特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 2


最後の音を鳴らしきって、指を鍵盤から離す。やっぱりいいピアノだ。家の安い電子ピアノよりも重厚感のある音圧だったし、学校にあるピアノともまた違う音色だった。つい弾いていて楽しくなり、ところどころ走ってしまった気がする。

そして最後の音が消えた部屋を静寂が支配した。それでふと、鼻をすする音がしてそちらを見れば。

「素敵……すごいわ、 ちゃんっ!」
「え、あ……ありがとうございます……?」

月宮先生がハンカチを握りしめ泣いている。そんなに泣くほどだったのか。戸惑いながらもお礼を言えば、次に目の前にどアップでシャイニング早乙女の顔が映り込んできた。またまじまじと見つめられる。2度目となれば流石に少し耐性もつくが、心臓に悪い。

「お前は…」

そう言ってシャイニング早乙女は黙って、そのまますっと顔を逸らした。え、なにを言いかけたの。気になるけどなんか怖くて聞けない。そしてアゴに手を当てて考え込むようにして、フラフラと俺から離れていった。微妙な間もあいてしまったし、いかんせん会話の突破口がない。

そういえばそもそも制服を交換したかったから来たのに、なんでピアノを弾いたり、入学できるかできないかみたいな瀬戸際に立たされているんだ。

「…あ、あの。それで俺の制服は男物に交換してもらえるんですかね?」

だいぶ空気を読んでいないかもしれないが、これで制服を交換してくれるのではと変な期待を抱いて、シャイニング早乙女に質問してみる。するとシャイニング早乙女は考え込む仕草を解いて、重々しく口を開いた。

「お前の作曲センスは、磨く価値がある宝石の原石だ。しかし、今のお前には、圧倒的に音楽を愛する心が足りていない」
「…音楽を愛する?」
「そうだ。音楽を心の底から愛した時にこそ、音楽はその想いに答えてくれる。しかしお前の音楽を想う気持ちは、まだ愛ではない。愛が足りていない」

確かに、俺はただ単純に音楽が好きなだけでやってきた。でも想いが足りてないとか愛じゃないとか言われても、どうも難しい。これ以上どう気持ちを込めろというのだ。春ちゃんへの愛を惜しめなく込めたつもりだったんだが。
というかシャイニング早乙女ってこんな真面目なイントネーションで喋るんだ、なんて少しレアな瞬間に遅れて感動する。

「でも、原石に大きな宝石が入ってるって分かるくらいには、素晴らしい曲だったわ。ねぇ、シャイニー。こんな素敵な原石、他の事務所にとられちゃっていいのかしら」
「ムム…」

月宮先生が、少し鼻声になりながらシャイニング早乙女に問う。自分が原石に例えられているのは文脈的に察することができるが、大げさな褒め言葉がむず痒い。羞恥に晒されながらも成り行きを固唾を飲んで見守っていると、唸りだしたシャイニング早乙女はまた黙り込んだ。かと思うと、ぽんと合点がいったように手を合わせる。そしてばびゅん、と勢いよく俺の側まで駆け寄ってきて、ニヤッと笑った。それも特上の嫌な笑顔に、俺は冷や汗が止まらない。

「ですがァ…男としての入学はァ〜…あ、ノンノンノンノン認めまシェーン!」
「そんな、シャイニー!」

月宮先生が悲痛な声を上げる。まさか入学式の3日前にして入学ができなくなるなんて、誰が予想しただろう。ただ制服を交換しに来たのに、どうしてこうなった。俺は目の前が真っ暗になりかけた。

「…私の条件を一つ、飲むというなら認めないこともないぞ」

もうダメなのかと諦めかけた矢先に、シャイニング早乙女は真面目な声色に変えてそう続ける。予想だにしなかった提案に俺は顔を上げて、藁にも縋る思いで問う。

「条件ってなんですか?」

「それは誓った者にしか教えまセーン。さぁどうしますか?入学しますか?それとも諦めますか?」

ここまで来て、二択を迫られる。入学できなくなったら、どうなる?長年の夢だった春ちゃんに会えなくなるくらいなら、飲めない条件なんてない。俺はシャイニング早乙女の顔から、目から視線を逸らさずに、腹の底から声をだして想いの丈を伝える。

「俺は、……俺は早乙女学園で作曲の勉強をすることを、諦めたくありません。だからどんな条件でも飲みます。聞かせてください!お願いします!」

最後のほうはもう頭を下げて、懇願するように勢いよく言い切った。そしてシャイニング早乙女は、これまでにないくらい、白く輝く歯を覗かせる笑顔を見せ、こう言い放ったのである。

