特別になりたくない。


上手なフラグの立て方 13


結局何の理由で呼ばれたかといえば今後もこうやって呼ぶからよろしくね、とかいうことだった。なぜそれだけのために。非常に腹立たしいが、これも春ちゃんのためだと思えばなんてことはない。そう気丈に振る舞うように言い聞かせて、クラスまで帰る。階段を登りきって廊下に出ると、来栖が待ってくれていたみたいで、教室の扉の近くから駆け寄ってきた。

、おかえり!……って、どーした?なんか疲れた顔してるぞ」
「あ〜いや、うん。まあちょっとね」

来栖の心配そうな表情に、そんなに俺は疲れた顔をしてるかと考えて、あんな人間離れしたおっさんと言葉の一方的なドッジボールでもしてれば疲れもするか、なんて苦笑いが溢れる。

「そう、か。……あ、そうだ。、もし大変だったら俺様のこと頼りにしてもいいんだぜ」

すこし大袈裟に胸を叩いて、翔は笑顔を見せた。弓形にしなる瞳とえくぼが特徴的で、俺もへにゃっとした笑顔を返してしまう。

「翔なら頼り甲斐があるな」
「おう、どんどん頼れ」

少し沈んでいた気分も不思議と晴れる。翔は裏表なく、直球に接してきてくれるので有難い。

「じゃあ、早速だけど。今なんかクラスでやってることとかあれば教えて」
「そうだな。廊下じゃなんだし、の席で話そうぜ。いろいろ記入必要な書類とか渡されたし」
「そっか。じゃあいこう」

翔の提案に俺はうなづいて、そのまま教室に入る。残念なことに俺はクラスメートに物珍しい視線を投げられている。流石に休み時間で賑わっているからそこまで声は聞こえてこないが、ヒソヒソと話をされているのはわかる。こちらを見ている集団は恐らく俺の噂をしている、で十中八九間違いないだろう。なんだか居心地が悪い。

「ここがの席だぜ」

肝心の俺の席は窓際だった。さすがに一番後ろではなかったが、後ろから数えて2つ目だ。これは幸先がいい、個人的に春先の窓際の席は大好きだ。暖かくて心地よいし、真後ろの席ほど先生の視線を集めないだろう。

「ありがとう」
「いいって。あ、あとオレ様の席はここな」

翔はそう言うと俺の隣の席を指した。思わぬ吉報に頬が緩む。しばらく席替えはいらないな、なんて考える。

「翔の隣か。これからよろしくね」
「おう!」

内心ホクホクしながら、俺はカバンを机のフックにかけて座る。それと、翔には先程から気になっていたことを問う。

「あ、あのさ。もしかして自己紹介はもう終わった感じ?」
「ああ。日向先生はが学園長に呼ばれたって知ってたけど、あんまり延ばしても仕方ねえからって皆自己紹介したんだ」
「うーん、そっか」

折角なら翔の自己紹介聞きたかったな、と少し残念に思いつつも、机に幾つか置かれている紙に目を落とす。幾つかは連絡のお知らせのようだ。一つ一つ翔から説明を受けて、記入が必要なものは全て埋めることができた。

そうして粗方記入を終わらせたところで、近くの席にいた女の子達から声をかけられる。

「ね、キミ自己紹介の時いなかったよね?」
「なんていうの?」
「あ、えっと、私は
ちゃんか〜!よろしくねっ」
「う、うん。よろしく」

ごく自然に声をかけられて戸惑いながらも自己紹介しあう。よろしくね〜、と挨拶し合うのが男の時と違う感じがしていると、女の子の1人が席に座る俺の後ろに立った。それで肩に手を乗せてきて、内心慌てる。女の子同士の距離ってこんな近いものなのか?普通に可愛い女の子だから少し緊張してしまう。

