特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 3


side@音也


少女は今、不幸に見舞われている。満員電車の中でスカートの下の太腿をまさぐられているのだ。俯いた少女の異変とその少女の後ろに立つサラリーマンの不審な動きに気がついたのは、そこから少し離れた位置に偶然立っていた一十木音也だった。痴漢にあっているその名も知らぬ女子が、自分と同じデザインのジャケットを着ていることから、同じ早乙女学園の生徒であると分かる。少女を助けないと。その一心で音也はサラリーマンに声をかけようと手を上げ、口を開きかけた。

パシッ。
「てめぇ、今痴漢しただろ!」
「ひいっ!いっ、痛い!」

しかし、音也が話しかける前に、力強い声と、サラリーマンの情けない悲鳴が車両内に響き渡った。音也より小柄で、ぱっと見普通の外見をしたか弱い少女が、サラリーマンの腕を掴み、ひねり上げているのである。

「い、痛い!おまえっ、何すんだ!」
「こっちのセリフだ!どこ触ったと思ってんだ!変態!」

普通の黒い髪の毛に、日本人らしい瞳の色。どこにでも居そうな普通の顔をした女の子であるが、この少女はとんでもなく気の強い性格であった。早口で痴漢をした男をまくし立てるその様は、音也が少女を助けようと伸ばしかけた手をすすっと縮こませるには十分な迫力を持っていた。

「ひっ」
「警察呼ぶ!お前も次の駅で降りろ!」
「お、俺はやってねぇ!」
「あぁ?言い逃れなんかすんじゃねぇ!」
「か、カバンだ!電車が揺れて、カバンが当たっただけだろ?!」
「んだと?!あんだけ触っといてよくそんなウソがつけるな!」
「ひっ、ぬ、濡れ衣だ!自意識過剰なんじゃないのか!?」

徐々にヒートアップする会話に、少女の語気もさらに荒々しいものになる。普通の女の子の高い声と比較するとドスの効いた低い声で紡がれるその声質は、女の子であるにも関わらず男らしさに溢れていた。

「拉致があかないな…おい、おと…そこの人!」

少女が噛みつきそうな視線を男から外し、音也のほうを見る。音也はこの時、息を飲んだ。
健康的な肌の色に、意思の強い瞳。うっすらと化粧をしているらしい少女の、どこか中性的な香りを滲ませる様にくらりとする。それは言うなら音也の好みのタイプど真ん中ストライクだった。少なくとも彼女は10人いれば10人が整っていると認めるであろう、大層綺麗な顔立ちをしている。しかし美人のキレ顔ほど恐ろしいものは無いと、何処かの誰かが言った言葉を音也が思い出す程度には、迫力があった。結果混乱をきたした音也は、彼女が自分に話しかけていると認識が出来ず惚けてしまう。結果、少女の眉間のシワはさらに深く刻み込まれるのであった。

「…おい、そこの赤い髪のお前だ!」
「えっ、あ、お、俺?」
「お前、こいつがお…っ…私に痴漢してたの見たでしょ」
「へ?」
「こいつの痴漢を立証するには第三者の言葉が必要なわけ。で、見たの?見てないの?」

少女は呆れたように話をしていたが、途中で語気が変わる。先ほどよりも少し声のトーンが高くなったが、音也は余計に混乱した。なぜか無理をして出している声に聞こえたのだ。不思議に思いながら、音也はとりあえず頷くことにした。

「う、うん。見た」
「よし。事情を話す時に証人が欲しいから、次の駅一緒に降りてもらっていい?」
「え、降りるの?」
「駅員に話して警察呼んでもらうから、証人で来て欲しい」

音也は学校はどうするのだろうかと思い、返事を躊躇する。これから入学式なのに、いくら早めに着くように出たとはいえ、入学式当日に遅れてしまっては元も子もない。その不安な様子が相手にも伝わったのだろうか、少女はいたって冷静に返してくる。

「こんなこと普通なら起きないことだし、もし入学式遅刻したとしても全部このおっさんが悪い」

それはそうだけど、でも入学式に遅れた時の理由がこれでいいのだろうか。音也には少女が根拠のない自信に溢れていると頭の隅で思いながらも、この少女なら大丈夫なのではないかと変に信じてみようという気持ちになった。