「オーケーオーケー。では、ユーは性別を女として作曲家コースに入学してクダサーイ!心も見た目も女になりきって、1年間すごしてチョーダイッ」
「……はいぃ?」

正直に言えば、何を言っているのか理解できない。つい素っ頓狂な声を上げてしまったが、シャイニング早乙女は満足気に笑うだけで俺の間抜け顏をスルーし、話を進めていく。

「ラヴを感じるにはぁ〜ボーイとしての気持ちだけではなくゥ、ガールズの気持ちも知る必要がありマース!故にィ、一からパーフェクツを目指して頑張っちゃうべきなのヨ!というわけでェ、リンゴちゃん、Mr.改めMs. に女の子は何たるかを教えてあげるのデース!」
「りょーかいっ、ボス!」

語尾に音符でも付きそうな月宮先生の元気なお返事が聞こえて、俺は慌てた。

「ちょっ…えっ、待ってくださいよ!なんで俺が女装をしなきゃいけないんですか?!」
「ハーッハッハッハ!」

俺の反論にシャイニング早乙女は意味深に笑うだけで、突如窓辺に出てきたヘリからぶら下がる足場に捕まる。風が吹き荒れて、室内の書類をひっくり返していく。

「飲めない条件はない!そう言ったのはMr.、アナタでーす!では、サラダバー!」
「えっ、嘘、ちょ待っ……」

ヘリの羽の音に負けない、よく通る大きな声でそう告げられて、あっという間も無く遠ざかっていく。言い逃げされたと気がついて脱力したのは、シャイニング早乙女が遥か彼方の空の上で米粒ぐらいのサイズになった時だった。

「嘘だろ」

信じられない事態になっていることに現実逃避をしたくなってポツリと零すと、肩をポンと叩かれる。振り返れば、月宮先生が後ろで微笑んでいるのが見えて、救世主のように見えて縋りそうになった。

「さあ、こうなったらちゃんに似合うウイッグを探さなきゃね」

そうして月宮先生は悪魔のような言葉を俺に投げつけてきたのである。聞き間違いだろうか。

「月宮先生今何と仰いましたか」
「もう、月宮先生、なんて他人行儀な呼び方しないでちょうだい?普通に林檎ちゃんって呼んで」

語尾にハートマークが付いているとしか思えない言い方なのに、月宮先生がやるととんでもない破壊力だ。可愛い。可愛いものに弱い俺は先生の名前呼びのお願いを聞いてあげたいが、流石にこれから先生となる人を呼び捨てにしていいものか。葛藤し先生と睨みあうこと数秒。

「…その、流石に先生って言わないといけないと思うんで、林檎先生って呼びますね」
「えぇ〜、先生なんて堅苦しいから、取っ払っちゃっていいのに」

ぶーぶー、と音がしそうなくらい頬を膨らませて文句を言う先生は、俺より年上とは思えない。まぁ精神的には俺が年上ってことになるんだろうが、それにしても見た目も性格も可愛い人だと思う。

「さ、シャイニーの命令だし、手早く入学準備をしなきゃね!」

そんなことを取り留めなく考えていたら、林檎先生はさながらウィッグをこれから買いに行かんとばかりの雰囲気になっている。俺はナチュラルに話題をすり替えられていることに気がついて慌てた。

「ちょっ、林檎先生!」
「どうしたのちゃん。早く行かないと夜になっちゃうわ」
「イヤ、そうですけど、そうじゃなくてですね。俺、本当に女装して入学しないとなんですか?」
「そうよ」

そうして林檎先生に爆弾を落とされ、俺はついに考えることを放棄したくなった。まさか女装の準備をすることになるなんて考えもしなかった。齢15にして早々災難に見舞われている。俺は今年厄年だったろうかと頭を抱えずにはいられない。

「男の制服で入学したかったんですけど…」
「男に二言はないわよね?」
「それは…そうですけど女装って作曲に関係ないんじゃ…」
「どんな条件でも飲むって約束しちゃったんだもの。もう諦めた方が無難よ、ちゃん」

どことなく楽しそうな林檎先生に追い討ちをかけられている。俺のメンタルは既にボロボロだったから、もうこうなってしまうとヤケだった。

「…ああもう!わかりましたよ!行きましょう!女装の準備!」
「そうこなくっちゃ!まずはウィッグを買いに行くわよ!それから私服も何着か揃えないとね!」

ああ、確信犯だ。林檎先生は確実に楽しんでいらっしゃる。そうして俺は学園長室を出て、林檎先生が行きつけだと言うウィッグ専門店に向かうことになった。俺の虚ろな様子に、校門側の守衛室の男性の目がさらに白いものに感じられたのは言うまでもない。

