07 - What's that?


眼を閉じて開ければ、雲一つない夜空は何時も通り満月だった。でも、そこには多くの違和感があった。起き上がれば、それはさらに顕著に頭角を表し、俺の脳味噌を混乱させた。

「…?」

俺が今寝そべっていたのは、何処かのスタジアムのグラウンドらしい所。綺麗に整備された芝生の感覚が、身体を支えるために置いた掌に伝わってくる。バカでかいモニターの下に広がる観客席には誰も居なくて、吹き抜けになった天井から落ちてくる月の光しか、闇に包まれた周囲を確認できる光源が無い。

此処は何処だ。それが俺が出した、唯一の結論だった。

 ―――ヴォオ!!
「おあぁ!?」

突然、地響きのような咆哮が耳を劈いた。心臓が口から零れそうなほど跳ねて、俺は情けないことに腰を抜かした。得体のしれない恐怖に脳も身体も動けないでいると、突如右側の、透明な反り返った形の部分を疾走する、大きな影が横切ったのが視界に入る。ものすごい強風が吹く。

暗闇に慣れない視線では何か分からなかったが、先程の唸り声はその大きな影から発せられたということだけは分かった。大きな影の正体は、視た事もない巨大なモンスターだった。いや、あの時の感情を正しく表現するとしたら、化物と言った方がより近いかもしれない。とにかくそれぐらい、俺は恐怖と驚愕でいっぱいになっていた。

「…なんじゃありゃ…」

あっという間に俺の傍から遠ざかっていったことで、その影は2体あることがわかった。一つは白っぽく光っていて、もう一方は真っ黒に赤。まるで対照的なその姿は、さながら光と影とでも言った方が正しいとさえ思った。台風の中に居るような風が吹き始めて、空に不穏な雲が立ち込めるのが、視界の端に捕えられた。

そして俺はふと気が付いた。その白い方に、俺は見覚えがあるという事に。なぜだ?恐怖で止まっていた思考回路が次第に動き始める。それからややあって、だんだん近づいてくる白と黒の下に、なにやら動くものがあるのを見つけた。それは赤と白だということは、見つけた瞬間に分かった。猛スピードで近づくそれらがバイクだと分かった時、俺の脳裏を掠めた人物がいた。

「…不動?」

時が止まった。

風が一気に俺の四体を宙へ攫っていった。急激な暴風に飲まれた俺は、ぐるぐると回る視界を人ごとのように眺めて、あ、これは死んだな、と変に肝が据わっていくのを感じていた。巨大な2体がまた激しく咆哮した途端、俺の前に赤い光が一本落ち、天から2体に向かっているのを視た。刹那気持ちが悪くなりそうなほど回転していた身体がぴたりと止まり、宙にふんわりと浮く。そしてぴたりと止まった。

何が起きたか分からなくて下を見て後悔した。自分はそこまで高所恐怖症というわけではなかったが、これはきついものがあった。自分の位置から高さは分からなかったが、ゆうに50メートルは超えていたかもしれない。酷い吐き気がして、俺は必死に口を押さえた。それから、一瞬だけ、背後に気配を感じた。何の気配かわからないまま、それは俺の眼の上に何かを当ててきて、視界を奪った。変に温かみのあるそれに触れたとき、安心した。心臓の音が、俺の全身を駆け巡っているのを感じた。吐き気はいつの間にか治まっていた。

何分ぐらいそうしていたのだろう。俺が眼の辺りの圧迫感を感じなくなってから、恐る恐る開けてみると、そこは空中だった。状況を俺が確認したら、糸が切れたように、俺の体は落ちていった。

「の…わあああ!」

落ちていた時間は、そんなに長くは無かった。ほんの数秒で身体が何かに落ちる。どす、という音と衝撃はあったが、大した痛みにはならなかった。ただ、腰から落ちた所為か腰骨がじんじんする。落ちたのは芝生の上らしかった。

!」

聞きなれた声が大きな声を出す。慌てて周囲を見渡せば、5メートルほど離れた位置に不動がいた。赤く光る腕を、もう片方の手で押さえて、立っている。周囲は瓦礫で埋まっていて、酷い災害の後のようだった。呆然として返事が返せない俺に、彼はもう一度投げかけてくる。

「大丈夫か!」

そう言った不動の顔の眉間には皺が寄っていて、心なしか辛そうだった。その腕どうしたんだよ。お前こそ大丈夫なのかよ。後ろに倒れてるバイクはどうしたんだよ。そんな多くの事が疑問でしかたなくて、不動に沢山の事を言いたかったのに俺は、カラカラと口が乾燥していて上手く声が出せないまま、頷いていた。ふっ、と緊張の糸が切れたように、不動は一瞬表情が和らいだようだったが、また口をぐっと結んで、無表情に戻る。俺はそんな不動の様子が、全て遠い世界で起きている事のように思えた。

少し先に見えていた不動は、俺の上の辺りを見ていた。視線の先を一緒に辿ると、俺は身体をひねって180度後ろを向くことになった。その先に居たのは、白っぽいライダースーツを着た長身の男だった。その男の顔には、驚愕の表情が浮かべられていた。そして男は、俺を見ていた。

「…貴様は…」

周囲にはまだ、風が吹いている。先程の原因不明の暴風で、このスタジアムに設置されていたいくつかの部分が崩壊しかけていた。吹き抜けのように開いていた観客席の下のコンクリートにヒビが入って、大きな地響きと共にフィールド上に崩れ落ちた。瓦礫が積み上がり、砂埃がもくもく宙に浮かぶ。風で周囲に四散したけれど、お陰で視界が奪われていく。

酷い違和感だった。だって、昨日の事を思い出してほしい。俺は昨日、不動の知り合いの少年に見えなかった。はずではなかったか。打った腰の痛みを忘れて、俺は焦燥にも似た思いを募らせた。

「なに、お前…俺が、見えてんの…?」

俺が小さくつぶやいたその言葉は聞こえたのか聞こえなかったのか。金髪の男は、腰を抜かしたままの俺をただ見下ろしてくるだけだった。暗闇の中で、不動と同じように明るい腕の光が、収束していく。

ズン、という音がまた響いて、俺は反射的にそちらを見た。スタジアムに取り付けられていた大きなディスプレイが、斜めに傾いていた。そして俺は気が付いた。スタジアムの吹き抜けの先、向こうの夜空は真黒なのに、ぼんやりとそこに光があって、その光の輪のようなものが接近している事に。

『そこの赤いヘルメットの男と、黒い服の男に次ぐ!直ちに降伏せよ、さもなくば―――』

どんどん近づいてくるヘリコプター。ババババ、風が強くなり、スポットライトが俺の方向にあてられる。俺は何が起きているか全く分からなかった。不安になって、少しでも面識のある不動に助けを求めた。回転する翼の音に反比例して、不動の表情が無表情から無感情に変化する。それを俺が遠目に目撃したことぐらいしか、その時の俺の質問に対する返事はなかった。



「どうなってるんだ」
LAST UP DATE>>10/08/28