花粉症のなおしかた



03:リヴァイ、おとす。



途中遭遇した新兵達に声を掛けたことで、ハンジの行方に検討がついたリヴァイは、を引っ張ってハンジの研究室にノックもなしに飛び込む。普段だったら絶対することのない不躾な行動だったが、おどおどした態度がデフォルトのでは、一週間、下手したら一ヶ月かかってもハンジの研究室に飛び込むなんてできないために、リヴァイは代わりに扉を蹴って開けてやるのである。ジョシュアは扉を失い役目のなくなった蝶番をチラチラ気にしながら、ティッシュ箱を抱えびくびくしつつ、何か言いたげな視線を彷徨わせていた。リヴァイがそれに気がつくと、その視線を察知したらしいはキュッと口を噤んだ。

見た目こそ天井に着きそうなまでの巨大な男なのに、こういう対人のやり取りは恐ろしく不器用なのである。最初の頃こそ痺れをきらしてにもっと自信あるように振る舞えと感情を露わにしたものだが、は他人に迎合するようでいて案外頑固、そして毎日のようにハンジにいたずらされるのを分かっているくせに謝られると許してしまう愚直さを持ったバカ。しかしそれでこそジョシュアなのである。リヴァイは自分にそう思い聞かせることで、自分を宥めていた。

研究室は書類や本で足場もないほど埋め尽くされていた。リヴァイの記憶の中にある約1ヶ月前の部屋はもう少しマトモな景観だったはずで、窓際の壁にうず高く積まれた本は無かったし、まして本棚には一冊も立てかけてある本はなく、からになった棚には目でわかるくらいのホコリが積もっていた。強烈な薬品の匂いが鼻をつくので、リヴァイは咄嗟に鼻をつまんだ。鼻の詰まっているは、鼻も摘ままず居心地悪そうに視線を右往左往させていた。得体の知れないビーカーがずらりと並んでいる木製の机の向こうに、人の気配を感じる。ややあって、蹴り飛ばされた扉が引き起こした雪崩で出来上がった様子の本の山から、ズボッと腕が伸びる。白いシャツを纏う腕が突如現れたことに驚いたらしいが大袈裟に肩を揺らすのを、リヴァイは視界の横で捉える。ヒョロリとした腕が徐々に本の山を崩していき、茶色い頭が見えるとそこからモグラのように人が飛び出した。

〜〜〜!」

誰の目から見ても、この瞬間のハンジの破顔っぷりには狂気しか感じられない。リヴァイは心の中で盛大に舌打ちをした。理由は言わずとも分かっている。この後に起きるであろう惨状を連想してしまい、そして現にそれが目の前で起きようとしていることだ。そしてそれを止めるだけの気力が湧かない。

「あああぁ!おれのマスクうう…!」

そしてで、ハンジが吹き飛ばした本とリヴァイが吹き飛ばしたドアの下敷きになっているマスクとゴーグルを目撃し悲鳴を上げる。ゴーグルの半透明な部分は分厚い辞書に中央ど真ん中どストライクで打ち破られており、さらに扉のノブに押しつぶされたらしいマスクはひしゃげ、およそ口元に着けられる形状を保っていない。つまりいずれのものも、無残な様相になっていた。リヴァイは1ヶ月前にも似た形状になったマスクの犠牲を思い出し、同時に今回ばかりは酷い惨状のマスクの原因が、自分にもあることにあんパンの薄皮一枚ほどの申し訳なさを感じ、心を痛めた。

「どうするんだよぉハンジ!おれのマスク壊れちゃったら出かけられないじゃないかあああ」
「おおっ、今日も見事な花粉アレルギー反応だね、!」
「酷い!なんでそんな、おれのマスクとったのはハンジじゃないかぁ!」
「マスク?ああ、そこの机に置いてあるだろ?」
「ちがう!マスクはここ!」
「ん?…あー、マスクまた壊れたんだ?毎度運が悪いねぇは」
「どう考えてもハンジが持っていかなければ壊れなかったよぉぉぉ!」

はボロボロと涙と鼻水を堰き止められないダム湖のように噴出させ、目も当てられない顔になってハンジに縋る。ハンジよりも身長が高いなので、第三者の視点からすると、巨人のような男が普通のサイズの人に掴みかかっているように見える。しかしその状況に陥ってなお、興奮したように荒い息をするのがこのハンジ・ゾエという人間である。

「それはない!確かに持って行ったけど、私は机に置いてから触ってない。だから壊してないのさ!」
「あああどう考えてもハンジが持って行ったからじゃないか!」
「持っていくことと壊れることは必ずしもイコールじゃないだろう?何の話をしてるんだい。たかがマスクさ、また作ればいいじゃないか。ほら、涙をこの脱脂綿で拭いて。サンプルにするから!さぁ早く!」
「い、嫌だ!それに花粉とかついてるんだろ!前のアレ、覚えてるんだからな!もうハンジなんて信じない!」