その後は、林檎先生の車に乗せてもらって繁華街の中心に来た。林檎先生は髪の毛を帽子にまとめて、マスクをしているからか、そう騒ぐ人はいない。念のためということで俺も眼鏡とマスクをさせられている。車を立体パーキングに預けた後、エレベーターで登りスタジオのような場所を抜けて、林檎先生が行きつけだと言うウィッグ専門店に到着する。

「ね、ちゃんは何色のウイッグがいいの?」

そしてここで過去の俺が、学園長室に一緒に行った人の人選ミスをしたと、初めて痛感する羽目になったのは言うまでもない。

「先生なんでピンクなんですか?!黒でいいですよ黒で!」

薦めてくるウイッグがことごとくピンクだ。しかも春ちゃんみたいなボブ風ウイッグを林檎先生は推しに推してくる。一体何がそこまで林檎先生を駆り立てるのか全く理解できない。

「だってこのウィッグ見たとき、運命を感じたのよ。ちゃんが着けるためにこのウィッグは生まれてきたって断言できるわ!」

運命を感じたとかいうそんな安易な理由で春ちゃんの不可侵領域に土足で踏み入れていい気はしない。でも林檎先生の目の輝きが恐ろしいのはなぜだろう。俺がコメントに困っていると、林檎先生は痺れを切らしたのか俺の腰をぐっと掴み寄せてくる。逃げられない!なんてRPGに出てきそうなテロップが頭の中に一瞬よぎった。

「何がそんなに嫌なのかしら?」
「え、いや理由とかは別に、」
「ないならいいじゃない?」
「いや、ありますから!最後まで言わせてくださいよ!」

じと目で見てくる林檎先生の目力の強さに圧倒されつつ、俺は少し林檎先生から体を離すことに成功する。

「その、髪型と色味が、ある知っている人に似ているので、もしその人と会った時真似したんじゃないかって思われたら辛いんです」
「そうなの?ちゃんはその人とお揃いになるの嫌なの?」

お揃い。その言葉に俺は撃沈した。そうか、春ちゃんとお揃いならば被ることによる苦痛も多少和らぐのではないか。

「ふふ、満更でもないの?」

そんな安直なことを一瞬でも考えたら、それが林檎先生に伝わってしまったらしい。

「うっ…でも、せめて色は他の色が…」
「色味ならたくさんあるわよ!さ、どれがいいの?それとも銀髪とかかしら」

どぎつい赤や金髪、はたまた青いものまで林檎先生は勧めに勧めてくる。

「だから奇抜な色はやめてくださいって…!ああもう、わかりましたよ!これにします!これ!」

俺の理想の春ちゃんボブにすっと手が伸びる。さすがに色は自重して、自分の髪色に近い黒を選んだ。ニンマリと微笑む林檎先生の顔は見ないことにした。自分でもかなり流されている自信はある。

それからいくつか可愛い女の子が着るような服を林檎先生が見繕って、試着もさせられたのは言うまでもなく。俺はぐったりとした気分で自宅へと戻ったのであった。

★★★



そんな紆余曲折があり、入学式の今日。俺は男子学生用の制服を貰えぬまま、女子用の制服を身につけている訳である。学園だと学園長と月宮先生だけが俺の正しい性別を知っていることになる。

まぁ、元はといえば俺がほんの親切心とその場の流れで彼の手紙の宛名、シャイニング早乙女の本名を知ってしまったからだが。…だからってあんなシリアスな場面であんな女装して入学なんて条件は、普通思いつかないしありえないだろう。しかしあの泣く子も黙るシャイニング早乙女だ。ありえないことを当たり前にしてしまう平成を代表するトップアイドルである彼に宣戦布告でもしたら、それこそ本当の意味で芸能界人生を棒に振りかねない。それで、女子生徒の服を着て、一年間の貴重な青春の時間を女装して過ごすハメになってしまったわけだ。

なんだって早乙女学園に受かってからというもの、俺に精神的苦行をおしつけてくるような出来事ばかりなんだ。俺はなんとしても作曲家コースとして春ちゃんとお近づきになりあわよくば恋人、いや欲を言うなら結婚したいとさえ考えているというのに!あとできるならば、ST☆RISHの曲も聞きたい。個人の曲も好きだが、グループの曲が一番好きな俺にとっては是非とも聞いてみたい。特に1000%の曲は一番好きだ。ああそれにしてもまだ春ちゃんに会えてない。早く学校に行かないと、春ちゃんに会えないじゃないか!なんのために音楽の勉強を始めたかといえば全て春ちゃんのためだ。春ちゃんは可愛い。俺の天使だ。