ちゃんもかわいいけど、来栖くんもかわいい!」
「あ〜わかる!ちゃんと同じくらい来栖くんもかわいいよね!」
「お、おま、かわいいって言うなよ!」

途端にムスッとする来栖に女の子達はきゃあきゃあと笑う。そんなに面白いのか、それ。とりあえず周囲に合わせて笑っていると、来栖がじとりと俺を睨むように見た。

と俺が同じ可愛さって、に失礼だろ」

そう言ってくる来栖が、どことなく救いを求めている雰囲気を醸している。その気持ちが痛いほど分かるので、つい口を突いて出たのは弁護に回る言葉だった。

「個人的には、カッコいいと思うけどなあ」
「ほらみろ!」
「ええーっ?」

翔はドヤ顔で女の子達を見渡すが、女の子達は納得のいかない声を上げた。

「もしかしてちゃん、来栖くんに家来にされてない?大丈夫?」
「へっ?家来?」
「自己紹介の前に、家来募集中です!って言ってたんだよ!」

女の子が可笑しそう笑ってそう言う。そんな面白そうなことを来栖は自己紹介で喋ったのか。徐々に見えてきた話の概要に、口角が上がるのを抑えられない。いやいや、家来ってなんだ。

「へぇ」
「べっ、別にいいだろ!俺は家来募集してんだよ」
「えーっ、女の子を家来にするのはおかしくない?」
「それは…本人に聞いてみないとわからないだろ!」

聞けなかったことを少し悔やんでいると、いつの間にか来栖が囃し立てられていた。何を思ったのか来栖は突然俺の前で立ち上がった。それで大きく深呼吸をして、大きな声でこう言ったのだ。

、俺様の家来になれ!」

一瞬の間。俺の脳裏によぎったのは、俺の大好きなケン王のあの名シーン。ケン王がのちにヒロインとなる仲間にかけた、あの一言ではないのか。そして俺はハッとして、ほぼ無意識のうち台詞を返してしまう。

「"家来なんて柄じゃないけど、私でよければ"」
「えーっ、ちゃん、本気?」

女の子達はあはは、と笑い合っているけど、俺は気が気ではない。翔がケン王を知ってその言葉を言ったのか、それともただの時代劇好きで言ったのかわからないからだ。けれど翔が驚いて目を見開いているのを見て、確信した。

…ケンカの王子様、知ってんのか?」

震える声で翔が問いかけてくる。けれど身を乗り出してこちらに食いついてくるので、本気で聞きにきているのがわかった。

「知ってる。大ファンだよ」
「マジかよ!知ってたなら言ってくれよ!」

嬉しそうにはしゃぎ出す翔に、周囲の女の子達は首を傾げている。無理もない。ケンカの王子様は若い女の子達向けというよりは成人した男性にウケのよいシリーズモノだったからだ。

「女子で知ってるやつがいるなんて思わなかったから本気で嬉しい!なあ、DVDボックスとか持ってるか?」
「全巻持ってる。たぶんだいたいあるよ。あ、でも1周年記念の特典DVDは持ってないな」
「あ〜。あれ結構レアだもんな。でもオレ様は持ってるぜ!」
「ええ!マジで!いいなあ…」

今度は俺が身を乗り出す。なんてことだ、あのシリーズの1周年記念の品は、数量限定販売だっただけでなくその後再販もなく、マニアックなコレクターなら喉から手が出るほどの品だ。それを持っているなんて、なんて羨ましいことか。

「見たことないのか?」
「うん、どこ探しても無くてさ」
「今は流石に持ってねぇけど、実家から送ってもらうくらいならできるぜ。そしたら貸してやってもいいけど」
「えっ本当に!でも実家からって大変じゃない?」
「いや、そんくらい全然いいって、気にすんなよ」
「うっ…か、貸してもらえるなら是非お願いします!」

翔の男気に感服する。普通そんな実家にあるやつ面倒だから貸せないだろうに、さらっと言ってくれるから本当に気前が良い。まさかこんなタイミングで見せてくれる人に出会えるなんて、ある意味感動だ。

「二人って前に会ったことあるの?」

不思議そうに、顔色を窺うように聞いてくる女の子達に来栖も質問の意図が分かりかねているのか不思議そうに返す。

「?いや、今日会った」
「えーっ!本当!びっくり〜」
「なんかすごい仲良しだよね〜嫉妬しちゃう」
「私も翔くんと仲良くなりたい!」

それで翔は他の女の子達に囲まれて質問攻めにあっている。俺は察した。来栖はかっこ可愛い系だから間違いなくモテるだろう。

「あ、お、私、ちょっとお手洗い行ってくる」

女の子のその押せ押せなオーラに当てられて、こっそりお手洗いに行くフリをして逃げた。期待に満ちた女の子達を俺はどうすることもできない。心の中でそっと来栖に詫びて、人も疎らな廊下に出る。女子トイレを探そうと視線を巡らせたところで、誰かと鉢合わせした。

