今日は一日中災難だった。午前中の少人数講義では寝てしまうし(お陰で先生にたんまり課題を頂いた)午後のバイトでは立ったまま寝てしまってビールを零すし、夜の電車でもまた寝てしまって降りる駅を通り過ぎてしまうし。
それでも俺はまた夢を見ている。寝るたびに見てしまうこれは、どんなに疲れていても不可避らしい。俺は諦めていた。前と同じように、一番初めの時の服を身にまとった俺は、同じように光に向かって歩を進める。今日も月は丸い。
* * *
不動遊星は居なかった。やけに小さくて、明るくない電球だけがそこを照らすだけで、そこにはバイクさえ無かった。初めてのパターンだった。
「おーい、不動ー」
一度だけ通されたことのある、奥の部屋に居るんじゃないかと思って俺は声をかけた。返事は無い。ただ、人がいたらしき形跡はある。木製の床やコンクリの上に多くの工具が散らばっているからだ。そして今までなかった、ラップトップ型パソコンが、安定の悪そうなパイプ椅子の上に、電源が点けっぱなしで鎮座していた。沢山のコードが付いていて、画面には英語と数字の羅列が点滅している。何かプログラムでも作っているのだろうか、多少の操作知識はあっても、専門知識は詳しくない俺には理解できなかった。あまり弄らない方が良いだろう。
ブロロロ。バイクの、いや、昨日聞いたDホイールのエンジン音だ。何処から聞こえてくるのか暫く分からなかったが、ややあって右側、俺が歩いてきた方向にライトが見えた。その光は一気に近づいたかと思うと、直ぐ側まで来る頃にはゆっくりと止まっていて、闇に慣れた目がその車体の姿を捕える。
赤い、バイクだった。そこに跨るのは、同じように赤いヘルメットを被った不動だった。エンジンの音が止む。響いていた爆音が消え失せて、道を照らしていたライトもその光を消した。耳に静寂が入り込んでくる。ややあって、サイドスタンドがガタンと立てられた。彼がDホイールから降りると、もう一度スタンドを立て直す動作をした。バイクは自立した。
「…来てたのか」
「よう」
不動がヘルメットを脱ぎ、俺の方を向いた。俺は手を挙げて答えた。不動は相変わらず無表情だった。
「…これ、前のDホイール?」
挨拶もなあなあに俺は興味津津で、触っても良いか尋ねると、彼は小さく頷いた。俺は柄にもなくはしゃいだ。俺が借りているワンルームは駐車場がなくて、傍にあるパーキングエリアなんかは月額料金が高すぎるし、まず税金を払う余裕もないので、バイクなんてものには手が届かない。だからマイカーとかマイバイクなんてものは俺の憧れの象徴である。免許だってまだ原付しか取っていないし、取ったのはもう1年以上前で、もはやペーパードライバーと同レベルだ。
「お前、すげえな。完成したんだ」
不動がこうしてバイクを自分で作って、自分で乗れるようになるまで完成させるのを目の当たりにした俺は、不動に尊敬の念を淡く抱いた。
「いや、まだ半分も出来てない」
「…マジで?」
「ああ。まずハイブリッド型にしないといけない。モーターの回転数、初動出力時間、瞬間速度、…出来るだけスコアを上げられるプログラムを作る必要もある」
彼は饒舌になって、俺に説明した。さっきの様子だと、十分走っていたようにもみえたから俺は驚きだった。不動はそのまま、ヘルメットを座席の上に乗せると、あのパイプ椅子の上のパソコンをひょいと持ち上げて、コードを手際よくバイクに接続する。ぴ、ぴ、と音が鳴って、また訳のわからない英語や数字が画面を埋め尽くす。
一身に打ち込む姿は熱心で、彼は本当に好きなんだなあと感心した。俺は声をかけないで、その様子を暫く眺めることにした。
* * *
「ぶっちゃけ、この世界の人間じゃないっぽい」
そう言った時の不動の顔ときたら、眉ひとつ動かなかった。真一文字に結んだ口と視線が、此方に向けられるだけだった。二人して安っぽいパイプ椅子に座り、テーブルを挟んで無言。耐えきれなかった俺が、ほら前答えられなかったから、と補足を入れれば、ようやく、不動は動いた。
「そうか」
「…驚かないのかよ」
少し覚悟して言ったつもりだったのに。この男はあっさり頷いた。信じてもらえないよりか精神的に堪えることはないが、逆に俺の方が嘘をついているような気分になって、聞き返した。すると不動は、至極簡単な事のように切り返す。
「初めて会った時からそんな予感はしていた。サテライトに、そんな綺麗な身なりのやつはいないから」
俺は思わず自分の身なりを見直した。そういうものなのだろうか。確かに不動と俺の服はデザインこそ違うが、別段俺との決定的な差異は特に感じない。むしろ彼のほうが特殊な気がする。疑問を持ったままもう一度顔を上げると、不動はまた口を開いた。
「それに俺は、お前が目の前で光の塵になって消えるのを、会う度に見ている」
「…なんじゃそりゃ」
唖然とする俺を余所に、不動はこちらを真っ直ぐに見据えてきた。ぐっと声が詰まって、反論できなかった。なぜだ?と、視線だけでこんなに器用に訴える人を初めて見た。俺は生憎その答えを持っている訳ではなかったが、もしかしたらという仮説ぐらいを立てられる余裕はあった。
「―――、あ〜…たぶんそれ、俺が戻る時のかもしれない」
「…戻る?」
「夜寝ると、俺が目が覚めるまで、此処に居るんだよ」
「…そうだったのか」
彼は納得したように俺から視線を外した。彼の手にいつの間にか握られていた小さい部品を、また弄りだしてしまった。俺はそんな不動の様子を、ぼんやり眺めながら、思う事があった。
そういえば、なんで俺此処に来ているんだろう。夢の中、此処に来て不動遊星にしか会っていないが、ましてこんな風にアニメの登場人物と(しかも少し前までは全く知らなかった)会話をすることになるなんて、考えた事もなかった。これってもしかしたら凄いことなんじゃあるまいか。
俺はおもむろに、本当にただの気まぐれで、自分の頬をつねってみた。当然のように痛かった。感覚がある。…感覚がある?
「…そういえば、まだお前の名前を聞いていない」
ちょっと話題がずれた不動のセリフが耳に入った途端、タイミングがある意味バッチリすぎる、視界の遮断が発生した。俺が返事を返す前に、意識は闇へと落ちていった。
「なんで此処にいるんだ」
LAST UP DATE>>10/08/21