とまあ、そんな感じで衝撃的な入学条件を突きつけられたあの日。ウイッグと女子用制服と共にとぼとぼと帰宅して報告すれば、両親に爆笑され、母親に至ってはノリノリで化粧を教えてくるし、父親はウイッグまで被った俺を見てこんな娘が欲しかったと言い出す始末だ。両親の順応性の高さとノリの良さはいっそ清々しいほどに殴りたくなる。畜生、なんで俺の家族はこんなのなんだ。俺が可笑しいのか。

「はぁ」

ため息をつきながら角を曲がる。この時、これまで起きた出来事とこれから先の人生に深い悲しみを覚えながら歩いていたから、注意が散漫になってしまっていた。

「っ?!」
「いっ!?」
ドン、

出会いがしらに何かにぶつかった。強く俺の鼻を打ち付けて相手にダメージを与えてしまったみたいだが、俺も鼻が痛いのでおあいこということにしたい。しかしぶつかった相手は誰だ。女性だったら申し訳ない。

「、っすみません、大丈夫ですか」
「あ、はい、こちらこそすみませっ…?!」

低い声に相手の性別が男であると認識し、顔を上げれば。そこには朝テレビで見た顔があった。俺にばっちり顔を見られて、しかも驚いた反応をされたトキヤはさすがに一瞬たじろいだ様子だった。

「…私の顔になにか?」

不機嫌なシワを眉間に寄せて、律儀にこちらに問うてくる。あ、これは間違いない。アイドルHAYATOじゃない、一ノ瀬トキヤの顔をしている。それによく見たら早乙女学園の男子制服を着ているではあるまいか。

「あ〜、イエ、なにも」
「ではなんですか」

ファンサービスの頭文字すらない態度に一人納得し返事すれば、トキヤは余計表情を曇らせた。

「えーと、うん、その、早乙女学園の制服を着ているな〜と思って…」
「……」

適当に言い訳すると、トキヤの表情が一瞬で呆れた顔になる。わかるぞ。お前は今俺をバカにしている。着眼点そこなんですか、というニュアンスの言葉を言いかけたんだろう。俺もそう思う。咄嗟に出た理由がこんなにお粗末では仕方ない。にしても、こんなに表情に出やすいやつが、あの朝のHAYATOと同一人物かと思えばしっくりくる。確かに根は一緒だ。別人でもなんでもない。

「あなたも着ているでしょう」
「いや、そうなんだけど…あ〜、いいや、本当になんでもないので」

なんか会話が平行線を辿りそうだ。俺も電車の時間が近いし、あんまりかまってる場合じゃない。トキヤもトキヤで目線が俺の横を見ている。もしかしたらロケの車待ちでもしてたんだろうか。だとしたら確実に俺は邪魔だ。

「じゃあ、…その、遅刻しないように」

さっさと退散するに限る。俺はそう思い、そっと横によけた。

「…あなたこそ」

トキヤは不思議なものを見たという微妙な表情のまま、俺が開けた道を足早に去って行く。

第一印象のあまりの悪さに、去って行くトキヤを見送りながら俺は吹き出してしまった。あれでは友達できないのも納得がいく。しかしまさかこんな道端で、かなりベタな出会い方をするとは予想外だった。 ひとしきりニヤニヤした後、俺も学校に向かわないとと歩を進めようとしたところ、視界の隅できらりとなにかが光った。

「…ん?」

何かと思いしゃがみこんで拾えば、それは鍵だった。もしかして一ノ瀬のものだろうか。カバンにつける金具が開ききっているし、これは落とし物で間違いない。キーホルダーやストラップの類が一つもついていない随分シンプルな鍵だ。名前はないから一ノ瀬のものとは断言できないが、可能性はある。あいつも今から学園に行くのは間違いない。だとしたら顔も目立つからすぐどこにいるかわかるだろう。

仮に一ノ瀬のものでなかったとしても、貴重品であることに変わりはないし、持ち主が無くしたら困ってしまうだろう。鍵は預かってやるか。もしそれで一ノ瀬が自分の物じゃないって言ったら、交番に落し物として届けよう。そんな安易な気持ちで俺は鍵をポケットにしまった。そして急ぎ足で駅までの道を辿った。