「で、来てくれんの?」
「…俺、行くよ!困ってる君をほおっておけないから」

音也がそう力強く意思表示すると、少女は先ほどまでのキリッとした表情を崩した。驚きに目を見開いて、それからすぐ目をふにゃりと弓なりに曲げ、照れ臭そうに笑う。

「…さんきゅ」

えくぼができる少女の顔が、眩しいと音也は思った。そして同時に懐かしいと感じる。あの日、雪の中歌を歌っていた青年がダブって見える。よく見れば彼女の顔は彼と瓜二つで、笑った顔のえくぼは今でも覚えている。でも彼女はスカートを履いているし、髪の毛も肩にかかるくらいの長さだし、なにより女の子だ。あの時の青年ではないと分かっていても、酷く懐かしいと感じる。音也は混乱した頭のまま、電車が駅のホームに止まったことによる揺れで、はっと我に返る。プシュ、と音が鳴ってドアが開いた。

「よし、じゃ行こう」

少女は何の迷いもなくあいたドアからスタスタと駅のホームに降りる。慌てて音也も後を追いかけた。腕を掴まれていた犯人は既に意気消沈していて、この数分の間に酷くやつれた様子だった。同情はしないが、音也はなんとなく心の中で痴漢の犯人に合掌を送る。のちに音也は、この彼女との出会いのきっかけとなった痴漢騒動に不謹慎ながら感謝の念を持つことになるのだが、この時の音也には想像すらつかず、ただこの少女と過去に会った青年との関係がなんなのかを悶々と考えてしまうのだった。

★★★
side@主人公


駅のホームを足早に歩く。後ろからは2人分の足音。痴漢男の腕をつかんではいるが、もはや抵抗の意志は見られない。一十木もおっさんの後ろから追いかけて来てくれている。そんな可笑しな3人組ということに加え、通勤ラッシュの駅のホームにごった返す人に「すみません、痴漢です!」と大声で言えば、皆モーセの十戒のごとく俺の進行方向を開けてくれる。列整理をしていた駅員2人が何事かと駆けつけてくれて、ここだと話もできないからと駅の改札口の側にある駅員室の近くまで移動する。駅員は若い男と初老の男で、俺と一十木で経緯を説明すれば、若い駅員は痴漢男にあからさまに侮蔑の表情を向け、初老の駅員は呆れたようなめんどくさそうな顔をした。俺が事情を話している最中、痴漢した男は先ほどの落ち着きぶりから一転して喚き出したため、駅にいた警備員に取り押さえられた。俺と一十木は警察が来るまで違う場所で待つようにと、駅員が普段休憩室で使っているであろう部屋に通された。

流石に朝のラッシュ時だ。駅も忙しいのに、人員を割いてくれている。若干の申し訳なさを思いつつ、林檎先生宛のメアドに痴漢にあったことと、一十木が一緒に居てくれているので2人で遅れるかもしれない、とメールした。送信が終わってから思ったがこれは後で林檎先生におちょくられるかもしれない。若干の頭痛を覚えつつ、一つだけある3人掛けのソファに既に座っていた一十木の隣にどかりと腰掛けた。革製のソファはそれなりの質があって、座り心地がいい。深くため息をついた俺を一十木が何事かと見てくるので、一応伝えるべきことは伝えておく。

「一応学園に連絡先知ってる先生いたから、遅刻するかもって連絡した」
「そうだったんだ。ありがと」
「いや、礼はいいって。むしろ巻き込んでごめんなさい。案外時間かかりそう」
「いいよ、こうなるのは薄々予想してたから」
「やっぱ遅れそうなら先行ってていいから、」
「あのっ!俺、君の力になりたいんだ。だから、俺もここにいる。…ダメかな?」

…さすが乙女ゲームのキャラクター。アニメの知識しかない俺だが、この時ばかりはそう思った。この台詞は男の俺でも面と向かって言われると照れる。イケメンだし声もいいから、破壊力がすごい。ぐっと言葉を詰まらせた俺に、なぜか覗き込むようにこちらを伺う姿はさながら犬だ。大きな耳と尻尾が垂れ下がっている。