リヴァイはここの一連の流れで、が被害を受けるであろうことが、予想であったものの分かっていた。分かっていたからこそ、一層涙目になってこちらに助けを求めるような視線を向けるをほおっておけるほどの図太い神経をリヴァイが持つことは出来なかった。

「おい、その辺にしとけ…」

しかしリヴァイの忠告は一歩遅かった。ハンジがおもむろに振り上げた右手に瓶の容器が光って、全開に開いた容器の蓋がリヴァイの視界に飛び込んできたとき、は大口をあけて宙に舞ったものをしっかり吸い込んだのである。窓から差し込む長閑な昼下がりの日差しは、大量の粉末が飛び散る様子を鮮明に映し出していた。

「…ふぁっ…ふぁっぐしゅう!」

そして目をつむりたくなるような惨状が広がった。の口を抑えようとした手は間に合わず、唾液とも鼻水とも涙ともとれる液体が、目の前に立つハンジの上半身に向けて惜しげなく注がれた。リヴァイはほんの数刻前に自身に起きた惨状を思い出してしまい、少し眉を顰めた。

「ずびっ、…あ…う、うわあぁぁ!ハンジぃぃごめんよ!ごめっ、ごめんなさいいぃぃ」

硬直するハンジに顔を真っ青にして謝罪を繰り返すは、ボロボロ涙を流し大慌てでティッシュを引っ張り出す。ハンジにかかってしまった鼻水のようなツバのような液体を拭おうと跪いた。プルプルと震えるハンジにリヴァイは気がつくが、拭くことに一生懸命なは気がつかない。そしてハンジは伸びてきたティッシュを握るの手首をガッと掴んだ。

あぁ君は本当に最高の巨人だよ!!!巨人もコショウでくしゃみをするんだね!!!しかもこんなに沢山実験用の涙と鼻水を提供してくれて…っ!どこから喜んだらいいんだ?!ああ!このままちょっとだけ唾液も採取させてくれよ!ちょっとだけ!先っちょだけだから痛くない!痛くないよ!安心して!!」
「ぐぇぇ」

研究者として優秀であるといくら頭では理解していても、支離滅裂な言葉を喚き散らし、大男のを押し倒したハンジのほうがよほど巨人らしいとリヴァイは思った。そして手際良く飛び散った液体をスポイトで採取する様子に、酷く頭痛がするのも無理はなかった。

床にひっくり返ったは、いよいよなにが起きているのかわからない様で、口を開けハンジを見上げてボケッとしていた。だがそれでやっとハンジの目の下にクマを見つけ、ハンジの意識が睡眠不足により混濁していることを理解し、アタフタと困りだした。ぐっと上半身を起き上がらせてハンジの両脇に手を入れて膝の上から浮かせ、そのまま子供を持ち上げるかのようにハンジを持ったまま立ち上がった。普通の男でもハンジを持ち上げるのは骨がいるだろうに、そんなことは御構い無しには彼を連行された宇宙人よろしく持ち上げた。ハンジの足は地面にはついておらず、ぷらぷらと揺れている。

「ハンジ!クマがすごいじゃないか!ま、また寝てないの!?ちょ、起きて!おれ巨人じゃなくてだよ!人間!」
「何言ってるんだ?は巨人だろう?花粉症の巨人!」

ハンジはにガクガクと揺らされながら嬉しそうな顔をしている。的外れでいてあながち間違いではないその名称に、リヴァイは納得しそうになった。

「か、花粉症の巨人…?いかにも弱そうな巨人だな……どんな行動パターンなんだろう…」

ハンジの名称を聞いたで、キョトンとした後、その単語が自分を揶揄していると紐付けることができなかったようだった。首を傾げ、持ち上げていたハンジを床にそっと下ろしながら、なにやら物思いに耽っている。リヴァイはのオツムの弱さに頭痛がした。どこをどう聞いたら自分で無いと勘違いできるのか、リヴァイにはさっぱりわからなかったが、こうでなければジョシュアではないとも思った。彼は巨人という言葉を聞くと、見境なく分析を始める傾向がある。この可笑しな脳味噌でなければ、こいつは今補給班長などという役を与えられていなかっただろう。とはいえ流石にここまでくると、リヴァイにも思うところがあった。

「おい、
「えっ?あ、どうしたの、リヴァイくん」

考え出して背を丸め出したの背中を強く叩いてやる。普通の兵団員なら悲鳴の一つでもあげそうなリヴァイの痛烈な一撃だったが、は悲鳴はおろか噎せこみもせず、それに痛みすら感じていないようで、普通に返事を返す。

「奇行種からとっとと離れろ」

ファンシーなピンクの縦ストライプ柄パジャマを掴み、ググッと引っ張る。少し繊維が千切れた音がしなかったわけでもないが、穴が空いたわけでもないようなのでリヴァイはそれ以上気にすることを止めた。とにかく親切心が爪の薄皮一枚ほどはあったため、がこれ以上ハンジの魔の手にかからぬようにとリヴァイは提言した、つもりだった。

