雑踏昆奈門の場合

私の知人はキチガイである。

「俺、もうすぐ死ぬんだ」

伊作くんと同じ組の友人だという、年相応の面立ちで笑うこの少年 は、あたかも世間話を始めるような雰囲気でこんな口火を切った。そうか、と有り体な返事で会話が止まったのと同じ時、私の思考も止まった。何が起きたのか回想してようやく、少年が何と言ったかを音として認識し、頭の中で音から文字へと変換することに成功する。そこまでしても、少年の言いたいことの9割もわからなかった。でもなんとなく、この少年が突拍子もないことを言うのが好きなのではないかと想像するには十分な一言だった。

「…何を言っているの、君は」
「あ、信じてないな?こんなに俺は貴方を信じているというのに」
「信じるも何も、君と会うのは初めてだよ。忍術学園6年は組のくん」
「おおっ、流石タソガレドキ忍者隊首領ちょっとこなもんさん。情報収集すげー。ま、伊作くんおしゃべりだもんねぇ。ん?でも知っているなら初対面とは言わなくね?」
「…あのねぇ、」
「あっ、こなもんさんの目が座った。怒った?怒った?暗器出す?出す?つか出せ見せろ」
「そんな簡単に出さないよ。あと私の名前は雑渡昆奈門ね」
「チッつまらん…あ、いや、ちょっと粉もんさんその目どういうことそういう目をいたいけで純情で素朴な15の美少年に向けるのはやめて」
「…あぁ、確かにいるみたいだね」
「こっちだよおおおおお俺の後ろのほう見ながら言うなよおおおそもそも誰もいねぇよなにこれホラー?ホラーなの?まさかの霊媒体質?見えるクチだったの組頭!すげぇかっこいい除霊してください!」
「ヤだよ」
「ケチくせぇ大人げない!子供の夢を壊すとか非道!ちょっとは除霊の素振りぐらいしてもいいじゃん!」

加えてこの少年は口が回る。口八丁手八丁とは彼のためにあるのではないかと思うほど、よく舌が動く(会話の内容は身も蓋もないが)。そして表情も面白いほど豊かで、見る者を飽きさせない。今は膨れっ面の少年を横目で適当にあしらいながら、敵をどう撒くか考えていた。

私は今しがた偵察で潜入してきた城の忍隊に追われている。本来このように知人の友人の世話などしている場合ではない。だが、捕まった。伊作くんの不運が移ってしまったのか、このとやらいう少年は、大声ではないものの隠れている私の隣に突如として現れたかと思うと、わちゃわちゃ絡んでくる。まだ敵の気配は近くにないから良いが、流石にこれ以上騒がれてはたまったものではない。かと言って下手に動くと、この少年も着いて来て、私の所在が敵に見つかってしまうかもしれない。変な話、この少年は忍術学園の某三人組を彷彿とさせる節がある。以前伊作くんから は忍術学園の生徒だと聞いていたから、名前だけは知っている。少年の素振を見る限り、伊作くんも私の話をしているのだろう。知人の友人をあんまり無下にしてもかわいそうだし、なによりそういうことを言うともっと喧しくなりそうな、そんな変な確信があった。私は正直早く敵を撒いて城に帰りたいのだが、少年の存在がその望みの目の前に立ち塞がり、邪魔をしていた。

「それでさ、伊作ってばなんて言ったと思う?君は本当に馬鹿なんだから、もう少し馬鹿なりに行動を善処してみたらどうだって言うんだ。俺は第一馬鹿じゃないんだから、伊作は前提を間違えているね!俺は馬鹿じゃない。能ある鷹はなんとやらって言うだろ?あれと一緒だって言ったら、馬鹿も休み休み言えって返してくるもんだから、さすがの俺も堪忍袋の緒が切れてさ。俺が馬鹿じゃないことを証明しようと思って、中間テストの座学と実技で満点とってやったよ。その時の伊作の驚きっぷり!あー今でも思い出すだけで腹がよじれるね!我ながら天晴れ!6年間の集大成って感じだったな〜。あ、でも卒業テストはどうしよう?このまま満点取ってもいいけど、どうせ就職する気ないし、今更内申点とっても意味ないし。主席卒業狙っている文次郎くんとか仙蔵くんに申し訳ないからやめとくかなあ。でも俺が平均点ぐらいを取ると文次郎くんと仙蔵くんが手を抜いただろうって怒るだろうし、伊作くんにもまた馬鹿にされそうだし。ううーん、どうしたものかな〜……あ」


