なワケ」
「へえっ!?べっ、別に普通だよ!」

いいか一十木。そういうのを普通じゃないって言うんだ。俺は男だぞ。よく見ろ。…と言ってやりたいが、それは俺の学生生活はおろか今後の人生が大変よろしくないことになるので言わない。女に見えているのは大変ありがたいのだが、嬉しくはない。なんとも複雑な気持ちになる。

「…一十木にはもっと相応しい子がいるだろ」

悩んだ挙句にフォローのつもりでぼそっと言えば、神宮寺には目敏く聞かれていた様子で。

「ふーん。イッキ、脈ありかな?」
「は?」
「え?」
「おっと、なんでもないよ」

ニコニコしながら手を横に軽く振っているが、神宮寺がだいぶ湾曲して俺の認識をしている雰囲気がする。脈あり、っていうと、つまり神宮寺は俺が一十木を好きだとでも思ってるのか。

「…話をややこしくするのはやめてくれませんかね。別にそういうんじゃないので」
「ふふ…ああ、わかったよ。オレはレディの味方だからね。手伝うよ」

俺がそう遠回しに否定すれば、神宮寺はますます楽しそうに笑い、目を細める。意味深な神宮寺の発言に鳥肌が立つ。しかも台詞がいちいちキザすぎる。頼んでもいないのに手伝ってくれるとは随分察しの良すぎる男だ。その認識は間違っていると、全力で訂正したい。

「ねぇ、どういうこと?」

一十木はよくわかっていない様子で、俺の袖をくいくいと引っ張って聞いてくる。俺は言葉に詰まった。俺が男だと一十木には言えるわけないし、なんで手伝う気になったかなんて、それこそ知るわけない。なにせあのプレイボーイという言葉を見事に体現したような見た目と言動の神宮寺だ、思考回路が根本から違うのに分かるわけがない。そういう意図も込めて、視線で神宮寺を指してやれば、一十木はさらに首を傾げて神宮寺を見た。

「入学式まで時間があまりないだろ?学園まで乗せて行ってあげる」

神宮寺が道端に止めてある車を指してそう事も無げに言ったことで、俺は自分の勘違いを棚に上げ、神宮寺へのマイナスしかなかった認識をほんの少し、本当に僅かばかり改めるのだった。
世の中ギブアンドテイクだ。