確かに、俺の記憶の中では13年前の"あの日"、俺は20歳の誕生日を迎えていたはずだった。
その瞬間から俺は成人であって、今現在30を超えた立派な社会人として生活している―――はずだったのである。
あの日。
俺の身体が5歳の子供に退行するなんていう、不思議な体験さえしなければ。

電子音が13時を告げる


「おい!いい加減に起きろッ!」

聞きなれない男特有の低い声と同時に、俺の体に衝撃が走った。肺の辺りに衝撃がきて、声を出せないまま痛みを堪える。

「っ〜…」

嫌でも開けざるをえなかった眼で周囲の状況を見た。
そこは俺が宿泊したホテルの一室であって、先ほどまで横たえていたベッドを左手に見ることになる。
ようするに俺は床で胸のあたりを押さえ悶えているのである。

「この俺が直々に来てやったのだ、ありがたく思え」

かかっていた布団を剥ぎ、俺をベッドから蹴落としたのは思わぬ人物だった。
あの超有名企業、KCの社長、海馬瀬人。見まごうことなく、御本人様である。
超俺様、傍若無人、自由奔放が最も似合う男。当然のことながらデュエリストとしての知名度も高く、顔も広い。
そして。半年ほど前、俺が卒業したばかりの童美野高校のOB、つまり先輩であるのだ。
だが、彼がなぜここに居るのか俺はまったく理解することができない。

「何をぼんやりしている」

そういらついたように吐き捨てる反面、彼は律義に布団を畳んでベッドの上に置く。
理解の範疇を超えて頭が真っ白である。いろいろとぶっ飛んでいるこの状況を誰が理解できよう。
痛いから夢ではない。というか、そもそもこのホテル、鍵がついていたはずだ。
それもオートロックのちゃんとしたやつだ。この男はどうしてこの部屋に不法侵入という犯罪行為をしている。
突き刺さる冷徹な社長様の視線に思考を一度切り上げて、俺は海馬先輩に質問を投げかけようとした。

「…すいません、あの」
「謝っている暇があるなら早く準備をしろ!貴様、今何時だと思っているのだ!」

そういう意味で言ったわけではないのだが。
と、つっこめるほど脳が回らなかった。これは寝起きの所為にしておく。
彼はベッドのむかいにあるテレビ横のゆったりしたソファーにどかりと腰をかけ、足を組む。
今何時という言葉に、嫌な予感があって俺はベッドに備え付けのデジタル時計を見た。

「12時、55分…」

時刻はゆうに昼下がり。つまるところ、俺の就職面接の時刻を通り越していたのである。
さんさんと窓越しに降り注ぐ9月下旬特有の日差しは、今が夜でないという現実を俺に突きつけてきた。

「ふん、所詮その会社に対する思いはその程度だったということだ」

床に尻もちをついた体制で呆然とする俺に、海馬は上から目線で容赦なく攻撃を与えてくる。
もうなんだかどうでもよくなってきた。
この男が俺の部屋にいようがいまいが、会社の面接に行こうが行くまいが。

「はぁ」

俺は海馬の言葉に返す元気もなく、床に大の字に寝そべってまぶたを下ろした。
大きな窓のお陰で暑苦しい太陽の光が余すところなく差し込んでくるが、空調が効いていてそれさえ心地よい。
意識がまどろんできた。接近する足音を気にすることなく夢へと旅立とうとする。

「寝るな!!」

途端腕が伸びてきて、パジャマ代わりのTシャツの襟首を右手で思いきり掴み上げ、俺を無理矢理立たせた。
そのせいで軽く眩暈がして、少しでも楽にしようと、がっちりと掴んだ彼の掌を両手で掴む。
社長さんのわりに思ったより強い力に驚き、俺は敵わないと悟って口で抵抗する。

「ぐえっ…海馬せんぱ…いには、関係ない、ですよ」

現に俺は、これから母の実家に戻って、地元で就職口を探せばいいやと投げやりな思考回路で満たされていた。
次の言葉を聞くまでは。

「貴様、俺が言った言葉を忘れたとでも言うのか」

彼は今何と言った?先ほどまで夢か現実かふらついていた脳味噌が一気に覚醒する感じがする。

「…は、はぁ?」

掴んでいたTシャツの裾の皺が気になったが、海馬は思ったよりも早くその右手を放した。
俺が訝しげに顔を見ると、所在無げにさまよっていた彼の右手が俺の目の前に来る。
指長いなーと関係ないことを考えていたら、デコピンされた。

「って…!」
「早く準備をしろと言ったはずだ」

思ったより痛かったんですがね、と心の中で文句をつらつら述べながらぐっと飲み込む。
この先輩には何を言ってもダメだったと過去の記憶を掘り起こす。
俺はため息をついて幸せを一つ逃すことにした。

「はぁ…話あるんならココで聞きますよ、先輩…」

彼は一応社長であって忙しい身だから、なんの用事もなしにこうして不法侵入をするはずはない。
高校時代から何を考えているのか分からなかったが、付き合いも長くなった今は類推ぐらいできる。
自分より背の高い海馬を見上げれば、彼も同様見下してきた。

「雇い主に向かってそんな口を叩いて良いとでも思っているのか、
「………ちょっ…と、待った。今、何て?」

頭が真っ白になることはなかったが、不可解な言葉に思わず待ったをかける。


「えっと…その前を」
「雇い主に向かってそんな口を叩いて良いとでも思っているのか」

変な掛け合いの後、俺は数秒思考回路がペースダウンするのを感じた。相変わらず目の前の男は俺を見下している。
降り注ぐ日差しは彼と俺の半身を照らしあげて、室内に二つのアンバランスな影を落としていた。

「…どういう意味ですか、海馬先輩」

俺が確認の意味を込めてさらなる発言を促せば、彼は不敵な笑みを浮かべながらこう言い放ったのだ。

「我が母校の不幸な後輩に、チャンスを恵んでやろうということだ」

(部屋に備え付けられた時計が、ピーという小さい電子音をたてて13時を告げた)
(今この瞬間、人生においてこれほど、彼が高校時代の先輩であったことを喜んだことはない)