「…ダメじゃ、ないけど。てか頼んだの自分だし」
「そっか!…へへっ、ありがと」
「なんでお礼を言うんだよ。…こっちの台詞だって」

なんとか言葉を返せば、彼は満足気に笑って、ソファに寛いだ。これで天然なら可愛いが、意図してやってるとしたら天使の皮被った悪魔だ。畜生。イケメンはどうして何言っても様になるんだ。イケメンに生まれなかった俺に詫びろ。そして爆ぜろ。

「ホントいい人だわ、お前」

絶対その性格でいつか損するぞ。なんて言葉にはしないが毒を込めて、乾いた笑みを浮かべれば、一十木はそんなことないよ、とごにょごにょ言葉を濁すような返事で、そわそわと視線を逸らした。

この様子だとこいつには男だとバレていない…と願う。こういう時ばかりは自分の成長スピードの遅さに感謝する。普段身長といえばコンプレックスの塊だが、この時ばかりは女装しても違和感のない身長だったから、複雑な心境だがそれが今は功を奏していると言わざるを得ないだろう。あと1年したら劇的に伸びると信じている。絶対いつか追い抜いてやるからな一十木。見てろよ。春ちゃんに相応しい男はこの俺だ。
にしても、やはり女装はするもんじゃない。母親にメイクレクチャーはしてもらって鏡で見た時はそれなりに女の子ぽく見えたものだが、やはりバレないか不安だ。そうして無言で隣に座る一十木を観察していれば、彼もこちらの視線に気がつく。そして何か言いたげに口を開くので、耳を貸す。

「そういえばさ、君、早乙女学園の…新入生、だよね?」
「うん」
「マジで?!」
「うおっ」

俺が学園の生徒と知って一十木はずいっと顔を近づけてくる。近い。思わず仰け反った俺に、さすがの一十木も気がついたらしく、眉を下げて謝りながらこう言った。

「あ、ご、ごめん。俺も今年合格して、早乙女学園の生徒なんだ。俺、一十木音也。君は?」
「お、…私?私は…」

俺は普通に名乗ろうとしてハッと止まった。危ない。俺は今女なんだ。ならば女の子の名前を言うのが正しい。確か月宮先生とアドレス交換した時に、学園ではこの名前で名乗ってね、って言われた名前があったはず。なんだったか思い出せないくらいにはパニックに陥っているのを感じながら、とりあえず苗字だけ名乗ることにした。

「…、
!?ホント!?」
「えっ、な、何?」
「あのっ、あのさ!君の家族に、さんっていない!?」

うん、それは俺だ。と返そうとしてぐっと飲み込めた俺を誰か褒めてほしい。

…そうだ。そういや、こいつ一回会ってる。確か俺の人生最大の中二病の時期に。あの時、こっちの世界に来て、どうも自分の生きてきた世界とはちょっと違うようだと違和感を覚え始めた頃。

シャイニング早乙女なんて芸能人が現れて、ダブルミリオンという伝説的な数字を叩き出した「愛故に…」という曲。そのタイトルと特徴的な声で、ここはもしかしなくてもうたプリの世界か?と疑念を持ったのがことの始まり。それから早乙女学園が開校すると話題になり、うたプリの世界であると確信した。

納得したと同時に大層興奮し、アニメで春ちゃんが路上ライブをしていた記憶があったから、今ならアニメ前の可愛い春ちゃんに会えるかもしれない!と妄想を爆発させた俺がとった行動は、春ちゃん探しだった。どこかに居ないかと路上ライブをしてる人の情報をネットの掲示板等でつかんでは、地元から都内までの広範囲を練り歩き、とにかく春ちゃんを探し回っていた。だがそう簡単には見つからず、一方で路上ライブしている人々に顔を覚えられ、しまいには仲良くなって。ちょっとやってみれば?なんて言われて、まぁ折角だしやってみるか、とかいうちょっと変わった感じで始めた路上ライブ。