先ほどまでの私に対する怒りは何処へやら、隙も暇もなく喋る。独り言なのか、私に聞かせているのかわからない言葉がくどくどと続いていたが、その言葉がぴたりと止まる。明後日の方向を向いていた私は周囲の静寂が耳の中に一気に雪崩れ込むのを感じる。そしてその中に、山の生き物にしては大きく荒々しい息遣いが混じっているのがわかった。自分の場所から北北西に数里。まさか、もうこんなに近くに来ていたとは。相手方の呼吸からするに、こちらに気がついている様子はなさそうだ。逃げるなら今が絶好のタイミング。私は集中のために無意識に閉じていた目を開けた。先刻と変わらない視界の隅で少年が動く。何事かと目を向ければ、私の隣で座っていた少年は木の幹に膝をつっかけ、そのまま後ろに倒れた。文字通り、落ちるように上体を倒す。はたから見れば彼は木から落下する直前のように見える。しかし少年は悲鳴をあげなかった。葉と葉が擦れ、枝がしなる音がしたと同時に、が先程まで座っていた幹には既に誰もいなくなっている。私は視線だけ彼に向けた。一瞬の出来事だった。いつの間にか、彼は向かいの木の麓に立っている。私を見て、何がそんなに楽しいのか、にっこりと笑顔をこちらに向けている。私が首を傾げれば、そこから彼は突然矢羽根を飛ばしてきた。しかもその矢羽根が私にはまったくわからない。通じもしないのに使ってどうすると呆れてものも言えない。それでも彼はまるでこの状況を楽しんでいるかのように矢羽根を飛ばしてくる。早すぎて最早解読すら不可能だ。ただデタラメに矢羽根を飛ばしているとも思っていた。

『おーい、こなもんさん!』

聞き慣れた矢羽根が私の鼓膜を浚う。空耳かと瞬いたが、結果としてその僅かな動作が少年にある確信を与える結果となる。

『お?こなもんさんの矢羽根はこれか!じゃあ他のタソガレドキの人達もこれで通じるってわけだな!ははぁ、体は正直だねぇ〜うんうん、なるほどな。さすが俺早すぎね?見つけるの早くね?つかやばくね?やばくね!俺すげえ』

私は愕然とした。彼が私達の使う矢羽根を探し当てたということに。同時にその矢羽根の早さが人間業とは思えなくて私は身震いする。まさか、でも矢羽根はまぐれでわかるものじゃない。タソガレドキ城の忍者隊に入ってくる新人が最も苦労するものの一つに矢羽根が挙げられるというのに、この少年はこんなにも流暢に矢羽根を使いこなすなんて。信じられない。

『こなもんさんがびっくりするのを見られたからなんの未練もなくいけるよ。あとは俺がここから退散すれば万事解決だな!ね、ざっとさん俺はここから飛び降りるから、後始末よろしくねー』

笑えない冗談を矢羽根で飛ばしてくる満面の笑みをたたえたこの少年、いや、 は今を楽しんでいる。まるでなにもかも知ったようなふりで(または本当に全てを知っているのか)、ひたすらに現状を楽しんでいるのだ。少年は私の任務を知るはずがなく、またそんなことなど少年は気にしないだろう。そこに私が居て、私と対峙する敵がいる。ただそれだけで少年は少年のありのままを容易に反映させるのだ。この少年は、諸刃の剣だ。味方とあればこれ以上のことはないが、敵とあればこの上ない脅威だ。少なくとも今この時点で、少年は私の肩を持つ存在であろう。私はそう判断した上で、彼に矢羽根を放った。