「あっ、ご、ごめん、なさい」

ところがはリヴァイの言い方に逆に棘を感じてしまい、先程までのハンジへの反抗的な態度はなりを潜め、今度は借りてきた猫のように大人しく縮こまってしまう。それがリヴァイには面白くなくて、無意識のうちますます眉間に皺が寄ってしまう。そしてそんなリヴァイを見たは、リヴァイにとってハンジは特別な人だと思い込んでいたため、あまり話しかけてはいけなかったと反省する。そしてリヴァイを不快な気分にさせてしまったのだと勘違いして、一層申し訳なく感じ縮こまるのである。

「うわ!リヴァイなに苛めてるのさ!」

そしてそんな2人の感情の機微を知ってか知らずか、とことん空気を読まないのがこのハンジという人間であった。

「お前に言われたくねぇ」

しかし普段いつもハンジがのことを文字通り構い倒しているのだから、その本人に言われることは心外だった。リヴァイはため息をついてハンジを睨む。

「お、おれ、別にリヴァイくんにいじめられてるとかでは…!」

もフォローするようにハンジに言えば、ハンジは何を考えているのか、ニヤニヤしながらリヴァイを見てきた。リヴァイはその嫌みったらしい笑顔を一発、いや、一発と言わず気が済むまで殴りたい衝動に駆られる。

「むしろハンジにいつもいじめられてるような、」
「イジメなんてとんでもない!可愛いへの愛情表現だよ」
「ハンジ、おれ男だよ?」

はあと少しの所で自分がハンジの被害を大いに被っていることに気がつけたのだが、ハンジが訂正し、単純なはハンジの話のすり替えに気がつかない。

「…そうじゃねぇだろ」

あまりのボケ具合にリヴァイが頭を抱えたくなった。そうじゃない。リヴァイはに、突っ込むところはそこじゃないのだと教えてやりたかった。しかしその教えることをしても、ここまで馬鹿なを泥沼から救う手立てがわからなかった。そしてハンジはハンジで、そんなの行動一つ一つが巨人にしか見えず、研究心を擽られて興奮しだす。

「ああ〜!これだからは可愛いなぁ!やっぱりこの花粉サンプルぶちまけてどうなるか観察したい!」
「ひ、ひぃぃ?!い、いやだ!ハンジ、ハンジ落ち着いて!」
「私は至って落ち着いてるよ、。君の花粉症はいまに始まったことじゃないしね。だから今回も用意したんだ」
「な、何を…」
「前はスギ花粉だったけど、今回はブタクサの花粉を採取することに成功したんだよ!」
「ああああ!それゼッタイダメ!ハンジこっち来ないで!本当に無理!怖い!無理だって!」
「そんな怯えないでいいよ!今度はこの花粉を摂取してみよう!?はやくこっちに来て貴重な巨人のサンプルを採取させてくれ!」
「うわああああこっち来ないでよおおおおお願いだからあああ」
「試してみないと君が何にアレルギー反応を示すのかわからないだろう?!はやくこの袋の中身を嗅ぐんだ!さぁ、!」
「やめてほんとにハンジそれダメ!こっちくんなっ、うわあああああんなんか目がかゆいよおおおおリヴァイくん助けてえええ」

透明なガラスに入れられた茶色い物体は、先程のコショウではなかった。が花粉症であるということにハンジが研究対象を広げている様は、見ている分にはこちらに被害はなく何ら支障はない。しかし、がこちらに必死になって逃げてくるのがあまりに不憫なのと、その後ろで腰に抱き付いて離れない奇行種の悦に浸った表情が今晩の夢見を悪くしてしまいそうだったため、リヴァイはハンジをからべりっと引きはがし、その手に握られた瓶を奪って窓を開けて、外に投げてやった。

「あああああ私が一生懸命集めたブタクサ花粉たちいいいい」

ハンジは落ちていった瓶の回収に向かう。ドアのない出口から疾走していったハンジを見送って、リヴァイは何度目になるかわからないため息をついた。窓の外から誰かの悲鳴が聞こえて、もしかしたら誰かの頭にでも落ちたかと様子を見ようと窓に近寄ろうとすると、その前にぬっと大きな影が足元に落ちて、顔を上げればそこには涙でぐしゃぐしゃに歪んだ顔でこちらを見下ろすがいた。

「リヴァイくん!本当に君は…君ってやつは…!大好きだ!」

感極まって抱き付いてこようとするがあまりに暑苦しいのと、鼻水まみれのの巨体が迫ってくる様子はなかなかに凶悪である。リヴァイとしては、またしても身に着けている服についてしまうのはこれ以上はなんとしても阻止したい。その一心でつい、窓枠に向かってを蹴り飛ばしてしまうのであった。


(あ、あれっ…お、落ちてるううう!ひぃ!ああ!あ…危なかった!窓枠つかめてよかった…)
(!なんでそんなところに居るんだい?)
(ヒッ…ハンジ?!)
(まったく、実験に協力するなら早く言ってよ!さあ!早く降りておいで!)
(あああああリヴァイくんの裏切者おおおお助けてえええ)
(…しまった)

2014/05/15 aioi