そんなある日、雪の降る日に春ちゃんを探し回ったが見つからず、路上ライブの仲間にもよく飽きないな、なんておちょくられ、ヤケになって1人歌っていた時にやってきたやつが、この男、一十木音也だった。
その頃俺はうたプリの世界とはいえ、世界は広いからそうそう簡単にキャラに会えるわけがないとタカをくくっていた。近所に住んでいた弁当屋のイケメンの知人が早乙女学園に入学していた当時だったし、もう少し経てばそのうちST☆RISHの歌を聴けるだろ、なんて他人事のようにしていた。
そんな時、俺のへったくそな歌をじっと黙って聞いてくれた男。俯いててもイケメンだなこの野郎と罵倒しつつ、当時流行っていた曲を一曲歌い終えると、何故かそのイケメンは声をかけてきた。俺、音也。一十木音也っていいます。名前を聞いて、顔をちゃんと見てその時、あ、こいつあの音也か、と上から目線で思ったものだ。お世辞で褒めてくる一十木に、普通に俺も名乗り返す。お前のほうが上手いだろ、なんて茶化して当時流行ってた他の歌を歌わせたら、本当に上手くて俺が感動するハメになったなんてのは記憶にかなり残っている。雪の中だったからあんまり人通りはなかったけれど、音也の歌を聴いて、お金を置いてったお客さんだって居た。ホンモノのアイドルってこういうことなんだなとしみじみ思ったのもこの時だった。その横で音楽のCDを流しながら合わせでギターを弾いていた俺は、こんなところで未来のアイドルに出会えるなんてラッキーだ、などと楽観的に思っていたものだ。

結局、俺は雪の中何時間も路上ライブなんてしたせいか風邪を引いて3日ほど寝込んでしまったわけで。その時一十木とは連絡先交換もしないままであったが、それ以降俺は路上ライブをやめた。よくよく考えれば春ちゃんには学園で会えるではないかと、寝込んでいるうちに気がついてしまったのだ。なぜこんな非生産的なことをしていたのかと我に帰り、早乙女学園に合格するために必死になって勉強を始めた。
別に家族に音楽関係者がいるわけでもなく、幼少期からピアノやらバイオリンなどそうそう触れたこともない。まして五線譜は読めても、作曲などしたことがない。そんな俺が唯一できたことはカラオケとギターぐらいで、それも素人の趣味レベルだった。だから路上ライブで沢山イジってくれた方々が作曲家コースを志しだした俺に、熱心に指導をしてくださったことは本当に感謝してもしきれない。

だからここで俺が男だとバレたら、一十木の俺に対する印象がダダ滑りなだけでなく、周囲に迷惑をかけてまで積み重ねてきた努力が一瞬で水の泡になる、つまりは退学になりかねないのだ。特に退学の理由が女装がバレたからなんて本当に笑い者にしかならない。生き恥だ。いっそ死んだ方がマシと言ってもいい。俺にはそんなお先真っ暗な人生は無理だ。これはなんとしてでも墓まで持って行かねばなるまい。一十木が不審がる前に、なにかうまい言い訳を考えなければ。

「…あ〜…えと、、ですよね」
「うん。俺、さんと昔会ったことあって。たしか苗字が君と同じだったし、なんか似てるし。家族なのかな?って思ったんだけど。違う?」

どう返そうか考えていれば、一十木から会話のヒントが出た。そうだ。兄ってことにすりゃいい。そうすればバレないで済むだろう。そう思って俺は一十木に嘘をついた。

は私の兄です」
「あ、やっぱり!さんにそっくりだったから、びっくりしちゃったよ。ね、じゃあ君の下の名前は?」
「私の名前は…」

名前を聞かれて俺は一瞬詰まる。いや、会話の流れからすればごく自然なのだが。まずい、期待のこもった彼の視線が痛い。月宮先生はなんと仰っていたか。これから一年間嫌でも呼ばれる名前なのに、ここで間違えては一十木に不審がられてしまう。何が何でも思い出さないと。ええと、確か…

「…っていいます!」

やっとのことで名前を思い出せた。だからつい思わず、大きな声で自己紹介してしまったのだ。マズイ。こんなの違和感を覚えるに決まってる。

「へぇ、いい名前だね。よろしく、!」
「あ、う、うん…よろしく…」

けれどそんな杞憂とは裏腹に、一十木は嬉しそうに無邪気な笑顔を返してくる。変な安心感と疲労感がどっと襲ってきたところで、駅員が入ってきて一十木との会話が中断される。警察に事情を話してほしいとのことだった。俺は立ち上がって、一十木から逃げるような気持ちで部屋を出た。