『とりあえず君は早く逃げなさい』
『えーっ、そこはノリよく来るのがお約束ってやつでしょ粉もんさん!そこを降りて逃げなさいとか!いや、いっそそこから飛びおりなさいとかさ!あと死ねとか』
『授業があるんじゃないのかい』
『わぁ華麗にスルーだぁ〜このボケ殺し憎いねこんちくしょう!しかしセルフ授業しているからモーマンタイなのだよ』
『なるほど、抜け出して来たんだね。それならなおさらだ。悪いことは言わない、はやく忍術学園に戻りなさい』
『ぐっ…なぜばれたし。ってかこれから死ぬ人間に向けるセリフがゴゥトゥハウスとかどういう意味…あっ、そういうこと?還れってこと?土に?も〜、遠回しすぎて分かりにくいなぁ〜粉もんさんたらお茶目さん!』

しかしこの一連のやり取りで、やはり彼はやりにくいと感じてしまう。もし、もしこれが演技だとしたら相当の手練か、あるいは天才か鬼才かと思っても可笑しくないだろう。私はそんな考えが頭をよぎったが、それ以上深く考えるとどツボに嵌りそうだったのでやめた。思考の波を断つ。私は彼から視線を外して、敵がやってくる方向へと意識を切り替える。すると私の背後で気配をだたもれにしていた少年の息遣いが薄くなるのを感じた。やはり彼はまごうことなき忍たまだ、私は目を細めた。ややあって木の葉のかすれる音がして少年が若干私から離れたのを認識する。

『まーいいや、うだうだ言っても仕方ないしな。そろそろ気合いれて逃げるとすっか』
『へぇ、誰から?』
『誰って、やだなぁ雑渡さんわかっているでしょ?野暮な質問やめてくれよ。最初の俺の台詞、忘れたとは言わせないよ』

ここは裏々々々山の縁。生徒も滅多に立ち入らない辺鄙な部分。言うならば崖に近い場所だ。彼はその先の崖の下が、足場のない渓谷になっているのを知っていてそんなことを言うのか?少年は笑顔のまま足を進めて行く。一歩一歩着実に、崖へと向かって。何の迷いもない。ためらいすらない。私はぎょっとして、死に行くのかと彼を視線で捉えた。少年はまさに、崖を背にして立っていた。一点の曇りもない若干のツリ目が、私の視線を捉えてふにゃりと弧を描いた。

『まァ、俺は流石に誰かを巻き込む趣味がある程タチが悪いわけじゃないし。自分で選んでみようかなぁと思うのだよ。その時は決まっていても、場所ぐらい選んでみたって罰は当たらない。そうだろ?タソガレドキの組頭さんよ』

それって一体、どういう意味だと聞き返す前に、彼の体はぐらりと傾いた。私は息をのんだ。少年は結局、最後まで笑顔のまま落ちていく。その顔は死を恐れているどころか、楽しんでさえいるような、そんな表情のまま。ややあって少年は、完全に私の視界から消えた。今までそこに少年がいたことさえ疑わしい。私は狐につままれたようなそんな気分で、かぶりを振って口元の布を正した。視線を崖から、敵がやってくる方角へと戻した。


少年はわかっていなかったのかもしれない。いや、むしろ分かっていて故意なのか。出会って半刻、伊作くんがしてくれた彼の話を思い出してから四半刻。ほんのわずかな時間を共有しただけの私には、さすがに彼という人物の内面を全て理解するに至らなかった。プロ忍として相手を短時間で探れないというのは悔しいことのようにも感じる。の私への立ち振る舞いは食えない演技なのか、普段から掴みどころがないのか。彼の本性を暴いてみたくなったのも、また事実だった。そしてなにより、彼の最初と最後に残した発言の強烈な印象がまだ私の頭の中で尾をひいていた。あんな台詞、滅多なことでは言えることでもないだろうに。寧ろ死ぬと分かっているなら、生に縋り付こうとするものではないのか。本音が見え隠れする彼の酔狂な言動は、一体どんな背景があってのことか。そして今、崖から落ちた少年は、話の通り死んだのだろうか?

「いたぞ!」「あそこだ!」

まぁ、ひとまず溢れ出る疑問は置いておく。まずは後ろの敵をどうにかしよう。それから、先程落ちて行ったが残していった発言の意図を考え直しても遅くはない。