「…あれ、どうしたの子猫ちゃん」

突然声をかけられてびっくりする。慌てて顔を上げると、なにやら良い香りが鼻をくすぐった。それが香水の香りだと気が付いたのは、その人が神宮寺だと判ってからだった。

「あ、オレ、子猫ちゃんに聞きたいことがあったんだよね」

思わぬ話題を振られてなんとなく身構える。一体何を聞きたいと言うのか。

「…なんですか」

渋々、というオーラを極力出しながら神宮寺に問い返す。

「そんな難しいことは聞かないよ。なんで子猫ちゃんは作曲家コースに入ったのかな、って思ってね」 「…」


答えにくい問いかけに、俺はとっさに言葉が出なかった。ハルちゃんに会いに来ました、なんて神宮寺に言いたくない。ほんの数秒だったろうが押し黙っていると、神宮寺はわざとらしく肩をすくめて言う。

「うーん、困らせるつもりはなかったんだけどな。そうだな…家族に薦められた、とかかな?」
「…いや、違いますけど」
「じゃあ、どういうつもりで来たんだい?」
「どういうって…別に、歌を聞きたかっただけです。」
「歌を?誰の?」
「…誰って、それは…その…」

なおも食い下がってくる神宮寺に、俺は根負けしそうになる。誰の歌かと言えば、春ちゃんが作曲したお前らの歌を聞きたかったからだ。でもそれを神宮寺には口が腐っても言えない。それを言うのは春ちゃんの役割なのだ。

「と、とにかく!この話はいずれ話す!」

そう突っぱねて、神宮寺がまた何か言おうと口を開くのと同時に隣から盛大な溜息が聞こえた。それでピタリとお互いに言葉が止まる。

「痴話喧嘩は終わりましたか?そろそろ教室に入りたいのですが」

至極迷惑そうに、隣から声がかかった。ハッとしてそちらを見れば、よく見知った顔、一ノ瀬トキヤがそこに居た。

「ああ…悪かったね」

神宮寺がすっと一歩引いたのに倣って、俺も少し身体を扉の前から退ける。それで一ノ瀬は特に気にした風もなく、ツカツカと教室に入っていった。 そうだ。一ノ瀬に鍵のことを聞かないと。うっかり忘れてたなんて洒落にならないので、聞くなら今のタイミングしかない。

「ちょっと待って、トキヤ」

なんとなく彼が立ち止まってくれない気がして、呼びかけるだけでなく相手の肩を掴もうと足を踏み出し、腕を伸ばした。

「っ…?!」
「あっ…!」

瞬間、足が何かに当たって重心が傾き、前後不覚になる。迫りくる地面と相反して、宙に浮いた手は地面ではない何かを掴んだ。柔らかい感覚で覚束ないが、ここはなりふり構っていられない。顔面から地面にダイブするのは回避したい。
そう思ってその右手に握った柔らかな何かを思い切り引き寄せると、誰かの切羽詰まった声が聞こえた。

「なっ…!!!」

俺はとにかく、痛いのは嫌だという一心でたぐり寄せたそれを巻き込んだ。ぐるんぐるんと回転するような感覚と共に、結局盛大に転んだ。

背中が痛い。俺は引っ張った拍子に身体が天地逆して、背中から地面に倒れてしまったようだ。たぐり寄せたものはまだ手中にある。肘も打ったのか痛みを訴える身体の感覚に、つぶっていた目をゆっくりと開ける。するとなぜか、丹精な顔が驚いている様が目の前にあった。睫毛の影までくっきりと見える距離に加えて、唇に何かが触れている感触。

『きゃああああ!』
『ええええええ!』

男女両方の悲鳴や驚きの叫びが遠くに聞こえる。

「…ッ何しやがるんだテメェ!」

俺は何が起きたかを理解する前に混乱に陥り、結果俺に覆いかぶさってきているやつの腹部をとっさに殴ってしまうのであった。